第十四話
「着きました、ここが車で行ける限界です」
車に揺られて数分で、蘆屋の言っていた目的地に到着した。車体は木々に囲まれ、泥混じりの砂利の上に停まっていた。
車の中では誰もが田んぼや木々を見つめており、これから対面するであろう地獄に備えてできる限り心を落ち着かせようと努力していたのだった。
三人は車を降りると蘆屋の案内の元、道なき道を歩いて行った。しばしば岩に足を滑らせたりしながらも、木々を掴んだり何人かで助け合ったりしながら、なんとか険しい道を進んでいた。
「それで―――お二人は、この事件をどう考えているんですか」
歩き始めてから数分経ったところで、蘆屋が前を向いたまま息を切らして尋ねた。身体の大きな蘆屋は既に体力が大幅に削られているようで、度々止まっては大きく深呼吸する、というのを繰り返していた。
「前から気になってましたけど、もうそろそろ聞いていいかなって思って」
「どう、と言われましてもね。まだ分からないこと―――ばかりですよ」
そう答える土御門も朝からの過度な運動に顔を歪めており、蘆屋の質問に対してすらすらと答えられずにいた。体力に自信が無い土御門は、何度も阿久津に手を差し伸べてもらったりしながら、慎重に道を選んで進んでいた。
一方で阿久津は流石の体力と運動神経自慢で、息を切らすことも無く汗一滴すらも滲ませずに軽々と道を進んでいた。
「まだまだ仮定やら想像やらばっかりといった感じですよね。しかもその仮定だって万人に胸を張って発表できるようなものでも無いですし」
岩岩を飛び移りながら、阿久津は前で木に手をかけている蘆屋に向かって答えた。土御門は蘆屋から視線を逸らしている。それをみて蘆屋は進捗があまり良くないことを悟り、天を仰いだ。
「うーん、どちらにせよ、近々仮の答えは発表しなきゃいけないでしょうね。これだけのことをされていて、こっちもだんまりじゃあ警察の立場が無いってもんです。そりゃ何かしらの形で解決できたらそれも必要なくなりますけどね」
「そう―――ですね」土御門は力なく答えた。
三人は勿論体力的にも疲弊していたが、何より彼らを蝕んでいたのは他でもない、超常的な被害をもたらす天災のような何かなのであった。
「お疲れ様でした、ここが現場です」
蘆屋が指を指した先には既にブルーシートやらテープやらが張り巡らされており、そこはまるでスプラッター映画の後処理をしているような仰々しさだった。
車から降りて十分程度でたどり着いたその場所は、北山が言っていた物置から少し山を登ったところにあり、木々に囲まれている窪みのような箇所だった。
標高もそこまで高くなく、標高だけでいったら大門家の方がよっぽど高い場所に位置していた。気温も地上と特に変わることがなく、三人の辺りも湿気に満ちていた。
「ちょっと待っててください、鑑識の人を呼んできますんで」
蘆屋はそう言うとブルーシートをかいくぐりながらどこかに消えていった。
辺りは北山が騒ぐのも分かるほどに匂いがきつく、数分いるだけで鼻が曲がって嗅覚が失われそうなほどだった。
阿久津も土御門も、車を降りてからすぐに風に乗って奇妙な匂いがするとは思っていたが、今いる場所はそれとは比べ物にならない激臭だった。
一言で死体、といっても、これはいくつか腐っているものも混ざっているな。土御門が疑いようも無くそう断言できるのも、この匂いが原因だった。
「土御門さん、阿久津君、ちょっとこっち来てください。実際に見てもらった方が速いと思うんで」
二枚ほどブルーシートを挟んだところで、蘆屋がのれんをくぐるようにして二人を呼んでいる。ため息と共に覚悟を決めて歩き始めた阿久津の肩を叩いた土御門は、ふり返った阿久津の手首を掴んだ。
「これ、マスク。少しでもマシになるだろうから、付けていきな」
「あ、ありがとうございます。助かります」
「蘆屋警部にも付けるように言わないとね、全く。彼の神経には驚かされるよ」
土御門はそう言うとマスク越しに小さく笑った。
二人が呼ばれた場所にたどり着くと、蘆屋の隣にはバインダーに大量の書類を挟んだ重装備の男が立っていた。
ヘアキャップや手袋に留まらず、足元にはヘアキャップと同じような材質のカバーがかぶせられていた。
「お二人も、できる限り帽子を深く被ったりして自分の体毛などを落とさないようにしてくださいね。蘆屋警部のような格好は論外ですから」
「は、はは、厳しいなあ―――」隣でうなだれる蘆屋はマスクとヘアキャップを強制的に付けられていた。
阿久津と土御門がそれらの装備をもらって装着している間にも、蘆屋と鑑識の男性は書類をめくりながら話を進めていた。
「お二人は日柱村の駐在所の方で良かったですかね。阿久津巡査と、土御門巡査部長ということで」
「はい、間違いないです」土御門は帽子を直しながら答えた。
「分かりました。ではそうですね、まず分かっている情報から共有します」
男はその都度、現場をペンで指しながら説明を続けた。
「まず見つかった死体についてです。人間の死体は計三名。それぞれ三十代男性、二十代女性、そして十代前後の女性です。三名の死体はここら一帯に散らばるように転がっており、状態に関しても相当酷いものでした。
死亡推定時刻は不明です。この不明、に関しては、二日以上経ってしまっているから、という意味です。更に調べるなら、もう少し時間がかかります。
ですが、十代前後の女性に関しては、皮膚の状態から見てもそんなに日にちも経っていないとは思います」
抑揚の無い声で説明されるせいで、三人には事態の重大さが薄れて聞こえていたが、話の内容が不気味で狂気の沙汰であることは疑いようもなかった。
誰もがその現場にのまれそうになっている中、阿久津は意識を保とうとなんとか声をひねり出した。
「人間の、ってことは、人間以外もあるんですよね」
「ええ、なんならそっちのほうが多いです。多くは猪や熊、といった比較的大きな哺乳類ですね。中にはウサギなどの体毛と思われるものも散見されましたが、そこまで数はいませんでした。
もしくは、毛しか残っていないところを見るに、まだ見つかっていないという可能性もありますけどね」
数々の動物と人間の死体―――この状況はどうしても、阿久津と土御門に怜治の話を思い出させていた。
「それ以外の細かな状況に関しては、実際に死体を目の前にしてお話ししたいと思います。状況が分かりやすいように、まずは三十代男性の死体の元に行きましょうか」
三人は言われるがまま彼に着いていき、ブルーシートで作られた壁をくぐった。そこにはまだ、生々しいまま残された惨い死体が転がっていた。
「こちらが先ほどいったとおり、三十代男性の亡骸となります。見てもらったら分かる通り、上半身も下半身も乱雑に欠損しています。
彼でさえこれほど状態が悪いですが、ほかの二人は元の身体が彼より小さいこともあり、更に残っている部分が少ないです。なので外傷などは基本的に彼のものを参考にしていただければいいと思います」
死体を視界に入れた土御門と阿久津は、少ししてから同時に目を見合わせた。
蘆屋は未だに頬を引きつらせていたが、二人は若干、このような死体を見るのが慣れっこになってしまっていた。
衣類すらほぼ無い状態で泥や土で汚れた肌に、所々に見られる汚い切り傷。そして関節付近に特に見られる痣や打撲の痕。どれもこれも、写真で見てきたものと酷似している。
これは七、八年前のものと同じものだと判断して良い。それが二人の共通認識だった。
「この死体がここまで運ばれた形跡、のようなものは見つかっているのですか」
土御門は冷静に言葉を投げた。
「そうですね、そこかしこに血痕がありまして、彼らを含めた数々の死体がここらでごちゃ混ぜに転がったのではないか、という仮定は出ています」
鑑識の男は辺りを見回してそう言った。
「というと、その血痕にも法則性はないということですね」
「はい、そういう認識でいいと思います」
「では、その血痕の範囲というのは分かっていますか」
土御門の質問に、鑑識の男は書類を雑にめくりながら唸っていた。
「今の段階で分かっている範囲、ではありますが、ここから頂上へ向けて半径十メートルくらいのものだと思われます。飛沫を含めてですがね」
「半径十メートル―――広いですね。しかもこれから更に広がる可能性もあるとなると、これは相当だ」
「そうですね。ですが、先ほど土御門さんがおっしゃられたとおり"これらの死体は何者かがここまで運び、雑に投げ捨てた"と考えていいと思います」
「それはなぜですか」土御門は分かりきったようにいう男に、怪訝な表情を向けた。
「単に、遠くに行くにつれて血痕の量が減っているからです。それに、死体のそれぞれに打ち身のような跡もありますしね」
「その範囲よりも奥には血痕は見られなかったんですか」
「はい、だからこのような仮定に落ち着いているというわけです」
流石は鑑識、調べるべき所は最低限調べ尽くした上で、結論を出しているわけだ。
しかしまだ納得のいかない部分はある。そう思って食い下がろうとしたとき、隣の蘆屋が土御門に続いて質問を続けた。
「運んだ、というのなら、その運んだ方法に関しても何らかの痕跡が見つかったんですか。こんな樹木だらけの所、どれだけ小さな車両でも来られやしない。それに台車のようなものを使ったとてこの量では一回で済まないだろうし、濃いタイヤ痕のようなものが着くはずだ。
それが見つかっていないのなら、結論を出すのはまだ早いのでは」
鑑識の男はバインダーを抱え、マスクをしていても分かるくらいに表情を曇らせた。
「それは―――まだ見つかっていません。その方法に関しては、我々の方では未だ仮定にすら至っていないんです。先ほどの仮定に関しては"そうでもないと常識的に考えてあり得ない"という意味での仮定です。
その仮定すら間違っているのなら、あれだけの死体がここ付近に突然現れたということになってしまいますからね」
優れた鑑識であっても、やはりこの事件が難解なものであることに変わりはないようだった。少し深くまで調べようとすると、すぐに常識が通用しない事態が顔を出す。
そんな彼らの気持ちが、土御門にはどこか分かるような気がしていた。
阿久津はしばらく彼らの話に耳を傾けながら、ただ死体の状態を見つめていた。
そして誰もが黙り込んだとき、死体に向かって呟くように声を漏らした。
「そういや、彼らの身元ってのはどうなってるんですか」
「え―――ああ、身元はまだですね。色々な方法で確認しようとしてるのですが、如何せん持ち物が一つも無いこともあって。身体の情報からなんとか見つけようとしているのですが―――流石にまだ時間が足りませんね」
「そうですか―――」
阿久津は声を落とした。
しかしまだ死体が見つかってから一日二日だ。時間が経てば彼らの身元が割れて、そこから目撃情報などに繋がるかもしれない。
阿久津は自分の中で自分を納得させていた。
「―――では、そろそろ違う場所に移りましょうか。人間の死体は見ていただけましたので、次は動物の方を見ていただきます」
鑑識の男は三人を見渡して、背を向けて歩き出した。
三人はそれに続き、再びブルーシートやテープなどをくぐり抜けた。
そして少し歩いた先で男が止まり、三人も足を止めて顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
大きな樹木にもたれるように倒れていたのは大型の熊で、その身体はそこら中から引きちぎられたように穴が空いていた。
身体がそんな状態だからか、何故かあまり傷の無い顔が一層映えており、その顔は牙をむき出しにしながらも、どこか恐怖に塗れているように見えた。
すぐ隣を見ると、太い針が刺さっている巨大な毛玉のようなものが転がっており、それが熊の拳であることに気が付くのには、皆少し時間がかかってしまっていた。
「見てもらったら分かると思いますが、これが先ほどお話ししていた熊の死体です。この死体の状態から見て、先ほどの人間と死因は同じものだと考えられます―――が、正直謎は深まるばかりですね。
熊がピンピンしてくれていたら、彼らは熊に喰われたという結論で納得だったのですが、熊がこの調子だと―――もうお手上げですね」
「熊と彼らがやり合ってこの惨状になった、というのも、中々考えづらいですしね。数名女性らしいですし」
鑑識と蘆屋が頭を抱えている中、阿久津は座り込んで熊の死体に近付いていた。
「あ、動物とはいえ一応状況証拠なんで、あんまり近付きすぎないでくださいね。触ったりするのもだめですよ」
「ああ、分かってます。近くで見たかっただけなんで」
阿久津は座りながら後ろにいた鑑識の方に頭を回すと、再び死体に視線を戻し、目を凝らして傷口に焦点を合わせた。
人間の死体と熊の死体。これらが死因が同じなら、熊の死体は人間の死体よりも大きいこともあって傷口が見やすい。
「どうしたんだい、いきなり死体に近付いて。何か気付いたことでも?」
土御門は阿久津の隣にしゃがみ、同じ目線で死体を観察し始めた。
そのとき、阿久津はまだ土御門に話していないことがあることを思い出し、慌てて口を走らせた。
「いえ、傷口が見たくって。熊って人より大きいから傷が見やすいじゃないですか。だから人間の死体についている傷と見比べようかなって。
始まりは街中で発見された死体でした。あの悲惨な傷口がもし、何かの歯形だとしたら―――と考えて、よく観察したんですけど、あの死体についていた歯形は、人間の歯のように緩い放物線上のものだったんです。
ということは、大きな人間のようなものが、その身体を噛みちぎったとも考えられるじゃないですか」
土御門は目を見張っていた。死体の状態から原因を推理しようとしていた自分では、死体の状態と伝承を繋げて考えようとはしなかった。これはまごう事なき、彼なりの視点だ。
土御門は驚きを混ぜた笑みをこぼし、阿久津の話に耳を傾けた。
「なるほどね。私は今までそういう着眼点で見ていなかったからあまり覚えていないんだけど、我々が見てきた死体で確認できた歯形は、どれもそういった広い歯形だったのかい」
「俺が確認したものだと、どれもそうだったと思います。でもさっきの死体ではそれが確認できないほどの状態だったんで、この熊で確認しようとしたんですけど―――」
阿久津はそう言いながら、熊の死体を隅々まで観察した。しかしどうだろう。その抉られたような傷跡はどれも、以前確認したものよりも角度が急なように見えた。
人の歯形、というよりもさらに鼻が長い生物のもののように見える。
「あれ―――おかしいな、これだけのサイズなら確固たる証拠になると思ったのに―――」
「確かに、これだとまるで猿神の方よりも犬神の歯形と言われた方が納得できるよね。大きな犬って言ってたわけだし、きっと歯形はこんな感じのきつい角度の弧になるだろうしね。
でも良い着眼点だと思うよ。これが何かの歯形だと考える視点は、私にはできなかった」
「そっか、まず歯形かどうかすら怪しいのか―――また先入観で見てました、俺」
阿久津は頭を搔いて背中を曲げた。ようやく自分も何かの役に立てると思っていたのに、またもやスカを食ってしまった。
うなだれる阿久津を土御門が背中をさすって励ましていると、後ろから芦屋の声が響いた。
「大丈夫ですか、吐きそうなんですか、阿久津君。それなら袋あげるんで、現場には吐いちゃダメですよ」
「いえ、そういうわけではないので―――」土御門は背中から手を離して弁明した。
「そうですか、なら次の所行きますよ。大体のことは聞いたので、最後にもう一人、人間のものを見てから山を下りましょう。それ以上は鑑識さんの邪魔になっちゃいますし」
「そうですね。分かりました、ほら、いこうか阿久津君」
「すいません―――ありがとうございます」
先に立った土御門の手を取って立ち上がった阿久津の足は、少し膝の辺りが痺れていた。その足を振ったりしながら、阿久津は蘆屋と鑑識の元まで歩いて行った。
「はい、それでは最後は―――そうですね、十代前後の女性の死体を見ていただこうかと思います。まだ小さいのに被害に巻き込まれてしまって―――正直僕も非常に胸が痛みました。胸糞の悪い話です。
なので皆さんには、なにがあろうとこの事件を解決していただきたいんです」
鑑識がそう良いながらブルーシートの幕を上げると、そこには小さな身体がバラバラの状態になって散乱していた。
そしてその姿を見た途端、阿久津はその足の痺れが、虫の知らせのようなものであることに気付いたのだった。
「あの―――ミサンガ―――」
阿久津は喉が張り裂けそうになりながら、なんとか声を絞り出した。
腕だけになったか細い手首にかろうじて引っ掛かっていたものは、阿久津が編んだミサンガに他ならなかった。
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