第55話 裁判6-閉廷-
驚いて足もとに視線を落とせば、そこには一羽の鳥がいた。
ツンツンと私の足をつついてくるその鳥は手乗りサイズの小ささで、全身が綺麗な金色をしている。こんな色の鳥は初めて見た。
「さっきドアをつついてたのは君?」
私の問い掛けにクリン、と首を傾げたかと思えばくるりと方向転換し廊下を弾むように跳ねていく。
途中、こちらをちらりと振り向くと"ついてこないのか?"とでも言うようにクリンと首を傾げてみせた。
「か、かわいい……」
少し迷ったがあとを追いかけてみることにした。
以前も青い翅の蝶々を追いかけたら、目的地であるデュランの執務室へたどり着けた事があった。
道に迷っているわけではないけど、ついていっても悪いことにはならない気がした。
あれ? そういえば、あの時の蝶々は結局なんだったんだろう?
綺麗な青色の翅を思い出していると、飛び跳ねていた鳥が唐突に羽を広げバサバサと飛び立った。
気付けば建物の外まで出て来てしまっていた。裁判所の敷地は少し複雑な造りをしていて、中庭がいくつか設けられている。
敷地内とはいえ、さすがにここまで出て来たのはまずかっただろうか。
思案する私の顔をサッと光が照らす。雲に隠れていた太陽が出てきたのだろう。眩しさに細めた瞳が、ふと人影を捉える。
それは金色の長髪を後ろで一つに結い上げた青年であることが分かった。鳥が青年の差し出した指に止まると、その輪郭はゆらゆらと揺らめきパッと消えてしまった。
どうやら青年が魔法で作り出していたものらしい。
「……もしかしなくても、まんまと連れ出されてしまったということ?」
警戒心を強める私に、しかし青年は恭しく頭を下げるとそのまま謝罪を口にする。
「いきなりのご無礼、大変失礼しました。貴女が帝都にいらっしゃる間に一目だけでもお会いしたかったのです」
「えっと……」
振る舞いや服装から身分の高さが伺えたけど、帝都に私の知り合いはいなかったはず。そもそもブランシェット邸にいた時は勉強と家業の手伝いばかりで親しい友人の一人もつくれなかった。
青年がゆっくりと下げていた頭を上げると、驚くほど整った顔が確認できた。力強く、キリッとした顔立ちと堂々とした立ち振る舞いは気品にあふれている。
黄金色の瞳と目が合うと、笑顔を浮かべ悠然とした足取りでこちらへ歩み寄ってくる。
「よろしければ、右手の袖の下を見せていただくことは可能だろうか」
その口調は許可を得るというよりは、なかば強制的な印象を受けた。
強張る私の表情から本人もそれを自覚したのだろう、申し訳ないと軽い謝罪とともに私の前でひざまずいた。
「どうか、見せてはいただけないでしょうか」
人に何かを頼むことに慣れていないのかもしれない。きっと普段から指示を出す側の、位の高い人物なのだろう。
そんな人がひざまずいてまで頼むということは、余程の事なのだろうけど……。
私は右手に触れる。
今はこの日のために用意した、手の甲まで覆う袖の長い服を着ている。
右手を指定したということは、この袖の下に何を隠しているか最初から知っていたということだ。このことを知る人物はそう多くないはず。
「裁判所の方でしょうか。興味本位で申していらっしゃるのであればお断りいたします」
「決して怖い物見たさから、このようなことを申しているわけではありません」
キッパリとしたその返答は嘘を言っているようには聞こえなかった。
それにしても、この人は謝罪も要望も、妙に自信に満ちた声ではきはきと口にする。
裁判長のように言霊でも宿っているのではと疑うほどに、青年の言葉には人を動かす強い影響力が備わっている気がした。
何より、自分の要求は必ず通るという確信に満ちた強い眼差しと、悪意のない笑顔が私を押し負かす。
人を惹きつけ心を開かせる、そんな天性の才能を持った、まるで太陽のような人だと思った。
「……分かりました」
無理やり腕を掴んでくるわけでもないし、どうにも悪い人には思えない。私は袖をたくし上げ、手の甲を青年へ向けた。
青い薔薇を見つめる瞳がキラリと輝いたように見えた。
青年の指がそっと私の指先に伸びた。それは添えるというよりも微かで、割れ物を扱うよりも繊細。
そんな仰々しく扱われると思っていなかった私は、手を引くタイミングを失ってしまった。
青年はそのまま手の甲に額をつける仕草を見せたが、それすらも前髪が僅かにくすぐっただけ。触れることすら畏れ多いといったその態度。
やがてゆっくりと立ち上がると満足そうな表情で私から身を引いた。
「我が儘を聞いてくださり、ありがとうございました」
ひどくあっさりとした態度に拍子抜けしていると、その理由を明かすように青年は笑って肩をすくめた。
「どうやら時間切れのようなので」
「え?」
ひらり、と目の前を青い翅が舞う。
以前、屋敷で目にしたあの蝶々だ。どうしてここにいるのだろう?
蝶々が再び視界を横切ったと思ったら、目の前にテオが出現していた。私に背を向け青年の前に立ち塞がっている。
「えっ! テオッ?!」
テオは訝しげに目の前の相手を睨み付けていた。青年はその眼差しに気付くと、まるで子犬の威嚇でも見るような微笑みを浮かべる。
「強力な番犬をお持ちのようですね」
言葉と態度から見下されていることを察したのだろう、テオの周りの空気が一瞬でピリつく。
「は? なんだこいつ」
殺ってやろうか、などと喋り出す口を慌てて後ろからふさいだ。
「迎えがいらしたようなので、これで失礼します」
青年はこれ以上とどまるつもりはないようだ。建物とは反対方向へ歩き出す。
「これから少し大変になると思いますが、貴女なら大丈夫でしょう」
去り際にポツリと意味深な言葉を呟き、門の方へ姿を消した。
てっきり裁判所の関係者かと思ったけど、違ったのだろうか?
胡散臭そうにテオが鼻を鳴らす。
「誰だ? あいつ」
「知らない」
「知らない奴にホイホイ肌さらすんじゃねぇよ」
テオはたくし上げていた私の袖を戻し、薔薇を覆い隠す。別に見せたところで減ったり呪われたりするわけじゃないのに。
「悪い人には見えなかったよ」
「そりゃ頭お花畑のお前には、ほとんどの人間がいい奴に見えてるんだろうな」
「私だって良し悪しの見分けくらいつくよ!」
唇を尖らせる私をテオの青い瞳がジッと見つめ、嘆息する。
「まぁ、目は良いほうだからな」
他の人には見えない魔力の流れや殺気の事を言っているのだろう。魔力に対する感知能力の高さもテオは生まれもった個性だと言っていた。
でも確かにテオの言うとおり、名前も知らない人に頼まれたからと言って袖をまくるのはよくなかったかもしれない。
私と同じ青い薔薇を身に持つテオの言うことだ。これからは気を付けよう。見世物パンダになるのは嫌だしね。
「ねぇ、さっきの蝶々ってテオが出してたの? もしかして屋敷で見た蝶々もテオの仕業?」
「仕業ってなんだ。迷子を道案内してやったってのに」
「ま、迷子になんて、なってなかったもん」
「お前、無自覚方向音痴だからな」
失礼な! ブランシェット邸でもプチ迷子になってカーティスに部屋まで連れていってもらったことがあったけど!
あれはまだ来たばかりの頃の話で、あんな広い屋敷生まれて初めてだったからで、決して方向音痴というわけではない!
……まさかあの時のことカーティスは覚えてないよね?
姉として情けない思い出が記憶にとどめられているとなれば、威厳に関わる一大事だ。
「……ん? あれ? そういえば裁判ってもう終わったの?」
そうでなければ監視役のテオがここに来ているはずがない。それにしても随分と早くないだろうか?
「ああ、そのことなんだけど、裁判どころじゃないんだよ。今回はひとまず閉廷ってことになったんだけど……」
どこか歯切れが悪い。
「何かあったの?」
「いや、お前のパパが……」
「ちょっと! やめてよ!」
当然ながらテオも私の叫びをすぐ後ろで聞いていたはずだ。揶揄されていると感じて、恥ずかしさから顔に熱が集中した。
「からかってるわけじゃなくて、裁判を続けようにも全然話が進まないんだって!」
頭を掻き、どうしたものかと困ったように吐息する。いつも飄々とした態度のテオが珍しい。
「え、どうかしたの?」
「あぁ、ちょっと、ベハティ公爵が……」
どう伝えればよいのか適切な言葉を探すように視線をさ迷わせる。
デュランに何かあったのだろうか?
なんだか嫌な予感がした。
やがて、テオは真面目な顔で簡潔に告げた。
「今はまともに話せる状態じゃない」
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