第カルテジアン積話

「待って! そこの人待って!!」


 どうしよう、名前を呼びたいのに僕はその人の名前を思い出せない、どうして、あんなに世話になった人の名前を忘れるなんて! 僕はただ、無我夢中で走る! だけどあの人は気づかず、足早に歩いて行ってしまう! ああ駄目だ、下の広場に行くには回り道をしないといけない、


「誰かー! 誰かその黒っぽい服を着た人を止めて!」


 焦った僕は思わずそう叫ぶ、だけどそんな事言われたって誰に何が出来るのか、黒っぽい服を着た人、それでは誰の事かも解らない!

 回り道を走る僕の目にはあの人が見えなくなっていた、お願い、これで二度と会えないなんて、そんな事になりませんように!


「待ってー!!」


 僕はようやく回り道を回り込んで、あの人が歩いていた広場にたどり着いた、あの人の背中は……あった!! 良かった、見失ってなかった!

 絶対に人違いなんかじゃない。あの人に最後に会ってから14年が経つけど、僕の記憶は全く薄れていないのだ、これはきっと……僕とあの人の運命なのだ!


「先輩! よしざきせんぱぁぁぁい!!」


 そして忘れていたはずのその名前が、僕の口から自然に飛び出した! あの人は、督崎先輩は振り返った、先輩の周りに居た、ツインテールの女の子やモヒカンの男、夏侯惇みたいな武将男や白いヒゲの魔法使い、エルフのお姉さんも振り返る……そして人々の間を駆け抜けた僕は、思い切り先輩に飛びつく。


「なッ……」


 先輩が目を丸くして驚くのが一瞬だけ見えた。次の瞬間には僕は四肢を回して先輩の上半身に抱き着いていた。


「どうしてこんな所に居るんスか先輩!! びっくりしましたよ、何で、今、それより、それより」


 僕は腕を伸ばしもう一度先輩の顔を見る。笑いが、笑いが込み上げる……!


「ぷあーっはっはっは!? 何で、何で先輩はあの時のまんまなんスか、この東友の一万円スーツまで、あの時のまんま、あはっ、あはっ、どうして、何で、ここ異世界っスよ先輩!? 何で先輩だけあの時のまんまなんスか何やってるんスか先輩、ひーっ、ひーっひっひっひ!!」


 ふと見ると、先輩の隣に居たツインテールの女の子が涙目になっている。先輩とは10歳くらい歳が離れてそうだけど、もしかして先輩の今の彼女だろうか?


「先生……こ、この美少年は誰ですか?」


 美少年?

 先輩は不可解で気味が悪いという風に顔をしかめ、ぼそりと呟いた。


「わ、わからん……あんた、誰?」

「あ。あーっ、僕はあの、えーと、あの」


 僕は慌てて先輩の体から離れる。おっかないモヒカン男が僕の事をギロリと睨みだしたのだ。夏侯惇も眉間に皺を寄せ、じっと僕を見ている。そうだ、僕は生まれ変わってしまったのだ、この姿では先輩には誰だか解らないじゃないか。

 僕は……えーと……あれ……しまった!? 僕は誰だっけ!? 僕はクローゼ・ミストルティン、だけど今言いたいのはそっちじゃない、でも、あっちの名前は普段全然使わないから、はっきり覚えてないんだ、えーっと、えーっと、


「ぼ、僕ですよ督崎先輩、貴方は督崎恭平さんでしょう!? 僕知ってるんです、あああ、僕は誰でしたっけ、先輩の一個下で、三千菱電気……三万菱電気だっけ? とにかくずっと一緒だったじゃないですか、ゆで次郎に行くとミニかつ丼セット100円引きの日でも構わず、満腹かつ丼セットを注文する督崎先輩!」


 僕は必死に言葉を繰り出す。筋骨隆々のモヒカン男が、僕と先輩の間に立ち塞がる。


「ああ? ざけんなてめェ、このお方にはボボバビ先生という立派な御名前があンだよ! 人の事ばかり言いやがって自分の御名前も名乗れねえ奴が、大先生に一丁前の口きいてんじゃねえぞコラ!?」


 涙が出る……とりあえず、自分はミストルティン公爵家の六男、クローゼだと言うべきか? 嫌だ! 僕にとってのこの人はそうじゃないんだ、どうしても、どうしてもその名前を名乗りたい、あああ、何だったっけ!?

 僕は大学時代にこの人に出会い、大学……大学! 僕は立ち上がって胸を張り、上を向いて右腕を振り回し、高らかに歌う。


「風に吹かれて雲に乗りー、海を渡りー山を越えー、世界を見渡せば! 何も恐れない! 我らは蛮田、蛮田大学!」


 蛮田大学校歌の途中でちらりと見えた督崎先輩は、この上なく大きく目を見開き、大口を開けていた……


「しぎみやー!!」


 今度は先輩が。モヒカン男の周りを回って、覆い被さるように僕に抱き着いて来た。


「ウッソだろ鴫宮!? お前鴫宮なのか!? マジかー! マジかよー!! うわは、あはっ、あははは! ちょ待て、お前!」


 突き飛ばすように僕の体から離れた先輩は、僕の頬を両手で挟みむにむにと振り回す。


「きたねーぞ鴫宮! なんでお前そんな若返ってんだよ、ずりーよ! しかもなんだこんな、北欧の美少年みてえな顔になりやがって畜生! ンだよ、ずりーよ、俺もそっちが良かったよ、プワッ、プワハハハハ!」


 そう言って僕にヘッドロックを掛ける先輩。涙が溢れる……

 そうだ。僕の前世の名前は鴫宮、鴫宮当麻。一流クソデカ企業、三億三千万菱電気の、正社員としては全社でたった三人しか居ない、蛮田大学(Fラン)出身者の一人だ。もう一人はこの人、督崎恭平先輩。同じ部署に配属された前世の僕は、督崎先輩を頼りに社会の荒波の中を生き抜いていたのだ。


「先輩の方が羨ましいですよ。先輩、異世界転移してたんですね」

「鴫宮は異世界転生したのか、何で違うんだろうな、俺とお前で」


 僕は全てを思い出していた。僕と先輩はあの日現場での緊急対応を終え、ひどく遅い時間に地下鉄に乗ったのだ。

 終電間際とはいえ、あの日の車両はやたら空いてたな。僕らが乗った車両には僕と先輩しか居なかった。そして……


「僕の体、だめになっちゃったんでしょうね、あの事故で。先輩はほら、昔からめちゃくちゃ丈夫でしたから」

「それは、その……そうか……すまん」

「あはは、あんな事故に遭ったのに、生きてるだけで丸儲けっスよ。それに今の僕、貴族の息子なんス」

「貴族!? マジかよ畜生上手いことやりやがったな、ルネッサーンスとか言って毎晩ワインで乾杯してんのか」

「いつの話スか先輩、あははは」


 シルレインとポポロンも追いついて来て、僕と先輩がじゃれあうのを驚いた顔で見ていた。

 先輩は手を離して立ち上がる。僕は先輩と一緒に、他のみんなから少し離れ、小さな声で話す。


「群玉総合ビルのジェネレータの件、どうなったんでしょうね、結局」

「あの仕事は貧乏くじだったなあ。仕様が特殊過ぎて特注部品は多いし、アプリも流用が効かねえし……まあ俺たちが居なけりゃ本部も人と物を出して対応せざるを得なくなるだろ」

「山田さんには悪い事をしましたね……45歳でやっと課長になったのに」

「仕方ねーじゃん、俺たちは地下鉄事故に遭っちまったんだから。いいんだよあの人も蛮大育ちの雑草男だ、泥臭く働いて、何とかするさ」


 地下鉄事故に遭う直前、僕たちは他所の部署が受注した仕事の尻ぬぐいに追われていた……懐かしいなあ。だけどもう僕らがあそこに戻る事はないのだろう。


「なあ鴫宮、俺がこの世界に来てから主観的には一年くらいしか経っていない。お前はどうなってんだ? それ」

「僕はちゃんと14年かけてここまで育ちました。だけど日本での生活の事は物心ついた時からはっきり覚えてるんです」

「つまりなんだ、お前は大人の心で少年時代を過ごしてるのか? 畜生やっぱり羨ましいぜ、そんなん最高じゃねーか」

「あはは……だけど僕、この世界の家族の事も大好きなんです」

「そりゃあ、そうだろ。おい、まさかあの胸のデカい可愛い子はガチのマジのお前んちのメイドさんなのか、秋葉原とかに居るやつじゃなく」


 先輩がシルレインを後ろ指で差す。僕も負けじと後ろ指を差す。


「先輩こそあのツインテールの美少女騎士みたいな子はなんスか、あの子16歳くらいじゃないんスか? 付き合ったら犯罪スよ、東京都条例違反ス」

「いやまあ……あの子はそんなんじゃねえから……」


 そんな僕らの様子を見て、シルレインと、ツインテールの女の子が近づいて来る。


「クローゼさま。そちらはお友達の方なのですか? 10年側仕えをさせていただいている私も知らない、そんな親友をいつの間に拵えられたのですかクローゼさま」

「その子は誰なんですか先生、その子はなぜ先生の事を先輩と呼ぶのですか、その子は私より小さいのに先生の弟子ではなく弟弟子なんですか、教えて下さい先生」


 二人とも、目が怖い……僕は思わず先輩を見てしまう。先輩も僕を見た。

 いけない、思いがけない人に出会えた喜びで、僕は今の状況を忘れていた。僕は今、苦境に立っている。

 この出会いは奇跡だ、だけど、だからと言って、先輩が僕の悩みを解決してくれる訳はないよな……でも、一応聞いてみようか。

 そして僕が口を開こうとした直前に、先輩は言った。


「待て鴫宮、お前貴族だと言ったなさっき、お前さ、もしかしてレヴィル公爵ってやつに口利き出来たりしないか?」

「えっ……レヴィル公爵って、待って下さい、どうして先輩がその名前を!? そもそも先輩は、なぜ今この町に来られたんス……ですか!?」


 僕がそう尋ねると、先輩は空を見上げ頭を掻いた。


「そうだな……こっちに来てからいろんな事があったんだよ、俺も。えーと……どこから話そうか」

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異世界魂! ~異世界転移したら貴族六男だった!ハズれスキル持ちだからっていきなり追放されるのひどい↓ わかりました、蛮族しか居ない辺境の領地を治めます……でもここわりと居心地よくない? なのちとりどみ @nanochitoridomi

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