第六話 リンゴ・競合店調査

 十一月。野菜売り場には、本格的にさつまいもが並び、ねぎや春菊、白菜の価格が下がってきた。いよいよ、あったか鍋の季節到来だ。


 果物はたくさんの種類のリンゴが入荷し、味の特徴を覚えるのに四苦八苦している。ひとまとめに「リンゴ」と言っても、品種ごとに甘みも酸味も歯触りも、まったくちがうのだ。


 売り場がリンゴの甘ずっぱい香りに満ちている一方、わたしたち青果部門一同は、どんよりした気分に沈んでいた。


「今回のチラシも、ローズモールにやられたな」


 唐島主任は、二枚のチラシをキッチンの作業台に広げ、ため息をついた。

 一枚は、弊社ソレイユマートのチラシ。もう一枚は、競合店であるリビングブライト・ローズモール店のチラシである。


「これだけ、特売品がかぶってると、どうしても訴求力そきゅうりょくが落ちるよな。しかも、あっちのほうが安いときた」


 青果では、基本的に旬のものを特売品にする。なので、あちこちのスーパーで、チラシ商品が似かよってしまうのはしかたがない。

 けれど、十月の中頃から、毎週打っている広告商品が、異様なほどローズモールとかぶっているのだ。


 チラシ期間の特売商品だけではない。なんと、日替わりの目玉商品まで、連日まったく同じ。さらに言えば、どの商品もあちらのほうが数十円安いのである。

 同じ商品で値段が安ければ、チラシを見たお客さまは、当然ローズモールに流れてしまう。ここ数週間ドリームシティのチラシは、毎回振るわずに終わっていた。


 ドリームシティ店単独のチラシなら、主任の裁量で価格を調整できるけれど、ソレイユマート全店共通チラシでは、それもできない。


「しょうがない。あんまり効果はないけど、ローズモールに値合ねあわせするか。稲城、売価とPOP、変えといてくれ」


「値合わせ」とは、競合店の価格に合わせて、値下げすることをいう。

 ただ、集客の段階で、すでにローズモールに負けているのだから、唐島主任の言うとおり、値下げの効果はあまり期待できない。


 唐島主任が着任してから、ドリームシティ店青果部門の売上と粗利益あらりえきは、西川さんのころよりぐんと向上していたけれど、十月はついに前年実績を割ってしまった。この調子でいくと、十一月も危ないかもしれない。


 閑散とした売り場を眺め、唐島主任が言った。


「どうせヒマだし、ローズモールの競合店調査に行ってこようかな。瓜生も一緒に行く? 競合店調査のやり方、実地では教えてなかったし」


 シフトの都合上、同じ売り場の社員が、同時に競合店調査に行くことは、なかなかできない。でも、今日は出勤している人数が多い上、売り場もヒマだ。


「はい。わたしも一緒に行きます」


 稲城さんと戸塚さんに留守をまかせ、わたしは唐島主任についてローズモールに行くことにした。

 更衣室で私服に着替え、ふたりで従業員通用口に向かう。通用口にあるタイムレコーダーに社員証をかざし、退館の打刻をした。


 ここドリームシティでは、衣食住各フロア事務所のタイムレコーダーで出退勤の打刻をするほか、従業員通用口でも、館内への出入りを記録するルールになっている。

 要するに、入館から退館までに少なくとも四回、今日のように勤務中に外出するときには、六回タイムレコーダーに社員証をかざすことになるのだ。


 ドリームシティ前からローズモール行きのバスに乗った。ふたりがけのシートに座ってから、主任は競合店調査のコツを小声で話しはじめた。


「ライバル店の社員だと気づかれないように、ローズモール内では別々に行動する。ふつうの客のふりをして、売り場をさりげなくチェックしよう」

「はい。チェックするのは、値段とレイアウト、取り扱い品目でしょうか?」

「そうだな。あとは、陳列のフェイス数と鮮度。もし可能なら、店員に声をかけて、接客の質もチェックできるといい」


 声をひそめて打ち合わせをしていると、自分がスパイになった気分で、ちょっとわくわくする。いや、ローズモールに負けているのだから、わくわくしている場合じゃなかった。


「メモを取ると、ライバル店の店員だってバレるから、頭の中に情報を叩き込むこと」

「う……。メモせずに、売価覚えられるかな……」

「覚えられないなら、電話するふりして、小さい声で録音するって手もあるよ。でも、意外と覚えられるものだから、心配するな」


 ドリームシティとローズモールは、三キロしか離れていない。すぐにローズモール前のバス停に到着し、わたしと主任は別行動をとることにした。


 似たような規模の、同じようなテナントの入ったショッピングモール。フロア案内図を見なくても、どこに食品売り場があるのかは、だいたい見当がつく。

 どこのスーパーでも、メインの入り口そばには、かならず青果売り場を置く。主任は最初に青果を回ると言っていたので、わたしは反対側の入り口から入ることにした。


 ショッピングカートを押し、ベーカリーと日配の冷蔵ケースを見るふりをする。スパイ偽装と自分用のおやつを兼ねて、プリンアラモードをかごに入れた。

 次は、フロアの中央の加工食品へ。疲れてごはんが作れないとき用に、カップラーメンをふたつ。あとは職場のみんなへのおみやげ兼品質調査のために、リンゴをひと袋買っていくことにした。


 どきどきしながら、青果のエリアに足を踏み入れる。まずはひとまわりして、取り扱い品目をチェックすることにした。

 うちと比べると、ローズモールの野菜売り場は、取り扱い品目が少ないみたいだった。

 紫カリフラワーやアイスプラントなどの、マニアックな食材は陳列されていない。その代わり、ひとつひとつの商品に割く面積が大きいようだ。


 入り口近くの一番目立つ場所には、日替わり特売品のほうれん草が積み上げられている。値段はドリームシティより十円安い。

 ひとつ手に取ってみると、葉先がちぢれ、みずみずしさに欠けている。うちのほうれん草より、あきらかに品質が低い。

 何か月か前、西川さんが廃棄寸前のトマトを大量に送り込んできたのと同じで、鮮度の落ちたほうれん草を安値で買い付け、売価を低めに設定しているのかもしれない。


 白菜1/4カット、98円。ねぎ二本束、128円。春菊、108円……。売り場を回りながら、旬の野菜の価格を覚えていく。

 バスの中では「メモを取らずに覚えるなんてムリ」と思っていたけれど、実際にやってみると簡単だった。どの商品も、ドリームシティより十円から三十円低く設定されているのだ。でも、品質はやっぱりうちのほうが上だ。


 次は、果物売り場へと移動した。リンゴの棚には、うちと同じように、多くの品種が展開されている。


 野菜は取り扱い品目を絞って、ひと品あたりの面積を広く取っているけれど、果物のほうはバリエーションを重視しているようだ。雰囲気もドリームシティに似ている。少し焦げた甘いにおいがすることから察するに、焼きいも機も導入されているらしい。


 四個入りのジョナゴールドを手に取り、ふと顔をあげる。少し離れた精肉売り場の前に、意外なひとを見つけた。篠井さんだ。彼女は、精肉担当らしき店員と、親しげな様子でしゃべっている。


 わたしはとっさに什器じゅうきの陰に隠れた。

 そうか、篠井さんは、ドリームシティだけではなく、ローズモールにも買い物に来ているんだ……。


 なんとなく、暗い気分になった。

 篠井さんは、お料理教室の講師だ。仕事柄、他のスーパーで買い物をしても、なにもおかしくはない。


 けれど、「瓜生ちゃーん」と気さくに声をかけてくれる彼女が、他のスーパーの店員――それも青果ではない従業員と仲良くしているのを見て、少し裏切られたような気持ちになった。


 篠井さんに見つからないよう、こそこそ会計をし、店外へ出た。唐島主任に電話をすると、すでにバス停にいるという。急いでバス停に向かい、主任と一緒のバスに乗り込んだ。


 シートに座るなり「調査はどうだった?」と聞かれ、わたしはローズモールで気づいたことや考えたことを伝えた。

「安い分、ドリームシティより品質が落ちる」という点では、わたしと主任の見解は同じだった。やはり、原価自体がうちの店より低く抑えられているのだろう、と主任は言った。


「でも、店員に声をかけるミッションはできませんでした。すみません」

「接客の質の調査は、けっこうハードル高いからな。それは、次回以降でいいよ」

「いえ……。じつは、ちょっと気になることがあって、急いで売り場を離れたんです」


 主任に話の先をうながされ、わたしは精肉売り場の前で、フルーツ姫こと篠井さんを見かけたと打ち明けた。


「篠井さん、お料理の講師をしているそうなんです。だから、うちのほかのスーパーにも、顔見知りがいるのは不思議じゃないんですけど……」


 もちろん、野菜ソムリエプロだからといって、野菜や果物しか食べないわけではない。けれど、彼女が精肉売り場の店員と親しく話している姿に、なぜか違和感を覚えた。


「ふうん、フルーツ姫がね……」


 なにかを思案するような顔をして、唐島主任は窓の外に目を向けた。

 この日、篠井さんはドリームシティには来店しなかった。

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