第対称差話

 アリウスは密かに水道局を訪れ、水路と工事の図面を盗み出して来てくれた。


「【聖賢】の私が盗みを働く事になるとは。これでまた何かに怖気づいたら許さんぞ、クローゼ」

「ありがとうございます、本当に恩に着ます、兄上」


 フードで耳を隠し顔や手に泥を塗って変装したレーニャは、アリウスが描いてくれた地図の写しを手に出掛けて行った。

 僕は気が気ではなかったが、アリウスに言われた通り父の喪に服し、屋敷から出ずに過ごした。


「俺はレーニャを手伝ってはいけないのか?」

「ポポロンは目立つから連れて行きたくないって、レーニャが言うから」


 僕は前世の知識をフル動員して、疫病と汚水の関係を文章や図に書いていた。前世の僕はそういう専門家などではなかったし、知っていたのは前世の中学、高校で習える程度の事だったのだが。

 この世界には魔法やスキルはあるが、病原菌やウイルスの事は知られていない……さすがにそこから書くのは大変だし、人々の理解も得られないだろう。

 服や毛布にたかるノミやシラミ、下水と民家を往復するネズミとそのフン、そういうものが病気の原因になる。だからノミのわいた服は洗わなくてはならないし、毛布は日にあてて干さないといけない。ネズミに食料をかじられてはいけないし、ネズミのフンには気をつけないといけない。

 そして汚れた手は洗うこと、体を清潔に保つこと。僕はそういう事を書き綴る……いつか人々に見てもらえる時の為に。

 まあこんなのが役に立つ時が来るかどうかは解らないけど、レーニャが戻って来るのを待つ間何もしない訳にも行かない。父とだって約束したのだ、きっと疫病を食い止めてみせると。

 その父は、僕との約束を果たす事なく旅立ってしまったのだが。


   †


 レーニャはやがて、得意顔で戻って来た。


「行って来たよ領主さま! どう? あたし役に立つでしょ、あたし達猫族は真っ暗な地下道でも明かりを点けずに走れるんだから!」


 確かにこの仕事はレーニャにはうってつけだったようだ。僕はレーニャが色々な所から採取して来た瓶入りの水を地図の上に並べ、『浄水』のスキルで調べて行く。


「やっぱり迂回水路の水はまるで汚れてない……設計がいい加減で思惑通りの流れが作れていないんだ、それで下水の本管に流れる水が不足して、そこらじゅうで目詰まりを起こす原因になってる」


 これで少なくとも、王都の下水が機能不全を起こした原因が、古代の水道を破壊した事と、新設した迂回水路が機能してない事だと解った。

 それでこれからどうするのか。レヴィル公爵家に問題を訴え、早急に回復工事をさせるのか?

 出来るだろうか、そんな事が……四公家というものがどういうものか、父を見る限り、そんな甘いものだとは思えないのだが。


「クローゼさま。貴方は十分に戦いました、クローゼさまはまだ14歳なのです、原因を突き止めただけでも大変な事なのですから、後の事は大人たちに任せて、貴方は助平な少年らしく女の子の尻でも追いかけていたら宜しいのですわ」

「少し調子が戻ったねシルレイン……ありがとう、ガッツが涌いて来たよ」

「お待ち下さい、何を始めるおつもりですか」

「決まってるだろ、レヴィル公爵に直談判する、もう証拠は掴んでるんだ、話ぐらいは聞かせてみせる」

「いけません、それはアリウスさまにお任せして……」

「兄上に頼ってるうちは、シルレインも大人扱いしてくれないんだろ、僕の事」


 そして大袈裟な衣装と金髪縦ロールのかつらで正装し正面からレヴィル公爵家に向かった僕は。


「当主を失ったミストルティン家から何の御用で? 葬儀の答礼でしたら時勢に鑑み謝絶させていただきます。お引き取り下さい」


 執事見習いくらいの奴に、あっさり門前払いを食わされた。


「私の話を聞いていなかったのかクローゼ! レヴィルが大人しく過ちを認めて再工事をすると思うのか? 手抜き工事の件は私がじっくりと根回しした上で、陛下からレヴィル家への糾弾が向くよう仕向けてやる、陛下の名声には傷がつかず、ミストルティン家は無関係でいられる形でだ、お前は余計な事をするな」


 すごすごと屋敷に戻った僕はアリウスに叱られた。だけど僕には僕の思いもあった。


「もちろん兄上ならそれが出来ると思います、ですがそれにはどのくらいの時間がかかるのですか」

「一年……いや半年でやってみせる」

「人々は今苦しんでいるんです、レヴィル家を糾弾して、その後で新たな迂回水路を設計してそれを建設してでは何年かかるか解りません、そもそも今の我々に古代文明のような、流体工学を駆使した完璧な地下水路が作れるのかどうか」


 教養のあるアリウスは閉口する。この世界にもかつては古代ローマのような優れた都市工学を持つ文明が存在したという。それは名誉と男らしさを重んじる僕たち蛮族の祖先に征服され、消滅してしまったそうだ。


「クローゼ、ではお前はどうするべきだと思うのだ」

「水路はあの凱旋門の場所を通るべきなのです、古代の人々がそういうふうに設計したんです、間違ってもそこを破壊しないように、その上に都市市民たちの憩いの場所となる、都市の中の貴重な緑となる公園を作って」

「つまりどういう事だ」

「上品な工事は後回しです、とにかくあの場所を王都の下水の幹線として復活させたらいいんです、ただの農業用水のように露天掘りで溝を作ればいいんですよ、そして元の本管に接続すれば王都の下水には豊かな水が流れ、病の素をきちんと押し流してくれます、きっと!」


 アリウスは手のひらで顔を覆い、二、三歩後ずさりしてよろめいた後で、笑い出す。


「クク、ク……馬鹿じゃないのかクローゼ、お前は大馬鹿だ、心震わす大馬鹿だ! 私は常々そうでないかと思っていた、やはりお前はただの劣等生ではなかったのだな、お前は、天下無双の大劣等生だ! はははは……」


 褒められてるのか貶されているのか全く解らないので、僕はただアリウスの笑いの発作が止まるのを待った。アリウスは……邪悪そうに顔を歪めて笑ったまま、僕の方に向き直った。


「お前も言った通り陛下はそこに凱旋門を作ろうとしている、それをどうする」

「レヴィル公爵が単純に施工ミスを認めてくれる可能性はありませんかね? そこで陛下が応急処置を命じたという形にすれば、陛下の面目は立つかと」


 僕も邪悪そうな顔で、声を落としてアリウスに応じる。


「レヴィルが大人しく施工ミスを認める訳がない……通常の手段ではな」

「そうですね、通常の手段では無理でしょう、だけど今はたくさんの人々が苦しんでいる非常事態なんです、このままではいつ陛下が疫病に罹ってもおかしくありません」

「その通りだクローゼ。解った。私がやろう。通常ではない手段を使ってでも、レヴィルに施工ミスを認めさせる」


 アリウスはそう言って身を翻して去って行く。頼もしいなあお兄ちゃん……アリウスならきっとやってくれる。僕は大人しくそれを待つべきだ。

 僕は一旦、金髪縦ロールのかつらや貴族っぽい正装を脱ぐため、自分の部屋に戻る。

 廊下と寝室を隔てる次の間には、ポポロンとレーニャの寝袋が敷いてある。僕は客間で寝てくれたらいいと言ったのに、二人はここで僕を守ると言い張るのだ。だけど今ここにはポポロンは居るけどレーニャは居なかった。


「ただいま……レーニャはどこかへ行ったの?」

「領主どの。レーニャは貴方の命令で出掛けたのではないのか」

「えっ……僕何も言ってないよ」

「そうなのか? 領主どのの為にレヴィル公爵の弱みを探しに行くと言っていたが……なあ領主どの、俺にも何か命令をくれないか」


   †


 嫌な予感しかしなかった。


「クローゼさまは喪に服しているのです、レーニャを探すなら私たちが」

「父上が生きてたら行けって言うよ! シルレインもポポロンも手伝って!」


 他所の事は言えないが、レヴィル公爵の屋敷は頭が悪いんじゃないかという程大きく、その敷地は東京ドーム2個分の広さを持っている。

 僕はやみくもに敷地の周りを走り回る……こんな事をしてレーニャが見つかる可能性は低いが、だからってそうしない訳にも行かない、とにかく嫌な予感が止まらない、これは絶対何か起こるパターンだから!


 果たして。


「屋敷の中庭でネコが捕まったって?」


 公爵屋敷の隣、使用人長屋の並ぶ一角にある立ち飲み屋の前を通った時。僕はそんな声を聞きつけ、立ちすくむ。


「何でネコなんか捕まえたんだ」

「でかいネコなんだよ、何たって人間の女の子程もあるんだから。服も着てるし二本の足で歩く、14、5歳くらいの可愛いネコの女の子なんだ」

「それはネコじゃなく人間だろ」

「ネコだよ、ネコみたいな耳と尻尾が生えてんだから」


 予感は的中した。最悪だ……レヴィル公爵の弱みを掴むどころか、レヴィル公爵に弱みを捕まれてしまった。どうしてこんな事に……


「だけど何で捕まえる事になったんだ」

「公爵閣下が育ててたマタタビの木にへばりついて、変な声で鳴いてたんだと」


 ああ……猫に仕事なんか頼むもんじゃないな……いやそんな事言っちゃいけない、レーニャは心意気でそうしてくれたのだ。

 僕は取り敢えず同じようにやみくもに走り回っていたポポロンと、屋敷への潜入工作を整えていたシルレインを捕まえる。


「マタタビとは何だ? 領主どの」

「ああ、ポポロンたちは知らなかったんだ……ネコの天敵だよ、ある意味」

「それなら尚の事、私が忍び込んでレーニャを救出して来ます」

「やめてシルレイン、一旦落ち着こう、まだ普通に釈放される可能性もあるから」


 失意の僕は肩を落とし、二人を連れて屋敷へと戻る。

 疫病に襲われた町の景色は、相変わらず陰鬱だ。行き交う人々は互いを避け、疑いの目を向けあっている。

 路地には見捨てられた人が横たわり、町全体を淀んだ空気が覆って……ん?


―― ひら、ひら……


 ちょうちょが一羽、前から飛んで来た……ちょうちょなんて別に珍しいものではないけど、何故か気にかかる。僕の前を通り過ぎたちょうちょは、一段下の広場の方へと飛んで行く。僕はちょうちょを目で追って振り向く……


 次の瞬間。僕の目は、広場を歩いて行く一人の男の背中に釘付けになっていた。


「あ……あああ……あ……」

「どうした? 領主どの」


 そんな、嘘だ、どうして!?

 手が、足が震える、涙が湧きだす……こんな事ってあるの!? あの人は……あの人は!!


「わあああああああ!!」

「クローゼさま?」


 ポポロンとシルレインを置き去りにしたまま、僕は奇声を発し駆け出していた。

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