第52話 裁判4-神判-



「ほう……事故とは、いったいどういうことかね?」


裁判長の質問に、エドガーは己の過ちを悔い嘆くように声を震わせ答える。


「私は娘が死んでしまったものと思い込み、息を吹き返していることに気付かないまま棺を埋めるよう指示してしまったのです!」


 ……ああ、そういうこと。つまり以前考えた私の予想が、見事に的中してしまったようだ。


「それでは、娘を埋めたのは故意ではなかったと?」


「そのとおりです!生きていると分かっていながら、大切な娘を埋めるはずがありません!」


 この大嘘つきめ。あんなにしっかりと視線を合わせて、会話をしたというのに。今でもしっかりと思い出せる。どんなことを言われ、どんな視線を向けられたのか。あの鋭い眼差しを思い出すたび恐怖と悲しみを感じることもあった。けれど、今は怒りしか湧いてこない。


 私は心を落ち着かせるようにふぅ、と息を吐き出す。

 でも良かった。エドガーがこういう人間だということをもう一度、改めて思い知ることが出来た。これで心置きなく、最後の手段をとることができる。


 私は再び証言台へ上った。


「分かりました」


「リターシャ! 私の過ちを許してくれるだろうか!」


 なおも臭い芝居を続けるエドガーに、私は微笑みを向ける。安堵の笑みを浮かべかけたエドガーから視線を外し、私は裁判長に申し出た。


「『ダニエルの天秤』の使用許可をいただけますか」


「……は?」


 エドガーの相貌が見開かれる。その口もぽっかりと開いていて、なんだか間抜けに見えた。ブランシェットにいた頃は視線が合うことさえあまりなかったのに、今日だけでエドガーの様々な表情を見れたのはなんだか皮肉だ。


「リターシャ……! ダニエルの天秤がどんな神物か、分かって言っているのか?!」


「もちろんです」


 こちらから持ち出した話なのだから、当たり前のことを聞かないでほしい。


《ダニエルの天秤》

 発言者の心の潔白さを証明する神物だ。


 お互いの承諾によって魂が天秤に乗せられる。その際、首には見えない縄をかけられるのだという。食い違う主張に対して虚偽を述べた者の器は下へ傾く。嘘を重ねれば見えない縄はその者の首を締め上げ続け、最後には足場がなくなり首を吊られてしまう。


 正直者は生き、嘘つきは死を迎える。それがダニエルの天秤だ。


「私はこの証言に、命をかけます。ですのでブランシェット公爵も自身の発言に偽りがないのであれば、天秤に乗ってくださいますよね? そしてあの時公爵は、私を生き埋めにしたわけではなかったのだと、悲しい誤解が生じていただけだったのだと、私に信じさせてください。お互い、嘘の証言をしているわけでないのならば、天秤は中立を保つはずです」


「なっ……」


 この神物を使用するために必要なのはお互いの承諾。つまり同意ができないということは、実質発言に偽りがあると宣言しているも同然だ。


「では、すぐに用意させよう」


 裁判長は神官たちに神物の用意をするよう呼び掛ける。


「ま、待ってください! それは……!」


「どうしたのかね? ブランシェット公爵。自身の発言に偽りがないのであれば、同意できるだろう」


「ですが、しかし……」


 エドガーの様子に貴族たちからいぶかしがる声が囁かれる。


 視線の的となったエドガーはうつむき震えるほど強く拳を握りしめ、必死でこの状況から逃れるための糸口を探しているようだった。

 やがてその拳から力が抜けると、掠れた声でポツリと呟いた。


「私は、同意できません……」


 それは己の発言が嘘であったと公言したに等しい。私はゆっくりと息を吐き出す。


「証明の必要はなくなったようですので、私は失礼いたします」


 今度こそ法廷をあとにしようと証言台を下りたが、言い忘れていたことを思い出しエドガーへ呼び掛けた。うつむいていた青白い顔がゆっくりと私に向く。


「私はデュラン・ベハティの娘、ヴァレンティナ・ベハティです。リターシャは私の母の名前。二度とお間違えのないようお願いします」


「リ、リターシャ、私は……」


 まだ何かを画策するようにエドガーの手が私に向かって伸ばされる。しかしその手が私に届くことはない。


「ブランシェット公爵、やめなさい」


 裁判長の静かで、けれど威厳のある声がエドガーの動きを止める。


 裁判長の発する言葉には言霊が宿っていると言われている。そのため、この場を取り仕切り納める立場を担えるのだ。

 自身の為、また、悪行をなすために、その言霊を使ってはならないという縛りによって発言は人々に届くとされている。


 そしてもう一つ、エドガーが私に手を出せない決定的な理由があった。


 裁判中、訴える側と訴えられる側、双方ともに魔力の使用を一切禁じられている。それは魔法による裁判への干渉や偽装行為、暴乱を防ぐためである。

 そのため裁判では『ヘデラの鎖』を用いた足かせが双方にはめられる決まりとなっているのだ。だから私に危害が及ぶことはない。


 正直、エドガーの行動より今にも飛び掛かりそうなデュランの気配にハラハラしていた。それは隣に立つカーティスも同じ思いだろう。デュランの事、どうかよろしくお願いね!


 私はそんな気持ちを込めてカーティスに視線を送ると今度こそ法廷をあとにした。





***


 ヴァレンティナ・ベハティが退出すると、ざわめく声はより大きなものとなる。法廷内はすでにブランシェット公爵が罪を犯したという方向に定まっていた。


 カーティスはこの現状までたどり着けたことにホッと息をつこうとした。その時、予定にはないデュランの発言が法廷に響く。


「エドガー、俺は貴様に生き埋めにされた娘の墓を見た。蓋の内側には出ようともがいた爪痕と血がこびりついていた。棺の中には剥がれた爪と、錯乱して自ら引きちぎった髪が散乱していた。あの中に娘がいたと思うと、俺は頭がおかしくなりそうになる」


 カーティスは最初、予定外の発言を止めさせようとしたがデュランの言葉に自身もその光景を思い出し、口を結んだ。『あの光景』を目の当たりにした時、何があってもエドガーを裁いてみせると心に誓ったのだ。

 それはデュランも同じ思いであっただろう。そう考えるとデュランの発言を止めることはできないと、この時のカーティスは思ってしまった。


「棺から脱け出し、逃げてきた娘の姿を教えてやろうか。髪は乱れ、爪は剥がれ、体は痩せ細り、魔力の反動で両腕は内から肉がはじけ飛び、内臓は損傷し何度も吐血を繰り返していた。見るも無惨な状態だった」


 初めて耳にする事実にカーティスは驚き、怒りで身が震えた。自身が目にしたのは、テオによって治療を終えた後の姉の姿だったのだろう。まさか、そこまでひどい状態だったとは思わなかった。


「できることなら今すぐにでもお前を思いつく限りの方法で、できるだけ長く苦しませてから殺してやりたいと、今、この瞬間も考えている」


 デュランの瞳は一度も瞬くことなく、身動き一つしないエドガーを映し続けている。そして抑揚のない声が激しい憎悪を口にする、その不気味な矛盾が、法廷内の空気をゾッとするほど冷たいものにしていく。


 しかし怒りの矛先であるはずのエドガーは、デュランの言葉に可笑しそうに肩を揺らし、ついには声をあげて笑いはじめた。狂ったように笑うその姿は裁判が始まる前のエドガーとは、もはやまったくの別人だった。カーティスは初めて目にする父の異様な姿に、眉根を寄せる。


 エドガーは不気味な笑顔を浮かべ、叫んだ。


「やってみればいい! 所詮ベハティなど殺しに興ずる頭の狂った一族だ! それをこの場で証明してみせるといい! お前の娘にもお前と同じ蛮族の血が流れているのだと!」


「ブランシェット公爵……!」


 あまりの暴言にカーティスが口を開いた瞬間だった。



――バキンッ



 大きな音が響き渡った。


 同時に、先ほど放たれたものとは桁違いの鋭い殺気が、法廷内を刃のように貫き広がる。


「!」


 それはまるで、どす黒い血だまりに為す術なく飲み込まれたような感覚だった。


 次の瞬間、目の前に広がったのは死屍累々の惨烈な光景。鋭い死臭が鼻を突き、阿鼻叫喚が至る所から絶えず聞こえてくる地獄のような世界に放り込まれていた――



 ……――ハッ!


 気が付けば、悲惨な幻覚が見えるほどの殺気が一帯に充満していた。


 ここが法廷であることを思い出したカーティスは、我に返った直後、視界に飛び込んできた光景に目を疑った。

 隣にいたはずのデュランがエドガーに向かって歩みを進めていたのだ。


「おやめください!」


 慌てて止めに入ろうとするが、動きは足かせによって阻まれる。

 本来ならデュランもこの足かせで魔力と動きを封じられているはずだった。しかし枷は辛うじて足首に残っているものの、繋ぎ止めているはずの鎖は引きちぎられ拘束が解かれている。


 唯一この場を収められそうな裁判長も、辛うじて意識は保っているものの、デュランの殺気に威圧され声が出せないようだ。


 誰も止められる者がいない。

 このままエドガーを手にかけてしまえば、デュランは殺人の罪で刑に処されるだろう。それでは駄目だ。


「ベハティ公爵!」


 カーティスの叫びはデュランの耳に届いていないようだった。見ればエドガーに抵抗する様子は一切なく、迫り来るデュランを恐れることなく真正面から睨みつけている。


 デュランを巻き添えにここで殺されるつもりなのだろう。先ほども明らかに仕向けるような挑発をしていた。エドガーがまさかここまでのことをするとは、さすがに予想していなかった。


 デュランの腕がエドガーの首を掴み潰そうと伸びる。カーティスはエドガーの首が千切り落とされる光景を想像し、思わず目を瞑った。


 その時、



「パパッ!」



 高らかな救いの声が法廷内に響き渡る。


 それはのちに、惨劇から我らを救った『天使の一喝』として裁判長から語られることとなる。


「パパ、やめて! これ以上勝手なことしたら、パパの事一生嫌いになるからね!」




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