第二十話 きれい、きたない


 山田鑑別官のすぐ横。頭部を失い、崩れ落ちるようにした彼女の肉体は、噴き出た自分の血を浴びている。


 体内に注入された宝石投与剤の影響だろうか。血に塗れた衣服はキラキラと輝いていて、なんだか、目の前の光景が信じられなかった。


 唖然として口を開けている山田鑑別官は、その肉の断面をじっと見つめている。


 吹き飛ばされた頭部の、その表情は見えない。何故なら、奴の体に浮かび上がるその彫像のように、顔が宝石に犯されてしまっているから。


「そん、な」


 琴森の、漏らすような声を聞く。


「クソッ!」


 山田鑑別官は横転し、彼女の死体から距離を取る。追撃に放たれた宝石は彼女の体を串刺しにして、きっと、中で内臓が破裂した。つんとした腐臭が、鼻孔を刺激する。


 視界の隅で、もぞもぞと動く何かの姿を見た。


 奇襲を受けた前田鑑別官の姿を発見する。全身に裂傷を負い血を流しているようだが、致命傷は負っていない。きっと、シャークシャンクの引き寄せを用いて、飛来してきた宝石の礫を一点に吸い取った。


 宝石の構造を見て、奴の異能を察知する。


「宙に揺蕩うこの黒。おそらくこれもまだ、奴の体だッ! その中にいる限り、俺たちの動きは奴に看破されているッ!」


 琴森の弾丸を避けたのと、奴らが山田鑑別官たちの方を狙った理由。それはそのどちらもが、あの黒の霧の中にいたから。


 今なお濃霧の中にいる山田鑑別官の表皮が、パキパキという音を鳴らしながら、黒に染まり、ぽろぽろと落ちていく。佐藤鑑別官の遺体は既に、黒の彫像と成りかけていた。


(高度な知覚能力と、霧でじわじわと喰らい宝石に転化させる能力! どうやってこんな変異を迎えた?)


 焦っている、場合じゃないのに。


 のうみそが、指でぐるぐるとかき混ぜられたみたいに、ぐちゃぐちゃになる。


 地に倒れる彼女の姿が、彼と重なって見えた。琴森を守ろうと、先ほどまで勇ましく動いていた体は、もう竦みあがったように動かなくて。


 目の前で、回転する円盤状の宝石に迫られる山田鑑別官の姿が見えた。


 いなすには、余りにも難しい構造をしている。宝石にかじかんだ両手では、先ほどまでの巧技を披露する余地もないだろう。


 立ち上がる前田鑑別官の姿を見た。あれでは、きっと間に合わない。



 俺が誰とも組まない理由。それはきっと――――



「冷泉さん! 私、どこ狙えばいい⁉」



 琴森の叫び声が、右耳に突き刺さる。目を見開かせて、自分の役割を思い出した。


 そうだ。今の俺は、彼女を育て、磨き上げるための研磨剤。少なくとも日食までの間、彼女だけは守らなければならないのだ。


 残弾、二発。いや、懐にしまったリボルバーも含めれば、八発か。


 奴の能力の前では、琴森の百発百中の射撃も意味がない。また、着弾地点に空洞を開けて回避するだろう。その隙を突くのも悪くはないが、それではその前に山田鑑別官が殺されてしまう。残弾は殺すのではなく、削るのに使うべきだ。


 察知する霧を何とか薄められれば? その効果が落ちて、俺の目と奴の目の読み合いに出来る!


「前田さんッ! シャークシャンクの異能を全力で!」

「……ッ!」


 この距離からでは間に合わない。それを痛感していた前田鑑別官が、俺たちに託す。


 彼は唯一無二の武装であるシャークシャンクを投擲し、山田鑑別官の前に突き刺した。

 青の輝きを渦潮のように発露させ、渦巻くそれが黒を巻き込み、槍が喰らっていく。


「琴森! 熱源の指定はしない! 全身に目掛け、全弾発射!」

「っぁああああ‼‼」


 レバーアクションを二発放った後、それを宙へ放り投げ、懐より取り出したリボルバーが、火を噴いた。


 体の輪郭をへこませ輪っかを作って、奴が回避する。しかし放った弾丸の半数が、奴の体を貫通した。


 神経ともなる脈を貫かれ、ぷらんと、軟体の如き宝石の触手が力を失くす。


「琴森! 後は俺が――!」


 ここからは、一対一のインファイト。否。宙を舞っていた琴森の鉱銃は、彼女の前方を舞っていて――


「いきます!」


 コンクリ―トの舗装が、その疾駆に削れ跳ね飛ぶ。


 一気に駆け出した琴森は小さく跳躍し鉱銃をキャッチして、銃剣突撃の構えを見せた!



 琴森詠芽は止まらない!



「待てッ! 琴森鑑別官! この霧は、投与した宝石投与剤の強度によって侵蝕の速度が変わる! 君は何も投与していなかったはず――」


 倒れ込む山田鑑別官が、右手を伸ばして静止する。それでも。やはり彼女は止まるところを知らなかった。


 山田鑑別官の言うことが本当ならば。彼女に追従して、奴を一気に仕留める他ないだろう!



「これ借りますね!」



 地に突き刺さったシャークシャンクを引き抜くようにしながら、琴森はその柄を握りしめる。そこで速度を落とした琴森を、追い抜いた。



 えいゆうのげんせきに、勝利の花束を。



「琴森。俺が防御に徹する。だから、好きにやれ!」

「……はい!」


 奴が再び体を削って、黒の霧を展開する。俺の体に触れたそれは、指先を、表皮を黒の宝石にじわじわと転化させていった。俺が投与している宝石投与剤は、佐藤鑑別官のものよりも、山田鑑別官のものよりも濃い。やはり、彼の仮説は正しいようだ。


 一歩。彼女の前に出て、奴の脈の流れを読む。


 紅色の呼気を漏らし、目を瞬かせた。この頭蓋は冴えている。今なら奴の殺しかたを、教えてくれるだろう。お前が俺を読む遥か先で、俺はお前を読んでやる。


 ドクンと動いた、左半身の熱脈。切先を左下に置いて、斬り上げるように迎え撃つ。


 いきなり光が走った、奴の足元と地中。


「琴森。ニ十センチでいい。跳躍」

「はい」


 二人。全く同じタイミングで、小さくジャンプする。


 縄跳びのように過ぎ去った細いひも状の宝石を無視して、奴の熱脈の交差部分を貫いた。そしてそのまま、上部へ逃れるように切り裂く。これで、動きが更に落ちるだろう。


 今度は、明滅を始めた熱を見て、あの爆発がまた来ると確信した。爆発までに、二秒の時間がある。そしてそれは、彼女にとっては十分すぎるほどの時間であり、彼女の前で決して晒してはいけない、大きな隙だ。


「琴森。今だ」


 一歩後ろへ下がって、入れ替わるように琴森が出る。銃剣を左手に、前田鑑別官のシャークシャンクを右手に持って、彼女が今、バツマークを描くような、剣の軌跡を交差させるような穿撃を振り抜いた。


 奴の体が、あと少しで四等分にでもなるのではないだろうか、というぐらいに切り刻まれる。


 四等分の体の繋ぎ目。そこに逃げ込んだ熱源の姿を、凝視した。


「悪いが琴森。ラストヒットは貰うぞ」

「はい。冷泉さんが討伐、私が討伐支援です」


 左下から右上へ。斬り上げた遠逝の切っ先は、奴の熱源を真っ二つに切り裂いた。


 姫内茶花というジェムメカニックの手によって作り上げられた刀身には、無数の面がある。その全てが今、黒色の宝石に塗れて、奴の肉体を喰らった。


 宝石の怪物は糸の切れた操り人形のように、崩れ落ちて力を失う。


 笑み一つ浮かべない、琴森の横顔を最後に見る。


 翠玉の瞳。編み込みのある淡い翠の毛髪。赤黒い、片耳に吊るしたイアリング。戦闘のため徹底的に鍛え上げられ調整された、若々しくも完成された肉体。



 彼女の体の一切は、黒の宝石に侵されていなかった。



 きれいはきたない。きたないはきれい。彼女の本質は、俺たちを映し出している。


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