第二話 ピーマン・懲戒解雇とハラスメント

「……え?」


 弾かれたように、わたしは西川さんから篠井さんに視線を移した。篠井さんは、ぞっとするような妖艶ようえんな笑みで、わたしを見つめていた。

「あら、バレちゃったわね」と、彼女は悪びれもせずに言う。


「……篠井さんは、お料理教室の先生をしているんじゃなかったんですか?」


 信じられない気持ちで、わたしは質問した。篠井さんがライバル社の社員って、いったいどういうこと?


 混乱した頭で、先日のローズモールの光景を思い出した。あのとき、篠井さんが精肉の店員と親しげに話していたのは、客としてではなく、同僚としてってこと――?


「あら。わたし、ソムリエプロだとは言ったけど、『料理教室の講師をしている』なんて、自己紹介していないわよ。瓜生ちゃんが勝手に勘違いしてたから、話を合わせていただけ」


 瓜生ちゃんが悪いのよ、と言わんばかりに、篠井さんは澄ました顔をしている。

 わたしは、大慌てで記憶を掘り起こした。

 はじめてこの店に連れて来てもらった日、「お料理の先生をしているんですか?」と聞いたわたしに、篠井さんは「そんなかんじの仕事をしている」と答えた。

 そのとき、ちょっと困った顔をしていたのは、自分がライバル社の社員だということを、隠そうとしていたからだったのか――。


「じゃあ、毎日のようにドリームシティに来ていたのは……?」

「競合店調査にきまってるじゃない。価格と品揃え、それから接客の質を調べに」


 競合店調査……。先日、ローズモールに行ったとき、唐島主任も言っていた。「可能なら店員に声をかけて、接客の質も調査しろ」と。

 わたしは競合店調査の対象にされていたのだ。


「なあ、瓜生。さっきおまえ、この女とチラシの話をしていなかったか?」


 わたしの胸ぐらをつかみそうな勢いで、西川さんが詰め寄ったきた。


「聞こえたぞ。『次のチラシの商品を教えてよ』って、その女が言ってるの。……おかしいと思っていたんだ。ここ数週間、どうしてずっと、リビングブライト社とチラシがかぶっていたんだろうって」

「わ、わたしはチラシのことなんて、話していません」


 わたしは数か月前まで、まったく使えない社員だった。でも、誓って会社の機密を漏らしたりはしていない。会社の機密を守ることは、ダメ社員だからこその、最後の矜持きょうじだと思っていたから。


「じゃあなんで、ここ数週間、うちとリビングブライトのチラシが、あんなにかぶってたんだ?」

「そんなの、知りません」


 西川さんは、わたしをチラシ情報を漏らした犯人だと決めつけているみたいだった。

 ドアのあたりに集まり、遠巻きにこちらを眺めている他のバイヤーたちを見た。彼らも、わたしを企業情報漏洩の犯人だと思っているのだろうか。


「瓜生、おまえは信用できない。唐島の長休中には、商品マスタをぜんぶ消すなんていう、とんでもないミスをした。あれももしかして、リビングブライトのために、わざとやったんじゃないか?」

「そんなこと、ぜったいにしません!」


 立ちあがって叫んだ。

 目の前で、身に覚えのない罪が、どんどん積み上げられていく。体中の血の気が引いて、手足がぶるぶると震えはじめた。

 わたしは主任昇格試験も落とされるような、ケシ粒に等しい平社員だ。わたしをクビにしたところで、会社にはなんのダメージもない。

 わたしは、やってもいない罪を着せられ、このまま懲戒解雇されてしまうのだろうか……。


「それにしても。いくらこの女が美人だからって、瓜生がハニートラップにかかるとはな。おまえ、そっちの趣味だったんだ?」


 西川さんが口元をいやしくゆがめ、わたしを見下ろす。そのバカにしきった表情と、あざけりの言葉に、頭の芯が急速に冷めていった。


「……『そっちの趣味』って、なんですか?」

「おまえ、女が好きだったんだな。ドリームシティにいたころには、気づかなかったよ」


 いろいろな瞬間の唐島主任が、わたしの脳裏に浮かんだ。

 飛び出していった彼女さんを、必死に追いかけていた主任。

 長休の初日、「萌のところに行ってくる」と、はにかんで出かけていった主任。

「萌と別れたんだ」と、力なくつぶやいた主任。

 スイスチャードのからしえを渡した翌日、少しまぶたをらして出勤してきた主任――。


 唐島主任の気持ちをけがされた、と思った。

 ぎぬを着せられ、冷たくなっていた全身の血が逆流し、沸騰していく。


「……謝ってください」


 自分でも聞いたことのない、低いうなり声が出ていた。

 わたしをいたぶり続けるつもりなのか、西川さんはまだ冷笑を浮かべている。


「へえ。そんなにムキになるってことは、やっぱり、瓜生は女が好きなんだ?」

「だったらなんですか? もしわたしが女性を好きだったとして、あなたになにか迷惑がかかるの? あなたには関係ないでしょ。いますぐ謝ってよ! 謝って!」


 反撃されるとは思っていなかったのだろう。彼の目が不機嫌そうにわっていく。


「なんだ、おまえ。上司に向かってその態度……」

「あんたなんか上司じゃない! 謝れって言ってるでしょ!」


 わたしは「謝れ」と叫び続けた。店内のお客さんたちに注目されているのはわかっているけれど、どれだけ恥をかいたって、迷惑をかけたってかまわない。


 唐島主任を侮辱ぶじょくする言葉が許せなかった。

 主任は、不器用ながらも、一生懸命彼女さんを愛していたのだ。そんな主任の気持ちをけがすのは、ぜったいにぜったいに許さない。


 わたしの勢いに気圧けおされたように、西川さんはバイヤー仲間の方を向いた。


「どう思います? みなさん。俺と瓜生、どっちが間違ってますかね?」


 へらへら笑う西川さんを冷たい目で見ながら、バイヤーたちはテーブルに歩み寄ってきた。


「いまのは、西川が完全に間違っている。悪質なハラスメントだ。瓜生に謝りなさい」


 精悍せいかんな顔立ちの商品部長が厳しい口調で言い、他のバイヤーたちもうなずいた。

 西川さんは、苦虫をかみつぶしたような表情になり、話の方向を変えようとした。


「さっきのは失言だったかもしれませんが、瓜生はライバル社にチラシ情報を漏らしていた企業スパイなんですよ? 六月には商品マスタをわざと消したし……」

「言いがかりはやめてください。西川バイヤー」


 冷ややかな声とともに、バイヤーたちのうしろから、ある人物が現れた。

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