第三話 南高梅・フルーツ姫登場

 六月に入り、売り場にはさくらんぼや青梅の香りが漂うようになった。

 冬のミカンのさわやかさ、春のイチゴの甘さも好きだけれど、青梅の香りはとてもすがすがしく、背筋が伸びるような気がする。


 オープンキッチンで、南高梅なんこうばいを袋詰めしていると、パートさんにひじをつつかれた。


「ほら、また来てるわよ、あのひと」


「あのひと」とは、最近よく来店する女性客のことである。

 きれいに巻いた長い髪に、キャリアウーマン風のメイク。体のラインが出る服とハイヒール。

 どこから見ても隙のない「いい女」だ。たぶん、年齢は三十代後半くらいだと思う。


 その女性客は、熱心に売り場を見てまわり、毎日なにかしら果物を買っていく。ゆえに、売り場ではひそかに彼女のことを「フルーツ姫」と呼んでいた。


「あ、稲城くーん」


 フルーツ姫は、品出しをしている稲城さんを見つけ、嬉しそうに手を振った。


「こんにちは、稲城くん」

「いらっしゃいませ。いつもご利用、ありがとうございます」


 稲城さんは、ほかのお客さまと同じようにフルーツ姫に接しているけれど、姫のほうは稲城さんをいたく気に入っているようだ。

 わたしやパートさんが売り場に出ていても、いつも稲城さんにばかり声をかける。


 バックヤードから、ダイニングの丸山さんが、台車を押しながら売り場に出るのが見えた。日用品の補充に来たのだろう。

 丸山さんは、フルーツ姫の接客をしている稲城さんをちょっと寂しそうに見つめてから、自分の売り場へと歩いていった。


 わたしは、ひそかに丸山さんに同情した。

 仕事だから仕方ないとはいえ、あんな美人が自分の彼氏と一緒にいるところ見たら、心おだやかじゃないよね。


 でも、稲城さんは丸山さんをとても大切にしている。フルーツ姫がぐいぐいアプローチしてきたからといって、簡単にぐらつくようなひとじゃない。


 それに、もうすぐ稲城さんは長期休暇に入るのだ。

 小売業界にとって、お盆や年末年始、ゴールデンウィークはかきいれどき。当然、世間さまのように大型連休を取ることはできない。

 その代わり、社員には年に二回、各十日ずつの長期休暇が与えられる。

 青果部門は六月の中旬から、稲城さん、唐島主任、わたしの順に長休を取得することになっていた。


 稲城さんは、丸山さんと一緒に北海道旅行に行くと、嬉しそうに話していた。

 丸山さん、いまはちょっとフルーツ姫に焼きもちを焼いているみたいだけれど、わたしはまったく心配していない。稲城さんは丸山さんひとすじ。旅行に行けばきっと、ふたりの仲はもっともっと深まるだろう。


 そういえば、唐島主任は彼女の萌さんとどうなったのだろう、とふと思い出した。

 今日は主任、珍しく休日出勤していないから、たぶん萌さんの住む愛知か岐阜か三重か静岡に行っているのだろう。

 主任も彼女さんと仲直りして、うまくやっているといいんだけど。


 それにしても、恋愛って大変そう。恋人が他人と話しているだけでやきもきしたり、気持ちがすれ違ってケンカしたり。


 わたしは、そういうのに振り回されない性格でよかったな、とつくづく思う。

 恋人との関係に悩む時間があったら、おきにいりのカップでコーヒーでも飲みながら、ひとりでぼんやり動画でも観てたほうがいい。

 仕事だけでも大変なのに、プライベートでも恋愛に振り回されるなんて、わたしはごめんだ。


 南高梅の袋から、さわやかな香りが立つ。人間関係も当たり障りなく、すっきりさっぱりしているのが一番だ。

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