第六話 ゴーヤ・苦い過去とそのままの自分
サワーを飲んでいた主任は、眉を寄せた。
「『ほかの女を連れ込む』って……。人聞きの悪い言い方するな。瓜生には恋愛感情も性的な興味もないって言っただろ? おまえのことは、部下としか思ってない」
そこまで言ってから、主任は急にばつが悪そうな顔になった。
「あ……、もしかして、わたしとふたりでいるの気まずい? わたしのほうは興味なくても、瓜生が警戒心持つのは仕方ないもんな」
わたしは慌てて首を振った。
「いえ、そういう意味じゃなくて。わたしが来た痕跡が残ってたら、彼女さんに誤解されないかなー、って。この間、主任と彼女さん、ケンカしてましたし……」
「ああ、あのあと仲直りしたし、長休中はこっちじゃなくて、ずっと萌のところにいる予定だから大丈夫だよ。萌も楽しみにしてるって、ここのところ機嫌いいんだ」
お酒が入っているせいか、主任はほんのり目元を赤らめ、のろけ話をした。主任も稲城さんも、恋人とうまくいっているみたいで、よかった、よかった。
「あのさ、念のため聞くけど、瓜生はわたしとふたりでいるの、嫌じゃない? もし少しでも、わたしのこと警戒してるなら、こういう試食会はやらないようにする」
珍しく、主任がわたしの顔色をうかがうようにたずねてきた。たぶん、過去に嫌な目に
少々重くなった空気を払拭しようと、わたしは明るい声をあげた。
「いえ、ぜんぜん警戒してないです。わたしより、
「なんだそれ」
主任はおかしそうに笑った。
「それに、もし主任がわたしに目を向けたとしても、わたしのほうは恋愛自体に興味がありませんから。誰のことも好きになりません」
お酒の酔いも手伝って、いつも隠している本音が、ぽろりと出てしまった。
「え、瓜生って、誰かとつき合ったり、恋愛感情持ったこともないの?」
意外そうに首をかしげた主任に、わたしはこくりとうなずく。
そう、わたしは恋愛に関心がない。学生時代、さんざん「変だ」と言われてきたから、職場ではひた隠しにしているけれど。
売り場では、主任のほうが色恋に縁のないワーカーホリックだと思われているし、稲城さんは丸山さんと公認カップルなので、パートさんたちの詮索の的は自然とわたしになる。
「紳士服の村田さん、お七ちゃんにお似合いじゃない?」とか「シネコンのバイトの男の子もかっこいいわよ」などと、パートさんたちが勝手に独身男性をおすすめしてくるけれど、「いまどきは『彼氏いるの?』って聞くのもセクハラなんですよー」と冗談っぽくかわしている。
「恋愛なんてしたくない」と突っぱねたら、なにを言われるかわかったものじゃない。「若い子は恋をしなきゃダメよ」と説教されるのがオチだ。
ていうか、他人の恋愛事情に探りを入れるのは、まじめな話、ほんとうにセクハラだよね。
でも、パートさんたちの若いころはトレンディドラマ全盛期だったらしく、男女が恋愛するのは当然だと信じているし、若い子に恋バナを振るのは礼儀だと思っている節さえある。
職場で波風立てるのも面倒なので、笑ってスルーしているけれど、できれば放っておいてほしい。わたしはほんとうに、恋愛なんてどうでもいいのだ。
その点、唐島主任は、すぐに自分の失言に気づいて謝ってくれた。
「……あ、悪い。上司がこういう立ち入ったこと、聞くもんじゃないよな」
主任自身もマイノリティのひとりなのだ。いままで何度も嫌な思いをしてきたのだろうと、容易に想像がつく。
わたしも「理想が高すぎるんだよ」とか「まだ運命のひとに出会ってないだけじゃない?」とか、無邪気な慰めの言葉にうんざりさせられてきた。
方向性はちがうけれど、わたしと主任は、マイノリティとしては同類なのだ。
「いえ、大丈夫です。でもじつは、主任もわたしと同じで、恋愛しないだろうって思いこんでて。彼女さんがいると知ったときには、ちょっと裏切られた気分でした」
「そういえば、わたしが恋愛に興味があること自体が意外だって、言ってたもんな」
主任は思い出し笑いをしながら、話を続けた。
「でも、納得。瓜生って、職場ではにこにこして、誰とでもうまくやってるけど、その実、他人に興味なさそうだなとは思ってた」
「え、わかります?」
バレていたとは思いもよらず、どきりとする。
「うん。パートさんたちの噂話なんか、熱心に聞いてるふりして、いつもうまいことスルーしてるもんな。あれは、わたしにはまねできない。一種の才能だよ」
ほめているんだか、けなしているんだか。主任はひとり納得してうなずいている。
「わたしがカムアウトしたときも、わりとすんなり受け入れたし。あれも、受け入れたというよりは、興味がなかったわけだ」
「そうです、他人の性的指向にも関心ありません」と断言するのは、さすがに失礼な気がして、わたしはもごもごと答えを探した。
「ええと、興味ないっていうか……」
「いや、いいんだよ。スルーしてくれたほうが、こっちも気楽だ」
主任は、顔の前でひらひらと手を振った。
「カムアウトすると、だいたい気まずそうな顔されるか、根掘り葉掘り話聞かれるかのどっちかだったから。瓜生みたいに反応が薄いのは、かえってありがたいよ」
そう言って、主任はすっきりしたような笑顔をわたしに向けた。
残った焼きびたしとゴーヤチャンプルーを保存容器に入れてもらい、主任の家からおいとまする。
共用廊下を歩くわたしの頬を、六月の湿った風が撫でていった。
外はじめじめしているのに、気分は軽い。自分をそのまま受け入れてもらえた嬉しさとお酒の酔いで、家に帰る足取りも浮ついていた。
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