第56話 嵐の前の



「医者を呼べ」


 ベッドに座った状態で、デュランは息も絶え絶えに命令した。

 側には屋敷の使用人たちが控えていたが、なんとも言えぬ表情で主人を見つめるだけで誰もが戸惑いの様子をみせていた。


「聞こえなかったのか!」


 一向に動こうとしない使用人たちに唸るように声を荒げ、苦しそうに胸のあたりを手で押さえる。


「っう、」


「当主様!」


「大丈夫でございますか!」


 慌てふためく使用人たちの中で、執事だけが普段と変わらぬ態度で恭しく頭を下げた。


「ただいま医者をお呼びいたします」


 主の命に従う執事に「ですが」「しかし」と周りから異を唱えるような発言が控えめに飛び交う。医者には手の施しようがないことは、執事も理解している。しかし"主の命に従うのが執事の務め"そんな意思のこもった強い眼差しに、口を開く者はいなくなった。


 デュランは頼むぞ、と重々しい口調で念を押す。


「ヴァレンティナに『パパ』と呼ばれた時のことを思い出すたび、心臓に貫かれたような衝撃がはしる。不治の病かもしれない。俺はこれからヴァレンティナと共に一分一秒でも長く生きなくてはならない。あの子を一人にさせるわけにはいかないんだ! 早急に原因を突き止め完治させろ!」


 使用人たちは当主の発言に「ああ……」と額に手を当てた。この病に名前を付けるならば『親バカ』が妥当だろう。



 つまり、そういうことだった。



「公爵様っ!」


 一部始終を見聞きしていた私は、ずんずんと足を踏み鳴らしながら部屋へ突入する。もう見ていられなかった。


「お医者様を呼ぶ必要はありません! 公爵様はどこも悪くないんですから! ベッドから下りてください! お仕事がたくさん溜まっていると聞きましたよ!」


「ヴァレンティナ……」


 私の叱咤にデュランは泣きそうに眉をひそめる。


「もう、パパとは呼んでくださらないのですか……?」


「えっ」


 正直あの時は無我夢中だったから「パパ」なんて口走ってしまったけれど、せめて「お父様」と呼ぶべきだったと激しく後悔する。


 法廷でエドガーと顔を合わせ、はっきりともの申してからお父様と口にしても辛くなることはなくなっていた。囚われていた感情から抜けだし、少しずつ前進している気がしていたのだが。


 正直パパと呼ぶのはちょっと恥ずかしい。


「お父様……?」


 望みを託して呼びかけてみるが、デュランの意には沿わなかったようで、瞳に涙を浮かべ「パパと呼ばれたい」と駄々をこねはじめた。


 呼んだら呼んだで心臓を押さえて呻き出すくせに。どうすればいいというの。

私はそっと吐息した。




 私たちは公爵邸へ帰ってきていた。


 結局あの日再開された裁判は、デュランが私に「パパ」と呼ばれた衝撃でまともな会話ができず閉廷となった。

 裁判そっちのけで私の愛らしさについて語り続け話がまるで進まなかったらしい。こんな事例は今までにないとのこと。そりゃそうだろう。デュランに何かあったのかと心配していたのに。テオから話を聞いた時は顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。


 前々から呼ばれ方を気にしていたようだから、相当嬉しく感じてくれているんだとは思うけど。帰ってから更に悪化している気がする!


 裁判は期日を改め再度開かれることとなった。

 どちらにせよ、判決は決まっていたようなものだった。エドガーは罪を侵した可能性が高いと判断され勾留されることが決まった。逃亡と証拠隠滅、そして報復の恐れがあるため保釈は認められていない。今回の審理を受け、間違いがなければ罪状が話し合われる。実際判決が言い渡されるのは次回か、次々回の裁判が開かれた時だろう。


 私が再び法廷へ赴く必要はないとのことだったけれど。


「うーん……」


 うずたかく積まれた大量のお菓子を眺めながら、私の心はどこか宙に浮いた気分だった。


「どうかされましたか?」


 お菓子を積みあげていたレベッカが小首を傾げて尋ねてきた。


「うん……裁判のこと……。証言はしたけど、まだ判決が出たわけじゃないし、私はちゃんとすべき事を成し遂げられたのかなと思って」


「お嬢様は十分すぎるほど頑張ってくださいました。あとのことは当主様に任せてゆっくりお過ごしください」


 そう言ってお菓子を勧めるレベッカに、私は苦笑する。


「前から思ってたけど、屋敷のみんなは私を太らせたいの?」


「甘味は当主様より絶やすことのないよう言いつけられておりますので」


 にっこり笑うレベッカにやれやれと吐息する。悶々としていたってしょうがない。気持ちを切り替えよう。


「よし!」


 私はレベッカに頼んで小さめのバスケットを用意してもらうと、そこにお菓子を詰め込めるだけ詰めこんでいく。


「どこか行かれるのですか?」


「カーティスにお裾分けしてくる!」


 一人じゃ食べきれないし、答えが出ないことを考えるのにも疲れた!こういう時はジッとしているより身体を動かしたほうが良い。たしか部屋でやることがあると言っていたから差し入れがてら様子を見に行ってみよう。


「公子のお部屋でしたら、こちらとは反対側にある二階のゲストルームですね」


「う、うん……」


 最近気付いたことがあるのだが、私が方向音痴だと以前から「誰か」が吹聴していたのではないだろうか。思えばデュランの執務室へ行こうとして迷った日から、みんなが私の行く先を気にかけてくれていたように思う。


 思い当たる「誰か」の顔を頭の中で思い切りパンチしてやりながらカーティスのもとへ向かった。





***


「カーティス、いる?」


 扉をノックして声をかけるとカーティスはすぐに応じてくれた。私がバスケットを掲げて差し入れに来たことを告げると、カーティスは廊下の窓から望む青空を一瞥した。


「天気も良いのでピクニックに行きませんか?」


「わぁ! いいね!」


 素敵な提案に二つ返事で了承する。

 ピクニックをするならばと、いつも向かう花園ではなく、青々とした芝生が広がる庭までやって来た。


「風が気持ちいいね」


 穏やかに流れる風と、足下に感じる柔らかな芝生の感触を楽しみながら緩い坂を上っていく。


「前にも二人でピクニックしたね」


「そうですね。姉さんがよく俺を誘ってくださいました。すごく嬉しくて楽しかったことを覚えています」


 懐かしむような声に、6年の時間のズレを再認識する。それを寂しく思うこともあるけど、きっとそのズレは気にならなくなっていくはずだ。だって私はこれからもカーティスと同じ時間を生きていくんだから。


「用事はもう済んだの?」


 木陰に入り、幹を背もたれに地面に腰掛けようとすれば、それよりも早くカーティスが布を敷いてくれる。私の行動をよく分かっていらっしゃる。


「ありがとう」


 私のすぐ隣に座りながらいいえ、と笑うカーティスのなんと男前なことか。本当にイケメンに育ったなぁと何度でも感心してしまう。


「一先ず、一段落つきました。急ぐ必要のあるものでもありませんので」


「何してたか聞いてもいい?」


「学校の課題です。今は休学ということになっていますが、進めておくと後が楽なので裁判の期日が確定するまでの間に片付けておこうと思いまして」


 カーティスは、テオが私を連れてベハティの屋敷に現れたという知らせを聞き、すぐに会いに来てくれたらしい。私が眠っていた間はずっと事件の再調査を行ってくれていたし、目覚めた後は休学届けを出し、こちらにとどまってくれていたと聞いた。


「ごめんね……」


「いえ、休学は最初からするつもりでいましたし、以前にもお話ししましたが、屋敷を離れるために入学しただけですので最悪卒業できなくても構いません」


「えっ? だ、駄目だよ!」


 私にとって毎日学校に通えることは、元気な人の証という認識があった。


「せっかく学校に通えるなら、ちゃんと最後まで行かなきゃ勿体ないよ!」


 驚いた表情のカーティスに、思わず熱が入ってしまったことに気付き私は居住まいを正す。


「えっと、その、カーティスは賢いから、主席で卒業できちゃうんじゃないかなぁって思って……カーティスは私の自慢だから……」


 気まずさでだんだん小さくなる声に、分かりましたと笑って頷いてくれる。


「姉さんが言うなら頑張ります」


 笑顔が眩しい!


 改めて考えると、私は本当にカーティスに足を向けては眠れない。こうしてまたピクニックできるのも、カーティスが私を忘れないで、ずっと頑張り続けてくれたからだ。


「カーティス、私に何かしてほしい事とかない?」


「してほしい事ですか?」


 私は力いっぱい頷く。


「私の為に今までずっと頑張ってくれてたでしょ? とても感謝してる。お礼を言うだけじゃ全然足りないくらい。だから私、カーティスにこの恩を返したい。そう思うのは私の我が儘かもしれないけど、カーティスの望むこと、何だって叶えてあげたいの!」


 私の真っ直ぐな眼差しを受けて、カーティスは少しだけ頬を赤らめ、ええと、と困ったように瞳を伏せる。


「……分かりました。考えておきますね」


「楽しみにしてるね!」


 キラキラとした眼差しを送る私にカーティスは「お願い事を頼まれる人の顔ではないですね」とおかしそうに笑った。「そうかな?」と私も一緒になって笑う。


 穏やかな風が吹いた。木の葉がさわさわと囁く声に私は目を閉じる。どこからか運ばれてきた花の甘い香りに気付き微笑む。


 こんなふうにゆったりとした時間がずっと続けばいいな。これまで一生分の壮絶な日々を過ごしてきたと思うから、これからは穏やかな日常がやってくるはず。うん、きっとそう!


 そうして次に目を開いた時、少し離れた場所に立つ一人の青年の姿が視界に映った。ここは見渡しの良い草原だ。つい先程まで人影などなかったはずなのに。突如として現れた人物にびっくりしていると、その青年は恭しく頭を下げた。


「ヴァレンティナ様でしょうか?」


「はい……ええと、あなたは?」


 名前を問われ、青年は下げていた頭をゆっくりと戻し姿勢を正した。

 風に吹かれ炎のように揺らめいて見える紅色の髪。それと同じ色の瞳は真っ直ぐ私に向けられていた。まるで懐かしんでいるようにも感じるその相貌に私は戸惑う。


 見覚えのない青年、のはずだ。ウィルみたいな成長を遂げられていたらちょっと分からないかもしれないけれど、身なりからして貴族の青年であることは間違いない。くわえて、特徴的な紅の髪と瞳はベハティの人間に多い。ブランシェットにいた頃、ベハティの貴族と懇意になるほどの付き合いはなかったはずだ。


 首を傾げる私に青年は穏やかに微笑んだ。


「失礼いたしました。僕は――」


 そう言って距離を縮めようと、青年がこちらへ歩きだした時だった。


「止まってください!」


 大きな制止の声が響いた。

 驚いて振り返るといつの間にかレベッカが側までやってきていた。レベッカだけではない。周りを見ればメイド達や、手に大きな刈込鋏を持った庭師まで集まってきている。そのまま壁になるように私とカーティスの前に立った。


 青年に対し、みんな敵意の眼差しを向けている。


 え? 何? この人そんなに警戒するような危ない人なの?


 状況が分からず困惑する。隣を確認するとカーティスも理解しきれていないような様子だった。


 殺気立った空気のなか、しかし当の本人に狼狽えたり怯えたりする様子は微塵もない。まるで森の中、小動物の群にでも出会ったような余裕ある態度をみせた。


「素敵なお出迎えですね」


そう言うと、今一度頭を下げる。


「申し遅れました。僕はランドルフ伯爵家の次男、ユージン・ランドルフと申します」


ユージンは顔を上げると、他の者には目もくれず燃えるような紅の瞳に私だけを映し微笑んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薄命少女、生存戦略してたら周りからの執着がヤバイことになってた 本郷 蓮実 @hongo8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画