第三話 スイスチャード・彼女に贈る大切な料理

「瓜生って、独身だよな?」


 唐島主任が呆れた顔で、わたしの部屋のスチールラックを眺めている。

 キッチンにそびえ立つ頑丈な棚には、バルミューダのトースターや、スチームオーブン、ル・クルーゼのココットロンドがぎっしり並んでいた。


 棚にあるのは、調理器具だけではない。

 作家ものの和食器。思いきって買った洋食器のシリーズ。五客組のカップアンドソーサー。大量のマグカップやグラス。


 自分でもどれくらい食器を持っているのか、よくわからない。一般的な食器棚では重量に耐えられないため、業務用のスチールラックを使用している。


「あたりまえじゃないですか。結婚してたら、社宅にワンルームマンション割り当てられませんし」

「この食器の数、ひとり暮らしの量じゃないよな。なんで独身の家に五客セットのティーカップがあるんだよ。この部屋、五人も入れないだろ」

「好みだったから、つい買っちゃって」

「五客セットを? つい買うか? ふつう?」


 唐島主任は、謎の生き物に遭遇そうぐうしたような目でわたしを見た。


 篠井さんに励ましてもらい、わたしは今朝、「仕事が終わったら、うちでごはんを食べませんか」と、主任にメッセージを送った。

 今日はいつもより早く退勤したらしく、主任は八時過ぎにわたしの部屋にやってきた。

 そして、いまに至る。


 先日、おかずのお裾分けに行ったときには鬱々うつうつとしていた主任だけれど、わたしの食器コレクションを見て度肝どぎもを抜かれたらしい。


「ダイニングに異動希望してるから、食器が好きなんだろうとは思ってたけど。……これ、他の事業部に転勤になったら、引っ越しどうするの?」

「考えたくありません」


 小売業界はやたらと異動が多い。特に単身者は、全国どこにでも飛ばされる。唐島主任も、ドリームシティに来る前は東海事業部にいた。

 わたしがもし遠い店舗に転勤になったら、この大量の食器を梱包して引っ越ししなければならない。想像しただけで気が遠くなる。


 いつか、わたしも唐島主任も異動の辞令がおりて、別々の場所で働くことになる。優秀な唐島主任は、近い将来、事業本部か本社に引き抜かれるにちがいない。


 わたしは、希望がとおれば住居フロアに、とおらなければ青果のまま他の店舗に飛ばされる。どちらにしても、唐島主任の部下でいられるのは、長くて二年、短ければ半年ほどだろう。


 わたしじゃない社員が主任の部下になるのは、唐島主任じゃないひとがわたしの上司になるのは、ちょっとだけ寂しい気がした。


 そんな思いを振り払って、わたしは唐島主任の背中を押した。


「まあまあ。あるかどうかわからない、わたしの引っ越しはどうでもいいから。どうぞ座ってください」


 わたしの部屋は、主任の殺風景な部屋とはちがい、ごちゃごちゃしている。座卓ではなく、テーブルと椅子二脚もあるため、主任の部屋と比べると段違いに狭い。


 主任に座ってもらい、わたしは食卓の準備をした。

 メインは、奮発して牛肉ブロックを買い、ローストビーフを作っておいた。副菜には、パプリカとブロッコリーと豚肉のチーズ炒め。それからスイスチャードのナムル。生クリームをたっぷり使ったズッキーニの冷製スープも、冷蔵庫にスタンバイしている。


 篠井さんに教えてもらったレシピは、夏にぴったりの元気でカラフルな料理ばかりだ。

 見るだけでパワーが出そうなローストビーフは、お肉の色を引き立てる黒い鉄釉の大皿に盛った。みずみずしいサニーレタスと高糖度のフルーツトマトを添えてテーブルのまんなかに置く。


 チーズ炒めは白磁のボウルに。赤と黄色のパプリカ、そして緑のブロッコリーがとても映える。もともとはピーマンを使うレシピだったけれど、苦いものが苦手な主任のために、ブロッコリーに変更した。


 ふつうのスーパーでは、めったに見かけないスイスチャード。葉はほうれん草や小松菜に似ているけれど、葉軸の部分が黄色、ピンク、オレンジ等、一枚一枚色がちがう。とにかく華やかできれいな野菜だ。いろどりを損なわないよう、さっとゆでて、ごま油と鶏ガラスープの素でナムルにした。


 テーブルには、新しく買ったリネンを敷いた。コレクションの中から、かわいい箸と箸置きも選んだ。少しでも、唐島主任に明るい気持ちになってほしくて。

 テーブルに並んだ、派手な色合いの料理を見て、主任は相好そうごうを崩す。


「瓜生らしい料理だな」


 ズッキーニの冷製スープは、生クリームのコクのおかげで、ローストビーフにとてもよく合う。野菜もいいけど、腹の底から力を出すには、やっぱりお肉をたくさん食べるのが一番だ。


 ふたりでローストビーフを分け合い、牛肉の味を堪能しながら、パプリカやスイスチャードの色をきれいに出す調理法について話す。野菜の話をしているときの主任は、売り場でのかげりが消え、いきいきとしていた。


「今日の料理もだけど、この間の差し入れもおいしかったよ。あのミートソース、もしかしていちから手作りした?」

「はい。トマトを湯むきして、作ってみました。いつもは、そこまで手の込んだ料理は作らないんですけど……」

「ありがとう。わたしに気をつかってくれたんだよな」


 答えを言いよどんでいると、主任から話を切り出された。


「もう、瓜生も気づいてると思うけど、萌と別れたんだ」


 ずきりと胸が痛んだ。やっぱり、想像したとおりだった。


「……わたしの、せいですね」


 小さな声でようやくそれだけを言う。テーブルの向かいで、主任がかぶりを振った。


「ちがう。何度も言うけど、瓜生のせいじゃない。たしかに、あの事件が決定打にはなったけど、遅かれ早かれ、萌とはダメになってたと思う。時間の問題だったんだよ」


 関東事業部に転勤になってからは、ケンカがたえなかったから、と主任は弱々しく笑った。


「萌とは、ふたつ前の店舗で知り合ったんだ。同じ店にいるうちはうまくいってたけど、わたしがポートモール店の開設主任になって、忙しくなって……。振り返ってみれば、あの頃からもう、すれ違ってたんだよな」


 萌は、住居フロアの寝具・家具担当だったんだ――、と唐島主任は話を続けた。わたしは口を挟んだりせず、主任の話に耳を傾ける。


「食品フロアと住居フロアじゃ、同じ社内でも働き方がまったくちがう。あっちは、高額商品を腰を据えて売るけど、青果は薄利多売だ。『どうしてそんなに働くの?』って、最後まで理解してもらえなかったな」


 青果は、社内で一番忙しい部門だ。朝も早く、残業も多い。じっくり接客して、客単価何万円の商売をする寝具・家具とは、根本的に仕事の性質がちがうのだ。


「わたしはダメだったけど、稲城と丸山さんには、頑張ってほしいんだよ。食品と住居でもうまく続いてほしい。稲城に、わたしと同じ失敗はさせたくない」


 主任は、優しい声でそう言った。自分が失恋したばかりだというのに、稲城さんのことを気遣っている。


「瓜生が前に言ってたとおり、わたしはワーカーホリックなんだろうな。最後のほうは、萌と会うより、稲城と数字の話したり、瓜生とこうやって野菜食べるほうが楽しくなってた。やっぱり、恋愛より仕事のほうが向いてるのかもしれない」


 ふたりで皿を洗ったあと、「そろそろ帰るよ」と主任が言った。わたしは、冷蔵庫に入れておいた保存容器を持って、玄関まで見送りに出る。


「今日はごちそうさま。明日から復帰だな。売り場で待ってるよ」


 そう言ってドアを開けた主任に、わたしは保存容器を差し出した。


「あの、主任。スイスチャードで、からしえも作ったんです。よかったら食べてください。すごく、すごく辛いです。……涙が出るくらい」

「わたしが、辛いの苦手なのわかってて、からし和えなんだ?」


 唐島主任は、容器を受け取り苦笑する。わたしは笑い返したりせず、きっぱりと言った。


「主任はきっと、むりやり理由を作らなければ、泣けないひとだと思ったから」


 唐島主任は、つらいことがあっても、泣かずに飲み込んでしまうひとだと思ったから。

 だから、スイスチャードに、主任の苦手なからしをたっぷりと使った。


 主任は苦笑をひっこめ、真剣な顔でわたしを見た。しばらく見つめ合ったあと、彼女は視線をそらして、小さくため息をついた。


「……瓜生って、他人に興味ないくせに、意外とまわりをよく見てるんだよな」

「スルー力や回避能力を高めるためには、まわりを観察する力も必要ですから」


 くすりと笑った主任は、大切そうに容器を掲げた。


「ありがとう。今夜、家で食べるよ。……ひとりで、ゆっくり食べさせてもらう」


 主任は自分の家に帰っていった。彼女がエレベーターに乗り込んでいくまで、わたしはドアを開けたまま、ずっと姿を見守っていた。


 翌日、わたしは長休から仕事に復帰し、主任もいつもと変わらない様子で職場に現れた。


「からし和え、おいしかったよ。めちゃくちゃ辛かったけどな」


 きれいに洗った保存容器を、主任は照れくさそうに返してくれた。以前の覇気は戻ってきたみたいだけれど、ほんの少しだけまぶたがれぼったい気がした。


 長休で体がなまりきったわたしに、主任はあいかわらずビシバシと指示を飛ばした。ヒーヒー言いながら荷受け場から商品を運び、何度も確認しながら売価変更をして、果物の試食をする。

 十時の開店では、主任と並んでお客さまをお出迎えして、久々の青果での一日がはじまった。


 昼の休憩のあと、売り場で桃の品出しをしているところに、篠井さんが来店した。先日一緒にダイニングバーには行ったけれど、売り場で会うのは久しぶりだ。


「瓜生ちゃーん。ずっと瓜生ちゃんに接客してもらえなくて、寂しかったわよー」

「あはは。ありがとうございます。長休明けで今日から復帰なので、よろしくお願いします」


 プライベートで飲みに行ったため、篠井さんとは以前より気安く会話ができるようになった。


「ね、瓜生ちゃん。お友達とはお話できたの?」


 声をひそめて、篠井さんがたずねてきた。ダイニングバーでうじうじしていたわたしを、ずっと気にかけてくれていたみたいだ。


「はい。おかげさまで。篠井さんに教えてもらったレシピでごはんを作って、食べながら話ができました。ありがとうございました」


「お友達」の恋の結末は、篠井さんには話さなかった。これ以上は、わたしの悩みではなく、主任のプライバシーの問題だ。勝手に主任の失恋を、赤の他人の篠井さんに話すわけにはいかない。


 篠井さんも、「お友達の恋」自体を、根掘り葉掘り聞いたりはしなかった。唐島主任もそうだけれど、いまどきの大人の女性は、他人のプラベートに不躾ぶしつけに踏み込んでこないのだ。


「でも、そのお友達がうらやましいわ。瓜生ちゃんに、こんなに心配してもらえるなんて」


 桃のパックを手に取り、篠井さんはわたしにあでやかな笑顔を向けた。


「わたしも、もっと瓜生ちゃんと仲良くなりたい。また、一緒にごはんを食べにいきましょうね」


 どこが気に入られたのかよくわからないけれど、篠井さんは熱心にわたしを食事に誘ってくれるようになった。

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