第八話 ニンニク・無能社員、窮地に立たされる

 六月下旬は、他の時期と比べて、青果売り場は閑散とする。

 梅雨で客足が少なくなり、葉物類は長雨のせいで少し質が悪くなる。桃やスイカを大々的に展開するには微妙に時期が早く、目玉になる商品も少ない。だからこそ、この時期に社員たちが長期休暇を取得するのである。


 唐島主任は長期休暇に入るやいなや、彼女さんのところへ出かけていった。

 長休初日、出勤しようとしていたときに、たまたまスーツケースを持った主任と、エレベーターで一緒になったのだ。


「いまから彼女さんのところですか?」


 そうたずねると、唐島主任はちょっとはにかんで「うん」と答えた。


「留守の間、売り場よろしくな。まあ、稲城も戸塚さんもいるから大丈夫だと思うけど……」


 あきらかに三日目を心配している主任を安心させようと、わたしは自分の胸をどんと叩いてみせた。


「まかせてください。プリセットは何度もしつこく確認しますから。ぜったいにミスはしません」


 まだ少し不安そうな彼女に向かって、わたしはおどけた口調で言った。


「そんなことより、彼女さんにニンニク料理作っちゃダメですよ。あと、野菜ばっかりにしないように。お肉とお魚も料理してくださいね」

「わかってるって」


 唐島主任は苦笑しながら、新幹線の駅へ向かう電車に乗っていった。


 さて。今日が問題の三日目である。

 七時に出勤して、荷受け場からちゃきちゃき荷物を運んだ。パートさんたちに売り場レイアウトを渡して、鮮度チェックがてら品出しをしてもらう。彼女たちも、今日が正念場だとわかっているので、とても協力的だ。


 ゆうべのうちに、稲城さんとわたしでPOPはすべて準備したし、レイアウト図も完璧にできている。品出しやカット野菜、カットフルーツの準備は、熟練のパートさんたちにまかせておけば問題ない。


 あとは、わたしがきちんと売価登録をするだけで、午前の業務は滞りなく進むはずだ。十四時になれば、戸塚さんが出勤してくる。それまで、わたしが売り場をしっかり守らなければならない。


 開店三十分前。リストを手に、わたしは売り場から、売価が変わる商品をピックアップしていった。


 青果の商品には、三種類の売価登録方法がある。

 ひとつは、店内で独自のバーコードを発行する「インストアマーキング」。ふたつ目は、パッケージ入りの商品に最初から印刷されている「JANジャンコード」。そしてみっつ目が、わたしが以前ミスをして、唐島主任から大目玉をくらった「プリセット」である。


 店内発行のバーコードシールには、商品名と売価情報が直接書き込まれている。なので、売価変更時には、シール自体を貼り直さなければならない。

 JANコード(日本産のものには45か49ではじまる番号が振られている)は、コードと売価をシステムの商品マスタ上で紐付ける。

 プリセットは、品目名と売価を商品マスタに登録しておき、レジのワンタッチキーで商品名を押す仕組みだ。


 他の社員が誰もいないいま、わたしの失敗は許されない。売価変更リストを何度も見直し、パートさんたちにも確認してもらった。

 彼女たちのOKが出たあと、保存をして商品登録画面を閉じた。


「よし。完了」


 売価登録が終わったと同時に、店のスピーカーから開店五分前の放送が流れはじめた。

 わたしはパソコンスペースを離れ、売り場に出る。売価登録OK。POPもすべてついている。品出しも完了。お客さまをお迎えする準備は万全だ。

 開店一分前。わたしはパートさんや他の部門のひとたちと一緒に、通路に並んだ。


「ソレイユマート・ドリームシティ店、開店いたします」


 十時ぴったりに開店の合図がかかり、全館の自動ドアが開放される。オープンを待っていたお客さまたちが、続々と店内に入ってきた。通路を進むお客さまを、わたしたち従業員は深いおじぎでお出迎えする。


「いらっしゃいませ。おはようございます」

「いらっしゃいませ」


 オープン後五分間しか見られない、ショッピングモールの朝の儀式。ずらりと居並んだ従業員がいっせいに頭をさげる光景は壮観で、これを楽しみにオープン前から並ぶお客さまも多いらしい。


 開店の音楽が終わったあと、在庫整理をするために冷蔵庫へ向かおうとすると、チェッカー主任が血相を変えて駆けてきた。


「ちょっと、青果の売価、どうなってるのよ。プリセットもJANコードも読み取れないんだけど」

「え……?」


 ざあっと音を立てて、血の気が引いていく。

 あれだけ確認したのに。パートさんたちにもチェックをしてもらったのに。わたし、また失敗した……?


 いそいでパソコンの前に座り、商品マスタを開く。画面を見て愕然とした。プリセットだけではない。すべての商品のデータがきれいに消えていた。


 どうしよう。

 頭が真っ白になってなにも考えられない。

 店内で発行する値札シールは、バーコード自体に売価の情報が書き込まれているから問題はない。

 でも、商品マスタから消えてしまった、大量のプリセットとJANコードはどうすれば……。


 開店して五分。まだ、レジで会計するお客さまは多くない。でも、時間がたてばたつほど、レジでの混乱は大きくなる。

 いまから、ひとつひとつ売価を登録し直すには、青果の品目数は多すぎる。どうしよう。どうすればいい?

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