第四話 ビーツ・華やかな経歴の裏には

「篠井さんが、ローズモールの課長……?」


 ライバル社の社員だとは、さっき西川さんが言っていた。けれど、まさか篠井さんが、ローズモールの課長だったなんて。

 愕然がくぜんとしているわたしに、唐島主任が言った。


「競合店調査に行った日、瓜生がフルーツ姫を見かけたって言ってただろ? それで、ピンときて調べてみたんだ。……篠井さん、あなた、リビングブライト社、青果叩き上げの課長ですよね?」


 管理職である課長は、売り場の社員たちのように制服は着ない。ドリームシティの課長も、スーツで出勤している。


 篠井さんがいつもきれいな格好をしているのも、ネイルだけしていないのも、野菜ソムリエプロの資格保持者だということも、ローズモールの店員と親しげに話していたのも、出世して男性にやっかまれたという話も。青果出身の食品課の課長という理由で、すべての辻褄つじつまが合う。


「そこまでバレてるの。よく調べたわね。さすが、その若さでソレイユマート旗艦店の青果主任に抜擢されるだけのことはあるわ」


 禍々まがまがしい笑みを浮かべた篠井さんに、唐島主任も口元だけの笑顔を返した。


「瓜生のお手柄ですよ。瓜生がローズモールであなたに気づいてくれたおかげで、いろいろなことがつながったんです」

「そう。瓜生ちゃんに見られていたのが運の尽きだったってわけ。……ちなみに、どうやってわたしの経歴を突き止めたの?」

「簡単ですよ。まず、あなたがリビングブライトの関係者だと仮定する。ローズモールであなたを見かけた瓜生は、あなたが『制服を着ていた』とは言わなかった。スーパーの店内で制服を着ていないということは、おそらく店舗の管理職クラスだろう、と推察できます」


 篠井さんは、面白そうに口をはさんだ。


「本社勤務の平社員かもしれないわよ? ソレイユマートもそうだろうけど、うちの会社も本社は私服OKなの」

「リビングブライト社の本社勤務なら、毎日のようにドリームシティに足を運べる訳がありません。うちからそれほど離れていない、ローズモール店勤務だと考えるのが自然でしょう」


 篠井さんを見据え、唐島主任は続けた。


「あなたがもし、ローズモール店の管理職だとすれば、女性――しかも、あなたほどのきれいなひとを、会社が広告塔として利用しないわけがない。わたしでさえ、『活躍する女性社員』のロールモデルとして使われた。思った通り、御社のホームページにあなたの経歴が載っていました」


 それを聞いた篠井さんは、心底うんざりした様子になって、ため息をついた。


「会社なんて、勝手なものよね。下っ端のころは、『かわいげのない女だ』とか『女を利用してる』なんて、見くびっていたくせに。大規模店の課長になったとたん、手のひらを返して、『女性でも管理職になれる会社』のロールモデル扱いよ」

「その点については、わたしも同意します」


 憐れみの混じった表情で、唐島主任は何度かうなずいた。


 先週、ローズモールの競合店調査から帰ったあと、唐島主任はずっと食品フロアの事務所にこもって、どこかに電話をかけたりパソコンでなにか調べ物をしていた。

 あのとき主任は、従業員通用口での西川さんの入館記録や篠井さんの経歴を調べ、情報システム課に商品マスタの件で再調査を依頼し、商品部に西川さんの行動履歴を確かめてもらっていたのだろう。


「ここまでバレてちゃ仕方ないわね。諦めましょ、西川くん」

「お、おい。香……」


 青ざめる西川さんに対して、篠井さんはふてぶてしいほど余裕な態度を崩さなかった。


「西川くんにはじめて接触したのは、さっき話題に出た日よ。ドリームシティのキッチンで、西川くんがあなたと瓜生ちゃんを怒鳴りつけているのが見えた。すぐにわかったわ。このひと、あなたと瓜生ちゃんのことが、憎くてたまらないんだって。利害が一致しそうだと思ったわ」


 だから、西川くんが店外に出てきたときに声をかけたの――。篠井さんは涼しい顔で話を続けた。


「つき合いはじめてしばらくしてから、西川くんを誘ったのよ。上層部にかけあっていい待遇を用意してもらうから、手土産付きでうちの会社に来ない? って」


 篠井さんは、西川さんを誘惑し、ソレイユマートの原価情報を手に入れていたというわけだ。

 握ったこぶしが、わなわなと震えた。


「篠井さん、前に『女が出世するのは大変だ』って、『仕事で評価されても、色目を遣ったんだろうってバカにされるのがくやしかった』って、言ってましたよね?」


 問いかける声がかすれる。


 篠井さんは、「仕事以外のことでさげすまれるのが嫌だった」と言っていたじゃないか。

 仕事で高みを目指す素敵な女性だと、彼女を眩しく思っていたのに。篠井さんは色仕掛けで、西川さんからソレイユマートの社内機密を聞き出していたのだ。


「そうよ。女がちょっと頭角を現せば、すぐに『顔で得してる』なんてやっかまれる。どっちにしろ陰口を言われるなら、最初から活用すればいいと思わない?」

「なるほど。ハニトラにかかったのは、瓜生じゃなくて西川バイヤーの方だったってわけですか」


 そう口を挟んだ唐島主任に、篠井さんはふっと笑ってみせた。


「最初は、稲城くんを引っかけるつもりだったの。だけど、あの子、お堅いでしょう? だから、とちゅうでターゲットを瓜生ちゃんに変えた。野菜ソムリエも持っていないような子だから、うまく手懐てなずけられると思ったんだけど……」


 篠井さんのセリフを聞いて、頬がかっと熱くなった。わたしは、競合店調査の対象にされていただけでなく、簡単に籠絡ろうらくされ内部情報をバラすような、軽くてバカな店員だと思われていたのだ。


「稲城は真面目だし、瓜生もあなたが考えていたような愚かな人間ではなかった……、と」

「そういうことね。せっかく、瓜生ちゃんとは仲良くなれたのに、残念だわ」


 青ざめて押し黙る西川さんと居直った篠井さんに、唐島主任は侮蔑ぶべつのこもった視線を向けた。


「瓜生ちゃんが悪いのよ。ローズモールでわたしに気づいたりするから。ほんとうは年末商戦まで情報を引き出す予定だったのに、計画が狂っちゃったじゃない」


 いけしゃあしゃあと、篠井さんは言ってのける。


「おおよその筋書きはわかりました。ローズモールにいるところを見られ、ふたりの共謀がバレるのではないかと焦ったあんたたちは、いそいで瓜生を呼び出し、スパイの罪をなすりつけようとした。そういうことですね?」


 唐島主任の声に、怒りがこもっている。部長も苦々しそうに顔をしかめた。


「西川が急に『みんなで飲みに行こう』なんて言うから、おかしいと思ったよ。不自然じゃないか。いつも行く居酒屋じゃなくて、こんなしゃれたダイニングバーに誘うなんて。だから、唐島にも連絡をして、ここに来てもらったんだ」


 お酒を飲みながら、篠井さんが頻繁にスマホを確認していたのは――。あれは、西川さんからの連絡を待っていたのだ。

 彼が商品部のひとたちを連れてこの店に入ってきたタイミングで、チラシの話を切り出し、わたしをスパイに仕立て上げるために。


「商品マスタの件も、原価情報漏洩の件も、すべて証拠はそろっている。西川、おまえは懲戒解雇になる。まずは貸与のスマホを返却しろ」


 部長が手を突き出す。西川さんは観念して、スマホを部長に手渡した。


「それから、うちの法務部がもう動いている。リビングブライト社も西川も、ただで済むと思うな」


 部長は財布から一万円札を数枚出し、「お騒がせしました」とダイニングバーのマスターに渡した。

 固まっている西川さんと篠井さんに背を向け、商品部の面々はドアの方に向かっていった。


「うちの瓜生を……、わたしの大事な部下をコケにしてくれた礼は、きっちり返させてもらうからな」


 最後に残った唐島主任は、ふたりをにらみつけて言い放った。


「年末商戦、ドリームシティはローズモールにかならず勝つ。西川さん、あんたが作った前年実績も、大幅に塗り替えてやる。指をくわえて見てるといい」


 唐島主任はわたしの腕を引き、店を出た。


「商売の仇は商売で討つ。いいな、瓜生」

「はい。もちろんです」


 わたしは腹に力をこめて答えた。

 半地下の店から、ふたり並んで階段をのぼる。澄んだ夜空の下、道路に沿って並んだ街灯が、煌々こうこうともっていた。


 一歩一歩、わたしと主任は同じ方向に向かって歩き出した。

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