第五話 土佐あまとう・鬼上司の意外な弱点

 閉店後の片付けを終えて更衣室に向かおうとしたとき、「夏野菜の試食するから、うち寄らない?」と主任に声をかけられた。


「もしかして、また彼女さんとケンカしたんですか?」


 唐島主任に恋人がいることは、わたし以外誰も知らない。バイトさんたちに聞かれないよう、声をひそめてたずねると、唐島主任は苦笑いした。


「ちがうよ。萌とは長休のときに会うし。今日はただの試食」


 そうだった。もうすぐ、主任は稲城さんと入れ替わりで長期休暇に入る。そのときに、彼女さんと会う予定なのだろう。


 珍しく、ふたり一緒に退勤し、同じ電車に乗ってマンションに帰る。

 家に帰って手を洗うと、すぐに主任はキッチンに立った。

 この業界、閉店後に帰宅すると、夜の十時、十一時台になっていることもザラだ。さっさと料理して食べ終わらなければ、翌日の仕事に差し障る。明日も唐島主任は、早番の七時出勤だ。


「わたしも手伝います」

「じゃあ、ゴーヤ切って、塩もみしてもらおうかな。そのあとトマトもスライスして」

「はい」


 職場での光景とまったく同じ。そのまんま仕事の延長だ。指示どおり、包丁でゴーヤを縦切りしてから、スプーンでわたをこそげ取る。


「あ、わたは厚めに取っといて。わたし、えぐいのがあんまり得意じゃなくて」

「へえ。主任ってえぐみ苦手なんですね」


 思わず顔がにやけてしまう。完璧超人の「からし主任」でも、苦手なものや向いてないことがあるのが、なんだか嬉しい。恋愛はへたくそだし、食べ物にも苦手があるんだ。

 わたしは調子に乗って、主任に質問した。


「もしかして、辛いのや苦いのも苦手だったりします?」


 主任は嫌な顔をしてわたしを見た。どうやら図星だったっぽい。


「……まあ仕事じゃなきゃ、進んで食べようとは思わないな」

「だから、わたしを夕食に誘ったんですね」


 今日のメニューは、夏野菜づくし。トマトのカプレーゼ、ゴーヤチャンプルー、茄子なすと土佐あまとうの焼きびたしだそうだ。


 土佐あまとうとは、高知県で栽培される大きいシシトウである。「あまとう」と、いかにも甘そうな名前をしているが、シシトウの仲間だから多少は辛かったり苦かったりする。唐島主任、ゴーヤや土佐あまを食べきる自信がなくて、わたしを試食に呼んだのだ。

 楽しくなってきた。そうか、そうか。唐島主任にも、けっこう弱点があるんだ。


 わたしがトマトとモッツァレラチーズを切っている隣で、主任が手早くゴーヤチャンプルーを作ってくれる。茄子と土佐あまとうの焼きびたしは、ゆうべのうちに焼いて汁に漬け込んであるそうだ。

 六月も中旬になり、外は蒸し暑い。エアコンの除湿をかけた主任の部屋に、夏野菜を使った晩ごはんが並んだ。


「じゃあ、食べようか。今日も仕事おつかれさま」

「主任もおつかれさまです。いただきまーす」


 レモンサワーで乾杯してから、箸を手に取る。

 まずは、ゆうべ主任が作って冷やしておいてくれた、茄子と土佐あまとうの焼きびたしから。

 半切りにして焼き目をつけた茄子に、ポン酢の味がしっかり染みこんでいる。よく火のとおった茄子が、とろりと舌の上でほどけた。土佐あまとうの控えめな辛さとお酢のおかげで、疲れた体がしゃきっとよみがえる。


「うわ、めちゃくちゃ辛い……」


 土佐あまを一口食べた主任は、慌ててサワーを流し込んだ。


「わたしの土佐あま、ぜんぜん辛くありませんよ? とうがらしというより、どっちかというとピーマンに近いかんじです」

「とうがらし類は個体差が大きいからな。わたしが食べたのは当たり……というか、ハズレだったのかもしれない」


 主任は恨めしそうに焼きびたしを見下ろした。まるで、土佐あまロシアンルーレットだ。苦手なひとにかぎって、とてつもなく辛い個体を引き当てる。


 ゴーヤチャンプルーも「苦い」と言いながら、豆腐ばかり食べている。主任が少ししか食べなかったゴーヤを、わたしはごはんと一緒にもりもり食べた。苦みが白米にぴったりで、とってもおいしい。


 トマトは、安口やすくちのトマトとお値段高めの高糖度トマトの二種類をスライスし、モッツァレラチーズとフレッシュバジルをはさんだ。加工食品部門にある市販のバジルソースでなく、フレッシュバジルを使ったのは、もちろん青果の売上に貢献するためである。


「やっぱり高糖度トマトっておいしいですね。味が濃くて、後味の余韻がすごいです」

「そうだな。ひとことで言えば、滋味じみ深いっていうか」

「わかります。出汁っぽいうまみがありますよね。モッツァレラとよく合う」


 一方、安口のトマトは、舌触りがざらついていて、味が薄く、酸味が強い。やはり、お値段の差は、そのまま味の差になるのだなあ、としみじみ思った。


「高糖度トマトなんて、ひとり暮らしだとなかなか買う気にならないから、食べさせてもらえてありがたいです」

「いや、わたしのほうも、ひとりではこんなに食べられないし、辛いのも苦いのも苦手だから助かったよ」


 食後、残ったレモンサワーをちびちびと飲みながら、食べた食材の感想を言い合う。

 空になった皿を見ているうちに、前回この家にお邪魔したときのことを思い出した。


「ところで、主任。彼女さんがいないときに、ほかの女を家に連れ込んだりして大丈夫なんですか?」

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