第八話 八つ頭・青果の女神はどちらに微笑むか

 十二月三十一日、九時二十五分。店のスピーカーから開店五分前を知らせる音楽が流れはじめた。


 今日は大晦日。年内最終営業日は、お正月商材を買いに来るお客さまのために、三十分早く開店する。

 わたしはパソコンスペースを離れ、売り場に出た。

 売価登録OK。POPもすべてついている。品出しも完了。お客さまをお迎えする準備は万全だ。


 開店一分前。わたしは唐島主任の横に並んで、通路に立った。


「おつかれ、瓜生。年末商戦、がんばったな」


 主任が入り口の自動ドアの方を眺めながら、わたしをねぎらってくれる。


「まだまだやることは残ってますよ、主任。今日の売上で前年度を大幅に超えて、元旦はローズモールの偵察に行って。明日の夜は、新年会を兼ねて祝杯をあげましょう」

「そうだな。明日、気持ちよく酒を飲もう」


 唐島主任と小声で会話しているうちに、スピーカーから開店の合図がかかった。


「ソレイユマート・ドリームシティ店、開店いたします」


 全館の自動ドアが開放される。オープンを待っていたお客さまたちが、続々と店内に入ってきた。通路を進むお客さまを、わたしたち従業員は深いおじぎでお出迎えする。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ、おはようございます」


 五分間、お客さまのお出迎えをしてから、食品フロアの従業員たちは、それぞれの持ち場に散っていった。

 今日が年末商戦のフィナーレ。最後を華々しく飾って、気持ちよく新年を迎えよう。


 売り場は、年内最後の買い物をするひとたちでごった返している。

 ここ数日と同じように、わたしはひたすら焼きいもを焼き、品出しをし、パートさんたちにカット野菜をバンバン作ってもらった。


 昼の十二時過ぎになり、売上速報を見ていた唐島主任が立ちあがった。


「よし。そろそろ、正月商材の見切りをはじめよう」


 わたしは驚いて主任にたずねた。


「え、もう見切るんですか?」


 去年、西川さんは、夕方から正月商材の見切りをはじめていた記憶がある。それに比べると、めちゃくちゃ判断がはやい。


「考えて見ろ。おせちを作るには時間がかかる。たいていのひとは、遅くとも十五時にはおせち作りをはじめるだろう。これから材料を買いに来るひとは、少なくなるからな」


「年末商戦は幕引きも大事なんだよ」と唐島主任は笑って言った。


「元旦の売り場に、おせちの食材が残ってたら見苦しいだろ? 正月らしいすがすがしい売り場にしておかなきゃ。その時々にふさわしい売り場にしておくのも、スーパーの大事な役目だ」


 主任の指示で、おせち用の食材に半額シールを貼っていく。

 がしら、くわい、金時きんときにんじん、三浦大根。半値になった珍しい食材は、次々お客さまのカゴの中におさまっていった。


 正月商材がどんどん売り場から消え、空いたスペースには、正月三日に食べるとろろ用の長いもや大和芋、自然薯じねんじょを並べた。この自然薯も、戸塚さんが懇意にしている農家さんから、特別に提供してもらったものだ。


 先月なかばから準備をはじめた年末商戦は、まるでドラマか演劇のようだった。


 企業スパイの濡れ衣を着せられそうになって、唐島主任に助けられて。青果部門や食品フロアが一丸となって、かたきを討つと決めた。


 その年末商戦というドラマの幕が、慌ただしく、でもゆっくりと、閉じていく――。


 年末の商材を売り切り、青果売り場は迎春モードに塗り替えられた。

 大晦日は、いつもより二時間早く閉店する。「蛍の光」が流れる店から、お客さまたちが足早に去っていった。

 従業員たちは、今年最後のレジ締めや、売り場の片付けに入る。


 わたしは、二台の焼きいも機の清掃をはじめた。今日焼いた焼きいもたちも、すべてお客さまに買われていった。

 あの子たちはいまごろ、栗きんとんになったり、アイスクリームを乗せられ、至高のスイーツになっているだろう。


 ご来店くださったお客さまの家では、きっとドリームシティの野菜や果物たちが、食卓をいろどっている。

 この年末年始、ひとりでもたくさんのひとが、笑顔でおいしいものを食べられますように。

 わたしは柄にもなくそんなことを願いながら、ていねいに焼きいも機を掃除していった。


 売り場の片付けをしているうちに、課長から集合がかかった。

 青果、精肉、鮮魚、日配、加工、デリカ、ベーカリー、チェッカー、サービスカウンター。

 日雑にちざつとダイニング以外の食品フロアの社員たちが、課長の前に集まった。


「みなさん、年末商戦おつかれさまでした」


 課長が第一声を発し、それに続いて社員たちが「おつかれさまでした」と唱和する。


「えー、本日最終の売上速報が上がってきましたので、ご報告します」


 課長はおごそかに、速報を印刷した紙を持ち上げた。

 ドリームシティ店全館売上、フロア別売上――。売上高と昨年対比の数字が発表された。どちらも、昨年の実績を超える数字を出せている。


「次に、食品フロアの部門別売上を発表します」


 いつもなら、青果部門が最初に発表されるが、今回はベーカリーやデリカ、加工食品から順に、売上高が読み上げられた。

 大晦日に一番たくさん売れるのは、精肉と鮮魚だ。すき焼き用の霜降り肉やローストビーフ、マグロの刺身やカニで、ふだんの三倍売り上げる。昨年の実績も上回っていた二部門の社員たちは、肩を叩いてお互いの健闘をたたえ合っていた。


「最後に、青果部門」


 主任と稲城さん、わたしは、固唾かたずをのんで課長の言葉を待った。西川さんの裏切り行為を知っている他の部門の社員たちも、しゃべるのやめて課長が持つ売上速報を見つめる。


「本日の成績、483万8595円。昨年対比137%。十二月全体で昨対122%。……唐島主任、稲城くん、瓜生さん。よくがんばってくれた」


 わっとフロア中で歓声があがる。

 わたしと主任、稲城さんは、満面の笑みでハイタッチした。


 勝った。


 西川さんが作った、前年の実績を大幅に塗り替えることができた。あのダイニングバーからはじまった戦いに、わたしたちは勝利したのだ。


「やったな、青果!」

「西川、ざまあみろ」


 他部門の社員たちにもみくちゃにされながら、わたしと唐島主任は顔を見合わせ、声を立てて笑った。


 最高のフィナーレだ。明日はすがすがしい気持ちで、新年を迎えられる。

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