第二話 ドリアン・故郷の味

「さて。どうやって売ろうかな」


 リモート会議を終えた唐島主任が、疲れ切った様子でつぶやいた。

 原価を下げてもらうことには成功したが、ドリアンを販売する義務はなくならない。6980円の商品が売れなかったら、大損害だ。


 パートさんたちが「くさい、くさい」と騒ぐので、最初はキッチンから一番遠い棚に陳列した。

 陳列した十五分後には、チェッカー主任がキッチンに怒鳴り込んできた。


「ちょっと! レジがガス臭いって、お客さまからクレームが入ってるんだけど!」


 ですよねー……。そうなると思った。


 そもそも、産地ではどうやって売っているのだろう。ネットで画像検索してみたところ、どうやら露店で販売するパターンが多いようだった。要するに、日本のスーパーのような、気密性の高い場所で売るものではないのだ。


 唐島主任は、こめかみを揉みながら言った。


「冷蔵だったら、少しはにおいが抑えられるかも。二重にラップして、冷蔵ケースに置いてみようか」


 パートさんたちが嫌がるので、わたしがビニール手袋を着け、ドリアンにラップをかけた。

 ガス臭は緩和された気がするけれど、それでもやはりにおう。結局、この日はドリアンを売ることができなかった。


 翌日はチラシ開始日。チラシ初日には、たくさんのお客さまが来店する。いつもなら、特売品と一緒に単価の高いカットフルーツもよく売れるのだが、今日はドリアンのにおいのせいか、冷蔵ケースの商品がまったく動かない。

 まだ暑さの残るこの時期、主力のカットフルーツが売れないのは、かなりの痛手だ。


「しかたない。みなさん、耐えてください」


 唐島主任が苦渋の決断をした。他の部門やレジからも遠く、カットフルーツからも離れた場所――オープンキッチンのすぐ前に、ドリアンを移動することにしたのだ。


「稲城くん、お七ちゃん、助けて……」

「あたし、頭がガンガンしてきた。早退しちゃだめ?」


 キッチン内のパートさんたちが、半べそをかいている。このガスみたいなにおいを長時間吸っていたら、気持ち悪くなってもしかたがない。現にわたしも、朝からずっと頭の芯が痛い。


「まいったな……。売上落とすわけにもいかないし、だからといってパートさんたちを苦しませるのも申し訳ないし」


 主任と稲城さん、わたしの三人で、いい方法がないかと考えるが、なにも思い浮かばない。というか、わたしたち社員も、ドリアンの刺激臭で頭が回っていないのだ。


 そのときだった。


「すみませーん」

「はい、いま参ります」


 お客さまに呼ばれ、わたしはスイングドアから売り場に出た。褐色の肌の女性ふたりが、ドリアンの前で待っていた。


「いらっしゃいませ、お待たせいたしました」

「これ、ドリアンですか?」

「あ、はい。そうです。ドリアンです」


 ラップでぐるぐるに巻きすぎて、中身が見えづらかったかもしれない。女性ふたりは、外国語でなにか話し合うと、「これ、買います」とドリアンを指さした。


 え、ええー!? ドリアンが売れた!? 6980円もするドリアンが!

 キッキンの中を見やると、唐島主任も稲城さんもパートさんたちも、みんな目をうるませて、うんうんと頷いていた。


「はい! ありがとうございます! すぐにカゴをお持ちしますね!」


 わたしは急いで買い物カゴを取りに行き、中にそっとドリアンをおさめた。

 よかった。売れた。これで、強いガス臭に悩まされずに済む。損失も出ない。ほんとうによかった。


「重いので、気をつけてお持ちくださいませ」

「あの、ここのお店、いつでもドリアン買えますか?」


 お客さまのひとりが、そうたずねた。

 リモート会議で主任が言っていたとおり、ドリアンが売れるようだったら、継続発注することは可能だ。


 でも、このガス臭を常にかいでいるのはつらい。本音を言えば、もうドリアンは取りたくない。

 助けを求め、唐島主任に視線を向けると、彼女は目顔で「買えると答えろ」と促してきた。

 泣きそうになるのをこらえて、わたしは笑顔を作った。


「はい。売り切れてしまうこともありますが、ドリアンのシーズンはいつでも取り扱いしております」


 そう答えると、ふたりの女性はうれしそうに微笑ほほえみ合った。


「ドリアン、わたしたちの国でよく食べるフルーツなんです」

「日本でいつでも食べられるの、うれしいです。家族も喜びます」


 ドリアンを持ったお客さまたちは、楽しそうに会話しながら、レジの方に向かっていった。


「売れた! 売れました!」


 キッチンの中に戻ると、みんなが拍手で出迎えてくれた。

 これで今日は、ガス臭から解放される。……ただ、お客さまに約束してしまった手前、あらたにドリアンを発注しなければならないのだけれど。


「ドリアン発注するの、気が重いな……」


 思わずため息をつくと、パートさんのひとりがぽつりと言った。


「でも、さっきのお客さんたち、嬉しそうだったわよね。……あんなに喜んでくれたのを見ると、『くさい、くさい』って騒いだのが、申し訳なくなっちゃう」


 キッチンの中が、しんと静まった。

 たしかに、そうだ。もし、外国で納豆や味噌を「くさい」と言われたら、わたしもきっと傷つくだろうし、嫌な気分になるだろう。


「そうよね。それに、外国で自分の国の食べ物に出会えるって、心強いだろうし。あたし、東北の出身なんだけど、この店に行者ニンニクや食用菊もってのほかがあって、嬉しかったもの」


 キッチン内がしんみりとした空気になる。


「……ドリアン、積極的に発注しようか」


 唐島主任が、ふっと微笑ほほえんで言った。


「そうですね。お客さまのニーズに応えるのが、スーパーの役目ですから」


 稲城さんも同意した。もちろん、わたしも異存はない。

 ただ、強烈なドリアンのにおいは、やっぱりつらい。慣れるのを待つか、気力で乗り越えるか……。


「一段落ついたし、休憩行ってきていいぞ、瓜生」


 唐島主任に言われ、わたしは財布を持って売り場を離れた。

 いつもは、デリカでお惣菜を買い、従業員用の休憩室で食べている。が、今日は大物を売ったお祝いに、自分に贅沢を許すことにした。


 四階の飲食店フロアに上がり、なにを食べようかと店先を見て回る。パスタ屋のメニューを眺めているうちに、頭の中でちかっとアイデアがひらめいた。


「そっか、そうだ。……もしかしたら、うまくいくかも」


 わたしはスマホを取り出し、検索ワードを入力した。


「あった!」


 よし。いける。

 そわそわしながらパスタランチをたいらげ、わたしは急ぎ足で店を出た。


 四階から従業員用の階段を駆け下り、バックヤードを走って、青果のキッチンに飛び込む。息を切らしたわたしを見て、唐島主任が不思議そうに首をかしげた。


「あれ、瓜生。まだ休憩時間終わってないぞ」


 休憩なんかより、思いついたアイデアを、早く主任に聞いてほしい。 

 わたしはスマホの画面を、唐島主任と稲城さんに示した。


「主任、稲城さん。これ見てください。ドリアンの販売に使えませんかね?」


 スマホを覗き込んだふたりが、同時に声を上げた。


「ドリアンの食品サンプル!」


 飲食店フロアのショーウィンドウを眺めているうちに思いついたのだ。本物の代わりに食品サンプルを置いて、ドリアンの取り扱いがあることをアピールすればいいんじゃないか、と。


「ドリアンを買いたいお客さまが、いつ来店するか、わからないじゃないですか。だったら、受注販売にしたらどうかなって」

「いいね、瓜生さん。受注販売なら、ぜったいに廃棄ロスにはならないし、売れるまで、においに悩まされることもない」

「食品サンプル、三千円くらいで買えるんだな。今月の経費予算もまだ余裕あるし、これでいこう」


 唐島主任はそう言うと、さっそく食品サンプルを注文してくれた。


 食品サンプルを置いた数日後、テスト販売のドリアンを買ってくれたお客さまが来店した。

 本物のドリアンがないことにちょっと落胆した様子だったけれど、今日発注すれば翌日には届くと伝えると、うれしそうに破顔した。


「これからは、お電話でご注文いただければ、その都度ご用意いたします」


 そう言って、わたしは自分の名刺をお客さまに渡した。

 リピーターのお客さまには、電話で予約してもらえば、何度も店に足を運んでもらう必要がなくなる。

 わたしたち店員もドリアンのにおいに悩まされることなく、確実に売上もとれる。一石三鳥くらいにはなりそうだ。


「おねえさん、ありがとう。わたしたちの友達にも、ここでドリアン買えるよって、言っておきますね」

「はい、ありがとうございます。またのご来店、お待ちしております!」


 深いおじぎをして、わたしはお客さまを見送った。

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