第六章 年末商戦・イチゴの女王

第一話 セロリ・不機嫌なフルーツ姫

 チラシ期間が終わった翌週の火曜日。わたしは早番で十八時に仕事を上がり、いつも篠井さんと行くダイニングバーに向かった。


 今日は遅番が稲城さん、唐島主任は休日だけれど、珍しく休日出勤していなかった。主任のことだから、休みを利用して、また競合店調査に行っているのかもしれない。


 明日は水曜日。大田市場の休場日だ。

 水曜日はいつも弊社所有の倉庫から少し入荷があるだけで、朝の荷受けはさほど大変ではない。もし、篠井さんと話して遅くなったとしても、明日の仕事にはそれほど差し障りはないだろう。


 でも、なにを話すんだろう。


 先日来店したときの、篠井さんを思い出した。

 わたしが「ローズモールで見かけた」と言っただけで、篠井さんは妙に動揺し、開き直った態度を見せた。

 あれは、いったいなんだったのだろう。今日のお誘いは、わたし以外の店員と仲良くしていたことへの罪滅ぼしのつもりなのか、それとも別の意図があるのか……。


 緊張しながら階段をおり、半地下にあるダイニングバーのドアを開ける。

 仕事上がりのひとが来るには少し早い時間のためか、まだ店内には空席がちらほらあるようだ。店の中を見回す。一番奥のテーブルに、篠井さんが座っていた。


 いつもなら「瓜生ちゃーん」とこちらが恥ずかしくなるくらいの大声で呼びかけてくるのに、彼女はちらりとわたしに視線を向け、あごで自分の前の席を指し示しただけだった。


 やっぱり、富有柿の接客をしたときから、篠井さんのわたしに対する態度が、百八十度変わってしまった気がする。いままでの優しさやいたわりが、すっぽりと彼女から抜け落ちてしまったみたいだった。


「どうぞ、座って」

「はい」


 重い気分で篠井さんの前に腰掛けた。難しい商談か、別れ話に臨むみたいだ。

 先週、わたしはそんなに彼女の気に障ることをしてしまったのだろうか。

 たしかに、ライバル店にいたことを、責めるような口調になっていたのかもしれないけれど……。


 わたしが気に入らなくなったのなら、黙ってドリームシティから離れればいいのに。なぜ篠井さんは、わたしを個人的な食事に誘い続けるのだろう。

 彼女の考えも言動も、なにもかもがわからなかった。


「じゃあ、注文しましょうか」


 億劫おっくうそうに、篠井さんはメニューを広げた。

 彼女はスパークリングワインを頼み、わたしはアルコールではなくペリエを注文した。この席で、酔ってはいけない気がした。

 すぐに飲み物が運ばれてくる。いままでは、毎回「おつかれさま」と乾杯してから飲みはじめていたけれど、今日はふたりともなにも言わず、居心地の悪い空気の中で、グラスに口をつけた。


 篠井さんはグラスの半分をあけても、不機嫌そうな態度をとったままだった。ときおり、スマートフォンを見ては、テーブルに伏せる。わたしは野菜スティックのセロリをシャリシャリと噛みながら、やはり押し黙ったままでいた。


 なぜ、こんな気まずい時間を過ごさなければならないのだろう。どうして篠井さんは、わたしを呼び出しておきながら、ずっと不機嫌に黙っているのだろう。


 また、ちらりとスマホを見た篠井さんが、目を細めて笑った。「ほほえみ」というより、「不敵な笑み」と表現した方がいい表情だった。


「ねえ、瓜生ちゃん。ドリームシティ、次のチラシの特売品はなあに? わたし、買いに行きたいと思っているの。もしローズモールと同じ商品でも、ドリームシティで買うわよ」


 さっきまでの苛立ちを滲ませた態度とは打って変わって、篠井さんはとつぜん上機嫌に話しはじめた。彼女の態度の急な変化に、わたしはうろたえるばかりだ。


 次のチラシは、三日後の金曜日スタートの予定だ。

 でも、まだ表に出していない情報を、社外のひとにぺらぺら話すわけにはいかない。わたしは曖昧に言葉をにごして、その話題をやり過ごそうとした。


 店のドアが開き団体客が入ってくるのが、目の端に映った。みんなスーツを着ているから、会社帰りのひとたちなのだろう。


「ねえ、瓜生ちゃん。わたしとあなたの仲じゃない。次のチラシの商品、教えてちょうだい」


 篠井さんは、わざとらしいほどの甘ったるい大声で、わたしにチラシの情報をねだる。

 大声に気を取られたのか、団体客の中のひとりが、わたしたちの方を見た。


「瓜生じゃないか」


 不意に名前を呼ばれ、そのひとの顔をよく見た。バイヤーの西川さんだった。彼と一緒にいるのは、商品部の部長と青果バイヤーたちだ。


 バイヤーは、市場の休場日に合わせて、水曜日と日曜日に休みを取ることが多い。明日は水曜日。休日前に、みんなで飲みに来たのかもしれなかった。


 でも、バイヤーたちがここにいることに、大きな違和感を覚えた。


 ここはおしゃれなダイニングバーだ。カップルや女性グループ、ひとり飲みの男性が多く、あまり団体の男性客が好んで来るタイプの店とは思えない。

 しかも彼らは、心身共にタフで、ブルドーザーのように働く青果バイヤーたちだ。こじゃれた店には、もっとも興味がなさそうなひとたちと言ってもいい。


 西川さんが、わたしたちの席につかつかと歩み寄ってくる。彼は、わたしの前に座る篠井さんを見て、目を見張った。


「瓜生……。なんでこのひとと一緒にいるんだ?」


 眉をつりあげ、西川さんはわたしにたずねる。なぜ詰問きつもんされているのかわからず、わたしはとまどいながら答えた。


「いつも来店してくださるお客さまで、個人的にも仲良くしていただいてて……。今日も一緒にごはんを食べようとお誘いいただきました」


 わたしが事実を告げると、西川さんは怒りのこもった目でわたしを見下ろした。


「この女、リビングブライトの社員だぞ。市場やローズモールで見かけたことがある。おまえ、なんでライバル社の社員と会ってるんだ?」

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