第53話 裁判5
後ろで扉が閉まりきると、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。
たいしたことができたとは思えないのに、なんだかどっと疲れが出てきてしまった。
「よぉ、頑張ったな」
顔を上げると見下ろすテオの姿があった。約束どおり待っていてくれたようだ。へたりこむ私に手を伸ばしてくれる。
「ありがとう」
差し出された手を掴もうとすれば、ちょんと指先をつままれた。
何かと思えば瞬きの間に神判の際に切った指を治癒し、そのまま何事もなかったように私の手を握り引っ張り立たせてくれる。
綺麗に治った指先を見て、すごいと感心すればこんなのお前でもできるだろ、と軽く返されてしまった。
けれど褒められて嬉しかったのか、ご機嫌な笑みを浮かべている。
治癒魔法は普通専門知識がいるし、洗練された魔力操作が必要とされる高難易度の魔法だ。
前世で医療に関する本を読んでいたけど、この異世界も前世の世界とそう大差ない医学の発展が見受けられる。
治療法も似ているし、そこに魔法医学が加わっているのだから、前世よりも医療の幅は広い。その分、前世の世界にはないような病も存在しているけど。
私も帝国図書館の件では緊急手術を行った身だ。あの時に比べれば私の怪我なんてかすり傷みたいなものだ。
けれど、立たせるついでみたいに治してくれたテオの魔力の扱い方は、本当に息をするように自然なのだ。私の治癒魔法とは雲泥の差がある。
ブルーローズはすでに処置されたあとだったのでどんな治療が施されたか知らないし実感も湧かなかったが、こうして体感すると改めて凄さが伝わってくる。
さすが、だてに長く生きていない!
「ありがと、うっ?!」
いきなり突き刺すような悪寒を背後から感じ、飛び退くように振り返る。
扉の隙間からどす黒いモヤが漏れ出しているのが見えて、私は慌てて後退った。
「え! なになに?!」
「あー、これはヤバいな」
少しもヤバイなんて思っていなさそうな、のんびりとしたテオの声が私を余計慌てさせる。
扉の向こう側でとんでもないことが起こっているのは明らかだ。
この馴染みのある鋭い圧迫感は十中八九、デュランの殺気。それは部屋の外にまで漏れでていて、手当たり次第、あたり一面を突き刺すように浸食していく。
「危ないな」
テオにはこの黒いモヤは見えていないようだが何かを感知しているらしく、結界を張って殺気を退けてくれた。
けれど、私たちの周りを避けるようにしてその殺気は廊下へ向かって広がっていく。
このままではいけない!
「あっ おい!」
テオの呼び止める声を無視して、私は出てきたばかりの扉を開けた。
「!」
そこにはまるで地獄絵図のような光景が広がっていた。法廷を出て数分と経たない間に、いったい何があったのだろう。
ある者は顔面蒼白となって椅子から崩れ落ち、またある者は口から泡をふき失神している。護衛騎士たちも全員が膝を折った状態のまま身動きできないでいた。
溢れ出す殺気の中心をたどると、そこにはやはりデュランの姿があった。
驚くことにエドガーに向かって歩みを進めている。ありえない事態に私は目を疑った。
本来ならヘデラの鎖によって拘束されているはずなのだ。しかしデュランの足元を見ればその鎖はちぎれている。
それは魔力をともなわない純粋な力のみで引きちぎられたということ。
嘘でしょ?! そんなことってある?
拘束の解かれたデュランは怒りに身を任せ、今にもエドガーを手にかけようとしていた。
決闘が神判として行われていたのは過去の話であり、今は廃止されている。もしこの場でエドガーの命を奪ってしまうことがあれば、デュランは処罰されてしまうだろう。
どうしよう、どうすればいい?
止めなくちゃ、でもどうやって止めればいい?
考えている間にも、デュランの腕がエドガーの首を掴もうと伸ばされる。
だめっ!
――言い訳をするなら、その時の私は頭が真っ白になっていた。
「パパッ!」
自分がなんて口走ったのか理解が追いつかないまま、無我夢中で叫んでいたのだ――。
「パパ、やめて! これ以上勝手なことしたら、パパの事一生嫌いになるからね!」
私のその叫び声は、法廷内に響き渡った。
***
「はぁぁぁ……」
現在、私は控え室のソファの上で膝を抱えた体勢で行儀悪く丸まっていた。
あの直後、私の言葉でデュランは動きを止めてくれた。「嫌いになる」という言葉が余程ショックだったのだろうか、振り返ったその瞳には涙が滲んでいた。
私はギョッとしつつ「立ち位置に戻りましょうね」と手を引くと素直に応じてくれた。
まぁ、そのまま裁判再開とは当然ならなかったんだけど。
「はぁぁぁぁ……」
私は何度目か分からない盛大なため息をつく。
今頃は裁判が再開されているはずだ。テオがデュランの監視役となり、なおかつ新たに用意されたヘデラの鎖で二重、三重と体を拘束された状態で。
まぁ、致し方ないよね。
「テオの、大馬鹿野郎……!」
私は恨みを込めて呟く。
どうやら、こういう事態が起こった時のためにテオは一歩身を引いた中立の立場に立ち、裁判も外で待機していたのだという。
私が焦ってあんな大声で恥ずかしいこと叫ばなくても、デュランの暴走は最初からテオが止めてくれたのだ。
それならそうと最初に言っておいてよね!とんでもない黒歴史を作ってしまったじゃないか!
私は恥ずかしさに側にあったクッションにメリメリと力いっぱい顔を埋めこむ。
法廷内にいた人は失神した者がほとんどだったが、中には逃げようとした際に転倒し怪我を負った者もいたようで、別室で手厚い治療を受けている。
だがあの惨状を見るに、外傷よりも精神への負荷が大きく、しばらくは悪夢にうなされる日々が続くだろう。
居たたまれなさを感じつつも、あの恥ずかしい台詞を聞いた人物が限られているのが唯一の救いだと思う。
のちに裁判長によって惨劇から我らを救った『天使の一喝』と語り継がれることを知らないこの時の私は、そう考えることでどうにか心を落ち着かせようとしていた。
――トントン、トンッ
「ん?」
ドアの外から聞き慣れない音がした。
小さい何かが壁をつつくような……。耳を澄ましているとまた同じ音が聞こえてきた。
なんだろう?
私はソファから足を下ろしドアの前まで向かう。
「誰かいるんですか?」
声をかけてもなんの応答もない。不審に思いながらもそっとドアを開けて廊下を覗き見た。
「……あれ?」
廊下に出て辺りをキョロキョロと見渡してみるが誰の姿もない。
おかしいな。
首を傾げ部屋に戻ろうとした時、何かに足首をつつかれた。
「わっ?!」
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