第三話 ルッコラ・あの事件の真相

 怒りでこわばっていた体の力が、へなへなと抜けそうになる。唐島主任だった。


「……唐島? いつからここにいた?」

「瓜生を責めるのに夢中で気づいてなかったみたいですが、だいぶ前から店内にいましたよ。そうですね、チラシがどうのって話のときから聞いていました」


 西川さんをにらみながら、唐島主任はテーブルを回り込み、わたしの隣に立った。小声で「ありがとう、瓜生」とささやき、彼女は西川さんに対峙たいじした。


「いいかげん、下手な芝居はやめたらどうですか?」


 西川さんは腕を組んで、唐島主任を威圧的に見下ろす。


「下手な芝居って、どういう意味だ? 俺が、瓜生に濡れ衣を着せているとでも?」

「そうですよ。少なくとも瓜生は、企業スパイの犯人にはなり得ない」


 唐島主任は、きっぱりと言い切った。


「うちよりチラシ価格を安くするために、おそらくローズモールは、鮮度の落ちた商品を低い原価で仕入れていた。だから、情報を漏洩した犯人は、『リビングブライト社がチラシ原稿を入稿する前に、原価情報を漏らしていた』と考えるのが自然ですよね?」

「だから、それを瓜生がやったんじゃないのか?」


 わたしを指さした西川さんに、唐島主任は大きなため息をついた。 


「ちょっと考えればわかることでしょう? どこのスーパーも、チラシ原稿の入稿の時期は似たようなもの。時期的に、一介の平社員の瓜生が、入稿前のチラシ商品の原価なんて知っているわけがない。そのタイミングで原価情報を握っているのは、商品部の人間だけだ。つまり、あんたも容疑者のひとりってことですよ、西川バイヤー」


 西川さんはやや青ざめながらも続けた。


「でも、唐島の長休中に、商品マスタを消したのは瓜生だろう? あれだって、もしかしたら瓜生がわざと……」

「商品マスタが消えた件も、先日再調査してもらいました。瓜生が、あそこまで大きなミスをするとは思えなかったから。あの事件だって、あんたの方がよっぽど怪しいんですよ」


 唐島主任は、ますます冷たい表情になって、西川さんを見据えた。


「再調査の結果、たしかにあの日、瓜生の社員番号で三度商品マスタにアクセスした形跡がありました。一度目は開店約三十分前。三度目は十時六分。データが消えたのは、二度目にアクセスした時間だと思われます」


 あの日の自分の行動を、思い返した。

 一度目は、リストを元に売価変更をした時間。三度目は、チェッカー主任から「青果の売価がすべて消えている」と聞かされ、商品マスタを確認した時間だ。その二回は記憶にあるけれど、それ以外の時間はパソコン自体に触っていない。


「ほらみろ。やっぱり瓜生がやったんじゃないか」


 勝ち誇った顔の西川さんに、唐島主任は淡々と話を続けた。


「ただ、二度目にアクセスした時間は『十時二分』なんですよ。おかしいと思いませんか?」


「どこがおかしい?」と、西川さんは、小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「瓜生は十時の開店から五分間、売り場に出てお客さまのお出迎えをしていた。これは、パートさんたちや他の部門の社員たちも見ています。十時二分に、商品マスタを触るのは不可能なんですよ」

「だからといって、俺がやったという証拠があるのか?」


 虚勢を張る西川さんに向かって、唐島主任は笑顔を作ってみせた。数か月前、むちゃなトマトの送り込みをされたときと同じ、冷徹な目をしながら。


「西川さん。あんたあの日、九時五十分に従業員通用口を通過しましたよね? これを見てください。タイムレコーダーに入館記録が残っていました」


 唐島主任は鞄から紙を取り出し、西川さんに突きつけた。


「あの日、社員が瓜生しかいないことを、あんたは課長から聞いて知っていた。九時五十分にドリームシティに入館してバックヤードに隠れ、開店時クルーが全員キッチンからいなくなったのを見計らって、瓜生の社員番号で商品マスタを消した。違いますか?」


 唐島主任の話を、西川さんは無表情で聞いていた。否定はしなかった。


「そんな……」


 わたしの社員番号で、データをめちゃくちゃにし、その後なにくわぬ顔で救済に現れた。そして、わたしに罪を着せ、長休中の唐島主任を呼びつけ罵倒した。おそらく、唐島主任の活躍が気に食わないという、それだけの理由で。


 唐島主任は、商品部長に目配せをした。


「西川。おまえがバイヤーになった経緯を覚えているか?」


 部長が静かに問いかける。

 そういえば、わたしもパートさんたちから聞いたことがある。

 関西事業部のバイヤーが、出張費で個人的な旅行をしていたのが発覚し、懲戒解雇になった。穴埋めに関東事業部のバイヤーがひとり異動になり、その空席に西川さんが滑り込んだのだ、と。


「関西の事件以降、バイヤーに貸与されるスマホには、GPSアプリを入れることになった。誰がいつどこで原価や取引先の情報にアクセスしたか。GPSの記録と照らし合わせれば、一目瞭然だ」

「そういうわけです、西川バイヤー。あんたが十月中旬以降、原価情報にアクセスしていた場所は、フルーツ姫――その女性の自宅マンションですよね?」


 しばらく絶句していた西川さんは、色をなして部長に詰め寄った。


「そんな……。プライバシーの侵害だ!」

「GPSアプリが入っていることは、西川が商品部に来たときに説明をしたはずだ。おまえ、バイヤーに抜擢されたことに浮かれて、ちゃんと聞いてなかったんだろう。プライベートでは、電源を落としておくべきだったな」


 部長と西川さんのやりとりを冷淡な目で見守っていた唐島主任は、視線を篠井さんに移した。


「で、あなたはいつから、西川バイヤーとグルだったんですか? リビングブライト・ローズモール店、食品課課長、篠井香さん」

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