第五章 秋のリンゴと鍋野菜
第一話 某青果物・社員だからがまんできる
道路が混んでいるのか、それとも荷物を積むのに時間がかかったのか。午後便の到着が遅れている。いつもなら、たいてい十三時半にはトラックが来るのに、十四時過ぎになっても荷受け場から連絡がこない。
「荷物、まだかな。十五分から主任会議が始まるんだけど……」
腕時計を確認し、唐島主任が渋い顔をした。
今日は、関東事業部の各店主任と青果バイヤーが参加する、リモート会議が入っている。
今日はチラシのない平日なので、出勤している社員は、わたしと唐島主任のふたりだけ。稲城さんと戸塚さんはお休みだ。
リモート会議とはいえ、荷受けのために主任が席を外すわけにはいかない。この様子だと、午後便はわたしひとりで搬入することになりそうだ。
でも、わたしも二年次の正社員。もうすぐ主任昇格試験だって控えている。
唐島主任や稲城さんがいないときには、わたしが率先してリーダーシップを発揮しなければならないのだ。
わたしは胸を張って、唐島主任に言った。
「わたしひとりで大丈夫です。手が空いているパートさんにお願いして、手伝ってもらいますから」
「うん。明日のチラシ商品が来るから、荷物多くて大変だけど、よろしくな。……また、とんでもない送り込みがなきゃいいけど」
トマト事件以降、唐島主任は西川さんからの突発的な送り込みを警戒している。
彼も、バイヤーとして利益を出し、実績を積まければならないから、ふだんはきちんとした商品を送ってくる。が、たまに思い出したように、品質の悪い商品や大量の荷物を送りつけてくることがあるのだ。
そのたびに、唐島主任は西川さんに電話をかけ、やんわりと抗議しているが、改善はみられない。
権力勾配でいえば、店舗主任より商品部バイヤーのほうが、圧倒的な力を持っている。
唐島主任がどれだけ抗議しても、西川さんはバイヤーの立場を利用して、ドリームシティの販売計画を無視した送り込みをしてくるのだ。
今日は、ただでさえ荷物が多い。大量の送り込みをされたらたまったものではないが、さすがに商品部の部長も参加するリモート会議の日に、めちゃくちゃなことはしないだろう。
「じゃあ、わたしはそろそろ会議に入るから、あとは頼んだよ」
唐島主任はわたしに業務用の携帯電話を託し、オープンキッチンのパソコンに向かった。
リモート会議がはじまった直後、管理課から電話がかかってきた。ようやく午後便が届いたのだ。
わたしは、唐島主任の口調をまねて電話に出た。
「はい。青果、瓜生です」
「ああ、瓜生さんか……。唐島主任か稲城くんに代わってくれる?」
管理課の男性社員が、不服そうに言った。荷物を取りに行くだけなのに、わたしでは力量不足だとでも言いたいのだろうか。
わたしはむっとして答えた。
「今日は稲城さんはお休みで、主任はリモート会議中です。荷受けにはわたしが行きます。荷物、何パレットありますか?」
「五パレットだけど……。物量はどうでもいいんだよ。とにかく早く取りに来て」
管理課の男性は、うんざりしたように吐き捨てると、一方的に電話を切った。
「なにいまの。失礼じゃない?」
管理課の態度に内心ムカムカしながら、わたしはふたりのパートさんと一緒に、荷受け場に向かった。
店内には冷房が効いているが、外は残暑が厳しい。外気にさらされる荷受け場からは、熱い風が吹き込んでいた。
ハンチングでパタパタと顔をあおぎながら、さきほど電話をかけてきた管理課の社員に声をかける。
「青果です。荷物、取りに来ました」
「ああ、青果の荷物、そこにあるから。さっさと持ってって」
管理課の社員はぞんざいな口調で言い、
いつもは、持参した台車に自分たちで荷物を積む。なのに、今日はなぜか、管理課の方で台車の用意をしてくれたようだ。
冷たい態度をとるわりに、すぐ運べるよう荷物を台車に乗せておいてくれたのはなぜだろう。
青果のバックヤードに到着したとき、パートさんのひとりが眉をひそめた。
「ねえ、お七ちゃん。さっきから思ってたんだけど、なんかガス臭くない?」
言われてみると、たしかにガスのにおいがする。まさか、店内のどこかでガス漏れでもしているのだろうか。
食品フロアでガスを使うのは、デリカとベーカリーだけだ。けれど、この二部門は、青果とは一番売り場が離れている。
テナントの飲食店やフードコートは、さらに遠くにあるから、ガスのにおいが青果のバックヤードまで届くわけがない。
不思議に思っているうちに、どんどんにおいが強くなってきた。あまりに強烈なにおいのせいで、頭がガンガンする。
わたしは頭痛をこらえながら、冷蔵庫に入れる商品とバックヤードに置く商品を仕分けはじめた。
「このダンボールが、くさい気がするんだけど」
パートさんが指さした無地のダンボールを見る。
頑丈そうなその箱の中身は、たぶん海外からの輸入品だ。ふだん入荷する外国産の商品といえば、バナナやパイナップル、柑橘類、パプリカなどがあるが、そのどれともパッケージが違う。
「お七ちゃん。あんた、開けてみてよ」
「ええ……、わたしがですか?」
「そうよ。あたしたちパートなんだから。社員が責任持って、中身の確認しなさいよ」
パートさんたちは、わたしを残し、ダンボールからじりじりと距離を取っていった。
「え、そんな……。みんなひどい……」
得体の知れないダンボールを開けるのは怖い。中でなにかが腐っていたり、動物の死体でも入っていたらどうしよう。
けれど、いまはわたしが唐島主任の代理なのだ。パートさんたちの言うとおり、社員としてしっかり中身を確認しなければならない。
「じゃ、じゃあ、開けます。いいですか? 開けますからね!」
意を決して、えいやっとダンボールを開ける。強烈なガス臭が、殴りつけるように襲いかかってきた。涙目になりながら、おそるおそるダンボールの中をのぞきこむ。
「え、これって、まさか……」
ダンボールの中には、びっしりと突起に覆われた、大きな物体が入っていた。
わたしは息を止めてダンボールを閉じ、スイングドアから青果のオープンキッチンに駆け込んだ。鼻の奥には、ガス臭が染みついている。嗅覚が麻痺してよくわからないが、もしかしたらわたしの手も制服も、ガス臭を漂わせているかもしれない。
パソコンの前では、イヤホンをつけた唐島主任が、ドリームシティ店の売上報告をしている
「なっ……! 瓜生……?」
唐島主任が、驚いてわたしを振り向く。パソコンの画面の中でも、商品部の面々と各店主任たちが、とまどった顔をしていた。
唐島主任を押しのけ、マイクがONになっているのを確認してから、わたしは画面にずいと顔を近づけた。
「会議中、失礼いたします。ドリームシティ、瓜生です。バイヤーのみなさんに、ひとつ質問が。……いったい誰ですか? 事前連絡もなしに、ドリアンを送り込んできたのは?」
「ドリアン!?」
唐島主任が、ぱっといすから立ち上がり、バックヤードに駆けていく。
そう、ガス臭のするダンボールに入っていたのは、ドリアンだった。
「果物の王さま」とも「悪魔のフルーツ」とも呼ばれるドリアン。独特なにおいが嫌われる一方、クリーミーな甘さの
荷受け場の社員に「さっさと持っていけ」と追いやられたのは、このドリアンが原因だったのだ。
バックヤードから戻ってきた主任は、片手で鼻と口を覆っていた。
彼女は苦り切った顔で着席すると、画面内のバイヤーたちに、低い声で問いかけた。
「で、誰なんですか? ドリアンを事前連絡なしで送ってきた方は?」
まあ、聞かなくとも予想はつく。案の定、画面の中で西川さんが、へらへらと手を上げた。
「悪い、悪い。忙しくて連絡忘れてた。新しく開拓した商社が、ぜひ扱ってくれっていうからさ。ドリームシティでテスト販売してみてよ」
軽く面倒ごとを押し付けてくる西川さんに、唐島主任は淡々と返答した。
「何度もお願いしていますが、せめて送り込みの事前連絡はしてください。ちなみに、このドリアン、商品部の指示売価はいくらなんですか?」
「ひと玉6980円。原価率73%でよろしく」
ひと玉6980円。薄利多売の青果の中では、とんでもないレベルの高額商品である。しかも、日本では見慣れない果物を、買ってくれるひとがいるのだろうか。
「ドリームシティって、東南アジア出身のお客さまも来店するだろ? ラニーバナナもよく売れてるし。唐島主任の力量でドリアンも売ってくれよ」
「
西川さんだけでなく、五十代の渋いイケオジ――商品部長まで、「ドリームシティでドリアンを売れ」と指示してきた。
絶望して振り返ると、キッチンにいるパートさんたちが泣きそうな顔をしていた。わたしも泣きたい。こんな刺激臭を放つものを、売り場に陳列するのはキツい。
画面のフレームにおさまった各店の主任たちは、ニヤニヤ笑ったり気の毒そうな顔をしたりしながら、ことの経緯を見守っていた。
「わかりました。ドリームシティでテスト販売します」
唐島主任がそう答えると、背後からパートさんたちの悲痛な声があがった。社員だからがまんするけど、わたしも一緒になって悲鳴をあげたいくらいだ。
「テスト販売で売れたら、店舗側から追加発注します。ですから、今後はぜったいに、ドリアンの送り込みはしないと約束してください」
唐島主任は「勝手にドリアンを送り込むな」と何度も念押しし、西川さんと部長の了承を勝ち取った。
「あと、原価をもう少し下げてもらえませんかね? 6980円のドリアンは、売れなかった場合のダメージが大きい。商品部の利益をけずって、ドリームシティに回してください」
ムチャな送り込みを引き受ける代わりに原価を下げろと、唐島主任は商品部相手に交渉をはじめた。
さすが、ソレイユマートの若きエース。不利な状況でも、ただでは上層部の命令に従わない。交換条件として、しっかりこちらの要求を飲ませるのが、唐島主任のすごいところだ。
「原価を下げてもらえないなら、社内便でドリアンを商品部に送り返しますが、どうします?」
のらりくらりスルーしようとしていた商品部の面々だったが、唐島主任の鬼気迫る
あざやかな交渉術を見て、画面の中のよその主任たちが、「わー」と拍手している。
はぁ……。他の店舗は、無責任に面白がれていいよね。
送り込みのドリアンをどうやって売るのか。売れる勝算はあるのか――。ドリームシティの社員としては、頭が痛い。
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