第二十一話 抒情、映画のような
そこから先のことは、いまいち覚えていない。
後から聞いた話によれば、国際無機生命体鑑別機関東京支部の、捜査員や隊員たちが、佐藤鑑別官の遺体を収容した後、その痕跡を徹底的に隠滅するため、偽装用宝石等を利用した周囲の清掃を行ったらしい。
今では何事もなかったかのようにして、この公園には、あの頭像が置かれている。佐藤鑑別官が肉の花を咲かせた痕跡は、一滴たりとも残っていない。朝を迎えることはない。
無機生命体の所有権は討伐者である俺と討伐補佐である琴森の手にあって、俺たちが希望すれば、あの死体を利用し宝石武装を製作することが可能だ。あの変異個体の性質を活かした武装を作るには、いったいどのような形が適しているのか。俺は茶花でもあるまいし、そんなのを考えることはできなかったので、今では保留している。おそらく、鑑別部隊から特別手当を受け取った後、譲渡することになるだろう。
からくも八硬級無機生命体〝黒船〟を討ち取った俺たちだが、殉職者を出してしまった。鑑別官を一人失うだけでも、無機生命体の増加に追い付けない今の鑑別部隊にとっては大損害だ。鑑別官を一人育て上げるには、途方もない時間とコストがかかる。
いや……そんな経済的損失の話ではない。
「…………」
琴森が、購入した亀のぬいぐるみをギュッと抱きしめている。
公園の外に止めていたバイクを動かし、俺たちはシェアハウスへと帰ってきた。あひるのような足取りで、お互いシャワーを浴びて、体を清めた後二人でリビングにいる。琴森が感じている心理的喪失は、きっと、とてつもなく大きなものだろう。誰かが目の前で、無機生命体に殺される経験。新人の琴森にとっては、これが初めてのはずだ。
「……佐藤さん、しんじゃった……下の名前も聞いてないのに。仲、良くしたかったのに……」
琴森にとっては、初めて知り合った俺以外の鑑別官だ。ニコニコと笑いながら握手もしていたし……いや、仲が良かろうが悪かろうが、目の前で人が死ねば、そう、気分が良いものでもない。
山田鑑別官はあの一閃を受けた衝撃で腕の骨に罅が入っているらしい。宝石に体を侵蝕され、意識を失った状態で病院送りとなった。最も近くで上位個体の攻撃を受けた前田鑑別官は、一通りの治療を受けた後、憤慨を隠さぬままバイクに跨り、帰投した。十硬級鑑別官のことをダイアモンドと俗に呼ぶが、彼は本当にダイアモンドのような屈強さを持っている。上位個体の奇襲攻撃を受けて、十硬級武装を持っているとはいえぴんぴんとしているのだから、やはりおかしい。
「……琴森。俺は、君に謝りたい気持ちもあるし、不甲斐ない気持ちもある。だけど……これが鑑別官なんだ。宇宙からやってきた生命体と、戦う職。命賭けだ。だからこれは決して、珍しい話じゃないんだ」
「なんでそんなこと言うんですかッ! 冷泉さんッ! さ、佐藤さん死んじゃったし、山田さんだってどうなるか分からないのにそんな言い方して――」
勢いよく振り向いて、俺の方を見た琴森が、ピタッと止まった。
「冷泉さん。なんで、泣いてるんですか……?」
「あ…………」
右頬を伝う涙の存在に、今、気づいた。手の甲で拭うようにして、涙を払う。
嗚咽が漏れ出そうになる。心に蓋をするみたいにして、湧き上がる自身の感情を抑えきった。
「悪い。琴森。この感情とは、この感傷とは、俺自身で決別する」
「…………ずるい」
琴森が思い切り、亀の人形を投げつけてきた。いきなりの行動に、ポスっと顔面にぶち当たって、亀が地面に落ちる。
振り向くみたいに俺の方を見ている琴森と、ただ立ちっぱなしの俺。時が固まったみたいに、見つめ合う中。彼女が大きくため息をついた後、俺の方を見た。
「ねえ。冷泉さん。今から映画、見ませんか?」
琴森の誘いを受けて、地下室のミーティングルームへ向かう。会議資料を映すために使われるはずのプロジェクターは今、新たに購入した琴森のパソコンに接続されていて、映画のワンシーンと思わしき画像をデスクトップ壁紙に設定していた。余暇の時間、彼女は映画を見ていることが多かったが、映画沼にどっぷりと漬かっているらしい。
「見てくださいこれ。この、パクリ映画」
琴森が、レンタルしたと思われるDVDを手にして俺の方を見ている。部屋には、チョコレートを始めとする甘いお菓子と炭酸ジュースやウーロン茶が置かれていた。映画といえばポップコーンが頭に浮かぶが、しょっぱいお菓子はほとんどない。
ミーティングルームには、絶対必要がないはずのスピーカーが四つ、音響を意識しながら配されており、これも全て、琴森が購入したものである。
……会議室だったそこは気づけば、シアタールームとなっている。
「いわゆるクソ映画ってやつなんですけど、一人で見るのむなしすぎるので、積んでたやつです。一緒に見ましょう?」
宝石投与の影響か、心理的な作用か。不思議と互いに、眠気はなかった。それならその特別な時間を、楽しんでしまおうというのである。
前田鑑別官から急遽与えられた三連休のオフが、俺たちにはある。罰当たりとはならないだろう。
……どうやら本部は、日食を本当に警戒しているらしい。十日後に控えたそれのことを考えて、前田鑑別官は俺たちに休息を取らせるという判断を下した。
プロジェクターが、大画面に映像を映し、大迫力の音声を流す。しかし、クソ映画という事前のコメント通り、その映画は突っ込みどころが満載だった。
「なあ。琴森。これが戦闘機の、パイロットの映画であることは分かるんだが……どうしてヘリが、戦闘機のケツに着けるんだ?」
「ここがクソたるゆえんですよ冷泉さん。ひゃーすっごい」
バリボリと、板チョコを琴森が喰らう。
「なあ……琴森。これ、パイロット映画なのに、なんでクライマックスが銃を持った戦闘機乗りによる地上戦なんだよ」
「ふふふ。疑問形じゃなくなった冷泉さんにはこれを楽しむ素養がありますね!」
ワーキャーして嬉しそうな琴森が、にやにやしている。彼女にも、趣味らしい趣味があるんだな。
「ふーやっと終わりましたね。積んでるの沢山ありますから。次見ましょう次」
琴森がどんどんと、映画を流していく。
演出された情愛。描かれた苦悩。誰かのストーリー。
泣いてしまうようなフィクションがあれば、笑ってしまうようなノンフィクションもある。そうやって、琴森プレゼンツの映画を、何本も見ていった。
デジタル朝刊の通知を受け明るくなったスマホの画面が、7:13という数字を映していた。
北米での日食が近いというニュースを流し読みした後、ゆっくりとお茶を喉に流し込む。
どの順序で、どれくらいの長さの映画を見たのかは、もう覚えていない。
だけど、一つだけ。確かに俺の心に残った、刺さった映画があった。
それは、ある海外バンドのストーリーだった。
そのバンドの顔であり、リーダーであるギターボーカルを失くしたところから物語は始まる。残ったメンバーたちとそのファンが始める、誰かを失った場所で新たな音楽を作るストーリー。
全員が等しく、傷ついた。
失ってしまった人は取り戻せなくて、その人との時間は、もう二度と紡げない。
その別れをきっかけに、まず取引先のビジネスマンが去った。友人が消えた。痛みを堪えきれず、いなくなったファンさえもいた。それでも、その人を悼んだ全員が一丸となって、結束を強めて、傷を舐め合いながら、再び不器用に前を向く物語を見た。
羨ましい、と思ってしまったなんて。
きっと俺はその別れに一人立ち去って、前を向くことも出来ずしがみついて、物語からいなくなってしまったサブキャラクターと一緒だ。
自分自身のことでさえも、まるで客席から眺めている誰かの物語みたいに、どうでもよく感じてしまっている。
「ぶっ通しで見たので流石に疲れましたね……」
独り言とも取れる言葉を呟いた琴森が、俺を見上げた。
俺という存在を彼女の物語に、俺を自分の物語に引きずり込む、琴森詠芽がこちらを見ている。
ミーティングルームの明かりを消す。掃除は、起きた後にすればいい。疲れた体を引きずって、階段を上った。あの映画を見て。俺は心の底から、こう思った。出来ることなら俺だって前を向きたいんだって。
あのUSBフォルダー。その三つ目を開けるときが近づいてきている。日高さん……彼女のやりたいことは、もう分かる。だけど、それに無理矢理背を押されるのは癪だ。
「琴森。起きたら……シェアハウスの大掃除、手伝ってくれないか」
「え……? もちろん、いいですよ!」
少しでも自分で、立ち上がって見せろ。
トーキョージェムストーンズ <宝石の怪物を殺す俺は、エメラルドの少女に出会った> 七篠康晴 @Nanashino053
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