第四話

「この土砂崩れで壊れた祠、これが犬の神を奉る祠だったそうだ」


 土御門はペンのキャップを閉めて、阿久津の方へとふり返った。部屋には静寂が染みわたり、二人とも理屈は理解できていても信じられないという思いが隠せずにいた。


「でもこれは―――つまりそういうことですよね」阿久津がようやく口を開く。

「一連の事件にが関わっている、と仮定するなら、だけどね」


 その瞬間、阿久津は頭の中で疑問が湧き上がり、おもむろに顔を上げた。


「ん? 待ってください、なんか普通に話聞いてましたけど、なんで今更こんな話を俺に? 解決してないとはいえ、あえて今から調査に移るような話でもないですよね、現にこれらの事件は土御門さんが沈めた、っていう認識で知れ渡ってるわけですし」

「ああそうか、その話がまだだったね。それはなんの話をされてるんだと思って当然だ。すまなかったね」


 土御門は改めて死体の写真を一枚一枚丁寧にホワイトボードに貼り付けていった。凄惨な死体が綺麗に並ぶその様は、まるで何かの儀式のようにみえた。


「これらの写真を見て欲しい。何か、共通点があると思わないか」

「うーん、まず状態がとてつもなく悪いことですね。部位破損も激しいし、その傷の断面も汚い。まるで無理矢理引きちぎられたみたいです。それと―――後はなんかありますかね、如何せん状態が悪いせいで共通点と言われても―――」


 土御門は黙ってペン先を写真に写っている身体に当てた。それは阿久津の視線を死体の肌に注目させているようだった。


「こことか―――これとか。肌がちゃんとみえる写真で確認すれば分かることだが、どれもこれも土や草木のようなものが付いていて汚れているだろう? ここも―――ほら、この人だってそうだ。おかしいと思わないか、これらの死体が見つかった場所は山付近のものだけじゃなく、町中のものもあるというのに。

 ―――それともう一つ、これらはどれも損傷が激しいから目立たないけれど、この肌がみえているところを見て欲しい。ほら、この切り傷だよ。これ、最近どこかで目にしなかったかい」


 阿久津は確認できる中でできるだけ小さな傷を探した。腕や腹を切り裂かれたような傷がいくつも確認できる。

 そしてその傷を見た途端、嫌な想像が阿久津の頭を駆け巡った。そんなはずはない、第一これはオカルトなのだから、と否定したい自分が心の中で叫んでいた。


「魚谷ちゃんの―――茂みの草木で付いたと思われる傷と似てる―――ってことですか」

「そう、この汚れと傷。私もこれらの特徴があの時の魚谷ちゃんと酷似していると思ったんだよ。私は初めて彼女に会ったときはそれに気付かなかった。けど彼女の口から"犬の怪物"みたいな言葉が出ただろう? あの瞬間、数年前に調査したこれらの一件が私の頭をよぎったんだよ。それで改めて特徴を確認してみたら、この有様だ。

 だからあの連れ去り事件があった瞬間から、これらの資料を引っ張り出してきて、色々とまとめたりしていたんだよ。私も信じたくないことだけどね」


 土御門は手のひらで優しく資料に触れた後で、改めて阿久津に向き合った。


「それで私が改めて阿久津君にお願いしたいのはね、これらの再調査なんだよ。勿論私も同行する。前回はこれくらいしか聞き込みはできなかったけれど、それは私自身もそこまで信じていなかったからというのもあったんだ。

 でも今回は違う。魚谷ちゃんを含め、阿久津君までもが正体不明のものに傷つけられている。これは由々しき事態であり、私も無視できない案件だと思っている。だから今一度、私はこれらのことを全て調査したいんだ。ここまで聞いて、どうかな」


 阿久津は唐突に問いを投げかけられて、少したじろいだ。


 ―――オカルト的な視点で考えろ、とは言わない。その上で、どう思ったかを聞かせて欲しいんだ。


 この話の最初に土御門が言っていたことを思い出す。今、自分はこのオカルトじみた話への見解を求められている。阿久津は頭を回し、同時に思い出した。

 魚谷ちゃんの、怯えながらも自分を信頼してくれていた声。そしてその魚谷ちゃんを奪われたあの刹那の出来事。自分に向かってくる黒い影。


 その時感じた、自分に対しての無力感。阿久津の目には闘志が宿り始めていた。


「俺も、その件調べてみたいです。神だかなんだかは置いといて、魚谷ちゃんがいなくなった原因に少しでも近づける可能性があるなら俺はやります。できることなんでもしたいんです。

 ―――約束、守れなかったから」

 阿久津が握りしめていた拳は、いつの間にか力を入れすぎて痺れていた。


「分かった、ありがとう。それを聴けて良かった」


 土御門はある地点の住所のようなものが記された紙と詳細な位置が示された地図、その祠の写真が添付されている報告書を手に取り、それをホワイトボード上に書かれた"犬の神"という文字辺りに貼り付けた。


「前も話した通り、その祠とそれを守っていた一家は猿手山の中腹辺りにまとまっている。私たちはそこに行って、一家に話を聞く。まずはそっからだね」



 

 それから二日後、二人は駐在所の車で猿手山に向かうことになり、阿久津は土御門の心地よい運転に身を委ねていた。


「思えば俺、猿手山に入るの初めてかもしれないです」


 阿久津は窓の外を眺めながら言った。出発からは三十分ほど経っており、視界の中には木々が増えてきている。


「そうか、阿久津君が来てから山の方では特に大きな事件はなかったもんね。見回りも大体は山の中まで入ったりはしないし」

「そういや、なんで見回りって山の中までは行かないんすか? 山の中にも今から訪ねる一家みたいに村人はいるんですよね?」


 土御門は正面を見たまま少し黙り、顔をしかめた。


「それもね、ちょっと不思議な話で、私が赴任して来る前からずっと、あの山の中は巡回ルート外だったらしいんだよ。まあ多分村人がほぼいなくて、いるのは本当に訳ありの人達だけだからなんだろうけどね。

 私も疑問に思って何回か巡回の途中に山にも入ってみたんだけど、山道があるだけで本当に何もなくってさ。だから私も結局巡回するのやめちゃったんだよ」

「へえ―――そんなもんだったんですね、てっきりもっとやばい理由があるのかと思ってました」


 阿久津がそう言うと、土御門はふっと微笑んだ。


「分からないよ、やばい理由があるかもしれない。それを今から確かめに行くんだから―――それより、私こそ聞きたいことがあるんだけど」


 土御門は目線だけを少し後ろに移しながら言った。後部座席にはシェパードが横たわっており、時々あくびを繰り返している。

 彼は先ほど猿山警察署から借りてきていた警察犬であり、出発までのこの二日間は彼の出動を申請してからの待ち期間だった。


「いきなり警察犬が欲しいだなんて、私もびっくりしたよ。そりゃ魚谷ちゃんを探すためなんだろうけどさ、何か当てはあるのかい? やみくもにこの子を使っても、流石に見つからないと思うんだけど」


 阿久津は静かにポーチを開き、汚れた布きれを取り出した。


「これ、土御門さんが捨てた後にこっそりゴミ箱からとっておいた、魚谷ちゃんの服です。ほら、土御門さんに頼まれて鏡を探しに行ってた時に、ちゃちゃっと漁っちゃいました。これがあれば、魚谷ちゃんか誘拐犯のどちらかを見つけることができるんじゃないかと思って。

 あと、こんなこともあろうかと、もう一つ仕掛けをしておいたんです。これは魚谷ちゃん本人に、ですけど」


 土御門は目を大きく見開いた。阿久津がここまで頭を働かしていたという事実に、素直に驚いていたのだった。


「まさか、あのミサンガか」

「そうです、糸にそれぞれ特殊な匂いを付けて、それを編み込んで作ったものなんです、あれ。どれも自然界には存在しないような匂いですので、警察犬にも見つけやすいと思います」

「はあ―――凄いね、阿久津君。まさかそこまで予想してたとは思わなかったよ」


 阿久津は顔の前で手を合わせ、それをじっと見つめた。


「なんだろう、不思議な予感があったんです。本当になんとなく、ですけど。だからいつでも彼女を探せるようにしときたいなって」

「―――そうか、でも助かった。そういう勘は、流石といったところだね」


 車はまっすぐ車道を進んでおり、辺りはすっかり木々で覆い尽くされていた。 

 

 そしてそれから十数分後、車は林道を抜けて、大きな一軒家の前で停止した。


「ここが、その一家ですか。本当にポツンとあるんですね、山に入ってからここに来るまで一軒も家なんて見当たりませんでしたよ。あるとしてもちっちゃな神社くらいなものでしたし」

「そうだね、この道でたどり着ける家はここくらいだったはずだよ。さ、行こう」


 警察犬は一旦車の中で待って貰うことにした。二人で話し合って、まずは一家に話を聞くことから始めるという方針になり、彼の出番はこの山を去るときまで見送ることになったのだった。

 

 その一家は敷地自体は大きかったものの、実際に使われている場所はほぼないようにみえた。端の方にある蔵のような建物、畑の近くに細々と建っている物置小屋、玄関から繋がっている建物でもその末端などは等しく劣化が激しかった。


 二人は玄関の前に立ち、土御門が古いインターホンを指で押した。キィ、という嫌な音と共に家の中でベルが鳴り響く。それに呼応するかのように足音が近付き、磨りガラスの扉を開けた。


「はい、何か御用で―――」


 そこに建っていたのは齢三十ほどの男で、二人の制服を見た途端に表情を変え、言葉をなくした。

 何かを勘ぐっているのか、眉をひそめて二人を睨んでいる。


「突然すいません、私日柱駐在所の土御門と申します。数年前もこちらにうかがい、こちらに伝わる伝承のお話を聞かせていただいたものです」


 その男は斜め下を睨んで、何かを思い出す素振りを取った。そして何かに気付いたのか、再び土御門を睨んだ。


「あの時の、警官か。今度は何しに来たんだ、あの話は前あいつが聞かせたはずだろ」

「そのことで相談がありまして、もう一度、今度は更に詳しくお話を聞かせていただきたいんです。それと、今回は私だけではなく、後輩の阿久津巡査にも話を聞かせたくて。頼まれていただけませんか」


 男は血相を変えて何かを吐き捨てようとしたかにみえたが、それより前に土御門が頭を下げたことにより、その行動が成されることはなかった。

 言葉を飲み込み、男はそのまま奥へと消えていった。二人が数分待っていると、男がただ一言「入ってこい」とだけ告げて二人を先導した。


 二人が呼ばれた場所は大広間のような場所に、ただ仏壇があるくらいの簡素な部屋だった。しかし壁の上段には多くの遺影が飾られており、それらは部屋の四方を埋め尽くしていた。仏壇に一番近い写真に関しては、写真のほとんどがひび割れているほど経年劣化が激しかった。


 そしてその仏壇の前にただ一人、座布団に正座している人間がいた。曲がりきったその背中は、まるで亀の甲羅のようになっていた。


「久しいですねえ、あの時の警官さん」

 ふり返ることなく発せられたしゃがれた声がその部屋に響く。その声と同時に、案内していた男はどこかに消えていった。


「はい、何度も申し訳ございません。今一度、お話を聞かせていただいたくて―――よろしいでしょうか」

「ふふ、ふ、いいでしょう、いいでしょうとも。何度でも、どこまででも、聞いていってくださいな」


 阿久津は仏壇の隣に積んであった座布団を二枚持ってきて、そのお婆さんの前に並べた。土御門も阿久津もお婆さんの様子を伺いながらそこに腰を下ろした。

 お婆さんもその二人に合わせて仏壇に背を向け、二人の方を向いて少し微笑んだ。


「あの―――本題に入る前にひとつ聞いていいすか。」


 阿久津が小さく手を挙げた。お婆さんは身動きひとつとらず阿久津を目だけで追った。


「さっきの、お孫さんですよね。彼、なんであんなに俺たちを目の敵みたいにしてるんすか? そりゃ警察が家に来るってこと自体、あんまり気持ちの良いものじゃないのは分かりますけど、あの態度は異常でしょ。それに、以前土御門さんが来たときも拒絶されたらしいじゃないですか」


 お婆さんは姿勢を直し、大きく息を吐いた。


「あの子はね、犬神様の伝承が嫌いなんだよ。信じていない、というよりも、とにかく嫌いなんだ。あの子は勘違いしているんだよ、可哀想な子だ」

「お言葉ですが、そこまで嫌うのにはお孫さんなりの何か理由があるはずでは―――」土御門が口を挟む。


「あの子は小さい頃にね、犬神様に会っているんだよ。滅多にない、紛れもなく素晴らしいことだろう? でもあの子の場合、その時の恐怖が、あの子の中での犬神様を歪めているんだ。

 そりゃあ、小さいときに自分よりも大きな犬神様を見たら、怖いだろうさ。でもねえ、それが勘違いなんだ。犬神様は、人間を守ってくださる側の神様なのさ」


 阿久津はその話を聞いて絶句していた。それは土御門も例外ではなかったようで、どうやらこれは前回来たときには聞いていなかった情報なようだった。


 しかしこれが本当の話なのか、その恐怖が勘違いだとなぜ言い切れるのか。その答えはこの後に自ずと分かることだ、というのがこの時点での二人の共通認識だった。


「そうだったんすね、納得です。じゃあ、早速その犬神様―――のお話を聞かせていただいても良いですか? 俺に関しては初めて聞く内容なので、できれば一から聞かせて貰えると嬉しいんすけど」

「はいはい、勿論ですとも。まずは何から話そうかねえ―――うん、発祥から話すのが一番いいかね、きっとその方が分かりやすいだろうからね」


 お婆さんは再び姿勢を直し、今度は少し長めの咳払いをした。

 土御門はどっしりと構え、お婆さんをまっすぐ見つめており、阿久津はポッケから取り出したメモ帳にペンを突き立てていた。


「この日柱村と猿山市には昔から猿の形をした神様、猿神さるかみの伝説があったんだよ。この伝説はおぞましいものでね、猿神は"人を含めた動物をいたずらに食い荒らす悪神"として言い伝えられていたのさ。実際に猿神を見た人間は、その姿を語ることすらできないほど恐怖で狂ってしまう、という言い伝えもあるくらいに。


 実際にいろいろな文献でもこの猿神の所業は語られていてね、数百年前までは何者かに食い荒らされたような死体が転がっていることも頻繁にあったそうだ。本当だよ。しかも多いときは一ヶ月に二人が餌食になったこともあったそうな」


 "何者かに食い荒らされたような死体"という単語を聞いて、二人の目は少し険しくなった。数年前の不審死。あの写真が脳裏によぎった。

 数年前以外にもそういう事件があったのか、と阿久津は疑問を感じたが、その数百年という年数を聞いてある程度納得した。なるほど、それは資料が残っていないわけだ。


「しかしね、この被害が半年間もの間、一件も見られなかった年があった。そして時を同じくして、村で大きな犬のような姿をした何かが目撃されることがあったそうな。それが、我らの犬神様さ。

 犬神様が現れた年からは、その被害が圧倒的に減ったという。それに感謝した村人たちは、犬神様を奉る祠を建てたのさ。そして何があってもこの祠だけは失ってはいけない、その祠は村全体で守っていこう、というのが村全体のお約束ごとになったのだとか。


 この祠による信仰。それが神に力を与えた。正確には、神の力を強めた、ということなのだろうがね。それから先、猿神による被害は一切なくなったのだそうだ。犬猿の仲にも、決着がついたのだろうねえ」


「神の力―――それは神通力的な何かすか」阿久津は顔を歪めながら尋ねた。ペンを持った手は、異次元の話の連続による衝撃で止まっていた。


「ふふふ、ふふ。そうさね、神通力。そんな言い方もできるねえ。しかし犬神様の力は明確に言語化することができるんだよ。お前たちも聞いたことがあるだろう、"神隠し"、という言葉を」


「神隠し―――」二人は同時に口ずさんだ。


「そう、神隠し。それはその名の通り"本来そこに在ったものが神によって隠される"ことをいう。隠されるのがそのものの存在なのか、それともそこに在ったという事実なのか。はたまたそれら全てなのか。それは神のみぞ知る。

 ―――こんなことを言われても信じられん、そう思っとるじゃろ。否定せんでいい、そんな顔をしとる。でもなあ、これは実際にこの力に助けられた人間がおったからこそ、我々が知り得たことなのさ」


「―――それが、あなた方の祖先だと言うのですね」


 土御門がお婆さんにそう言ったとき、お婆さんは大きく口角を上げ、声を出さずに笑った。その笑みには誇らしさに似た何かが含まれているようにみえ、阿久津は少し不気味に感じていた。


「あれえ、そうかお前さんには少し前に話していたもんねえ」

「いえ、そこまではお話しいただいてませんでしたが、なんとなくそう思っただけです。そしてその恩から、この一家が祠の管理をし続けている、ということなのかな、と」


 お婆さんは「ははは」と初めて声を出して笑い、瞳孔の開いた目で土御門を睨んだ。


「そうだよ、その通りだ。随分と頭の切れる警官だねえ、びっくりしたよ。お前さんの言うとおり、うちの先祖は犬神様に救われたのさ、神隠しによってね。


 伝承によると、うちの先祖は猿神に狙われてしまったのだそうだ。一度は奇跡的に逃れたが、その後もずっと夢でうなされ、幻覚を見続け、猿神に喰われるその時をを常に待っているような感覚に襲われていたのだとか。

 しかしあるとき、その者の目の前に犬神様が現れた。犬神様はその者を連れ去り、一定期間ある場所に匿った。その場所は木々に囲まれており、どこまで見通してもその木々が晴れることはなかったそうだ。


 そのものは何が起こっているか分からない恐怖の中でも、犬神様が猿神から自分を守ってくれていると信じ続け、常に祈り続けていた。そしてあるとき、突然木々の間から光が差し、そのものは衝動的にその光の中へと飛び込んだ。するといつの間にかそのものは村の中腹辺りを彷徨っており、そんな彼を見つけた周囲の人間は驚いたそうじゃ。


 そしてそのものを見ると、皆口をそろえてこう言ったという。『なぜだろう、いつの間にか私たちはお前のことを忘れていた』と」


「その犬神様は、村人からも猿神からもそいつを隠したってことか。それで猿神から守り切った途端、そいつを解放した、と。それが神隠しだってわけだ」

「お前さんも話が分かる、そうだよその通りだ」お婆さんは阿久津にもにんまりと微笑んだ。

「犬神は人間の味方―――かあ」


 阿久津は宙を仰いだ。魚谷ちゃんの口から出た言葉は―――犬の怪物というものだった。そして彼女はそれから全力で逃げていたようにみえる。それが、人間の味方―――阿久津はどうもしっくりきていなかった。彼女の孫のように、幼いからその姿形だけで畏怖の対象としてしまっただけなのだろうか。

 

「犬神様の力、人間への優しさ。私たちにもよく分かりました。ありがとうございます。重ねてではありますが、私たちは数年前の不審死について、色々と教えていただきたくてここに来たのもあるのです。


 前回のお話では、あの不審死は祠が壊されて犬神様の力が弱まってしまったことが原因だと教えていただきました。今回のお話を踏まえてこの件を考えると、これは正確には"祠が壊れたことで人々の信仰を形となすものが無くなり、その影響で犬神様の神隠しという力が失われてしまい、猿神から人間を守ることができなくなったから"という認識で間違いないですか」


 綺麗にお辞儀をし、その後で土御門はさらさらと考えを述べた。それに対してお婆さんも目を見張り、感心した様子で息を吐いた。


「そうさ、神隠しは我々の信仰によって力を増している権能けんのうだ。あの祠が壊れることで、犬神様は我々を守ることができなくなってしまったのさ。それでもきっと、犬神様は裸一貫でも猿神に立ち向かっていたことだろう。

 そりゃあ被害は出ただろうがねえ、それは犬神様の加護によって最低限に抑えられたということ、ゆめゆめ忘れるんじゃあないよ」


 そう話すお婆さんの目は、まるで猛獣のように威圧感をまとっており、二人を一瞬怖じ気づかせた。




 お婆さんをあの空間に残し、二人は玄関までの廊下を歩いていた。

 歩く度に床からは「キィキィ」と耳を障る音が返り、無意識に忍び足で歩いてしまいそうになる。


「どうだった、阿久津君。話を聞いた感じは」

「いやあ―――正直俺よく分からなくなってきました。神だの権能だの、結局伝承じゃねえの、とも思います。

 ―――でも、同じくらい、このまままっすぐ帰る訳にはいかないな、とも思います」


 土御門はふっと笑い、阿久津の背中を優しく叩いた。


「奇遇だね、私もだ。そうと決まればとにかく彼を探そう、話を聞く」


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る