第四話 桃・無能社員とフルーツ姫
稲城さんは今日から無事長期休暇に入り、しばらく売り場は主任とわたし、嘱託社員の戸塚さんの三人で回すことになる。
六月中旬は、シャインマスカットや桃が店頭に出はじめる時期だ。桃はちよひめ、
唐島主任からは、「出勤したら、かならず売り場をひとまわりして、乱れがないか確認しろ」と口うるさく指導されている。
遅番で出勤し、POPや商品の位置を直しながら売り場を回っていると、フルーツ姫が来店するのが見えた。
今日もきれいに髪を巻き、白いブラウスに紺色のフィッシュテールスカートを合わせている。彼女はさくらんぼの棚の前で、きょろきょろと周囲を見回した。きっと、稲城さんを探しているのだろう。
「いらっしゃいませ。なにかお探しでしょうか?」
稲城さんをお探しなことはわかっているが、あくまでもスーパーの従業員として、ていねいに言葉をかけた。
「今日は稲城くんはお休みなの?」
ほら、やっぱり。よっぽど稲城さんのことを気に入っているらしい。このひと、お客さまと従業員の間柄を踏み越えて、ストーカー化しないといいけれど。
「申し訳ございません。稲城はしばらくの間、休暇を取ることになっておりまして……」
「あら、そうなの」
フルーツ姫は、不服そうに口をとがらせた。
「よろしければ、わたくしが承ります」
そう申し出たわたしを、フルーツ姫は値踏みするように眺め、自分の首を指先でとんとんと叩いた。全身フェミニンにきめているにもかかわらず、ネイルをしていないのが、ちょっと意外だった。
「あなた、ソムリエのスカーフしていないのね」
「ええと……、はい。まだソムリエの試験を受けていなくて……」
ほんとうは、「受けていない」のではなく「受かっていない」が正しいのだけれど、ちっぽけなプライドが邪魔をして、つい嘘をついてしまった。
「稲城くんは、果物に詳しいから信頼してるんだけど。あなた、ソムリエ持ってなくて大丈夫?」
疑わしそうに聞かれると心が折れそうになるが、商売、ときにははったりも必要である。わたしは、自信満々に見えるよう、胸を張って答えた。
「はい。商品知識については勉強していますので。なんなりとおたずねください」
「じゃあ、あなたの今日のおすすめを教えて」
まるでテストだ。それでも、唐島主任に「今日の果物のセールスポイントを説明してみろ」と詰められるよりはぜんぜんマシ。
少々緊張しつつも、わたしはフルーツ姫に接客をはじめた。
「桃でしたら、本日は白鳳がおすすめです。糖度は十二で、果汁もたっぷりです。さくらんぼは、少し小粒ですが、お買い得な
主任に命じられているとおり、今日も出勤してすぐに、主要な果物はすべて試食している。それぞれの味を思い出しながら、わたしは必死になって接客をした。
最初、信頼できない様子でわたしの話を聞いていたフルーツ姫だったが、しだいに表情がゆるんできた。
「ソムリエ持っていないから大丈夫かしらと思ってたけど、あなたもフルーツのこと、けっこう詳しいのね」
彼女は「これをいただくわ」と、一番最初におすすめした桃のパックを手に取った。一応、わたしの説明で納得していただけたらしい。
フルーツ姫は、わたしのネームプレートにさっと目を走らせた。
「ありがとう、瓜生ちゃん。あなた、気に入ったわ。明日も来るからよろしくね」
「え? あ、はい。ありがとうございます。ご来店、お待ちしております」
瓜生ちゃん……? いきなりの「ちゃん」呼び?
とまどうわたしに妖艶な笑みを残し、フルーツ姫はレジのほうに去っていった。
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