第七話 柿・フルーツ姫の裏の顔

 昨日、ローズモールから戻ったあと、唐島主任はずっと食品フロアの事務所にこもっていた。

 今日も、売り場の指揮を稲城さんとわたしにまかせ、開店後からずっと事務所に詰めている。


 事務所の前を通りかかったとき、ちらりと中をのぞくと、主任はパソコンを操作しながら、どこかに電話をかけていた。

 とにかく売り場にいるのが大好きで、事務作業やリモート会議もキッチンのパソコンスペースで済ませることの多い唐島主任にしては、珍しいことだった。


 もしかしたら、昨日競合店調査で得た情報をもとに、商品部と次のチラシについて、打ち合わせをしているのかもしれない。

 上から命じられたものを、ただ受け身で販売するだけでなく、積極的に上層部にも意見する。こういう行動力や胆力も、唐島主任がエースとして期待される理由のひとつなのだろう。


 チラシ期間の二日目も、昨日と同じで、客足はいまいちだ。

 十四時ごろ、昨日は顔を見せなかった篠井さんが来店した。

 いつもと変わらず「瓜生ちゃーん」と気さくに声をかけてくれたけれど、出迎えたわたしのほうは、気分が晴れない。昨日のローズモールの件が、まだしこりとして心に残っていた。


 どこの店に行こうが、お客さまの自由だ。他の店に懇意にしている店員がいたとしても、わたしが文句を言えることじゃない。


 それでも、すごくもやもやする。

 昨日、ライバル店の店員とあんなに親しげに話していたのに、今日は何くわぬ顔でわたしにもフレンドリーに接するなんて。

「瓜生ちゃんに会えなくて寂しかった」とか「瓜生ちゃんの接客は一流よ」なんてお世辞を、他のスーパーの店員にも言っているのだろうか。


 ああ、いまのわたしは、浮気者の恋人に振り回される女の子みたいだ。

 そういえば、篠井さんが稲城さん目当てで来店するようになった六月ごろ、丸山さんが複雑そうな顔をしていたっけ。


 恋愛するひとって、しょっちゅうこういう気分になるのかなと、苦々しく感じた。相手に抱く疑念や違和感、不信感。まさか、仕事で疑似恋愛気分を味わうことになるとは思わなかった。


「どうしたの、瓜生ちゃん。なんかいつもと様子がちがうみたい」


 篠井さんは、コケティッシュな仕草で小首をかしげる。


「いえ。そんなことはないですよ。今日も元気いっぱいです」


 わたしはむりに笑顔を作った。引きつり笑いが篠井さんにバレるのではないかと、気が気ではなかった。


「それならいいけど……。今日もおすすめを聞いてもいい?」

「はい、もちろんです」


 わたしは篠井さんと一緒に果物売り場を回る。リンゴやぶどう、早生わせみかんの説明をしてから、最後に柿のコーナーにご案内した。


「今日は、チラシの日替わり特売で、富有柿がとってもお買い得になっています。じつは、ローズモールさんと特売品がかぶっちゃって……」


 つい口が滑って、ローズモールの名前を出してしまった。篠井さんのきれいな眉が、ぴくりと動いた気がしたが、わたしはそのまま接客を続けた。


「ローズモールさんと値段を合わせるために、チラシの価格よりお安くなっています。……篠井さんも、もしかしたらもうご存じかもしれませんが」

「えっ?」


 篠井さんの肩が、バネじかけの人形みたいにびくりと跳ねた。口紅でいろどられた唇をぽかんと開け、目を見開いている。まるで、浮気の証拠を突きつけられた瞬間の恋人のようだ。


 そんな反応をされるとは思いもせず、わたしのほうもしどろもどろになってしまう。


「えっと、あの、篠井さん、ローズモールさんにも買い物に行かれてるみたいだから。うちもローズモールさんも、富有柿が今日の特売品になってるの、ご存じかなと思って……」


 篠井さんは、しばらく無表情でわたしを見つめ、それから口の端だけを上げてほほえんだ。


「……どうして、わたしがローズモールでショッピングしてるって知ってるの?」

「先日、勉強を兼ねてローズモールさんに買い物に行ったんです。そのときに、篠井さんをちらっとお見かけしたので……」


 篠井さんが浮気の証拠を突きつけられた恋人なら、わたしは奔放ほんぽうな恋人をぐちぐち遠回しに責める面倒くさい女の子だ。言うつもりなんかなかったのに、つい篠井さんをローズモールで見かけたことを白状してしまった。


 いつもの篠井さんなら、「やだ、瓜生ちゃん。見かけたら声かけてよ」と笑って肩でも叩いただろうに。彼女はしばしの間、思考をめぐらせるように口をつぐんでいた。


「……ねえ、瓜生ちゃん。近いうちに、またごはんを食べに行かない?」


 気まずい沈黙のあと、篠井さんはようやく顔をあげた。真っ赤な唇が、不自然な笑みを形作っている。


 浮気がバレて開き直った――。そんな雰囲気を漂わせ、彼女はわたしを食事に誘った。

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