第二話 キュウリ・元上司の不機嫌

「よう、みんな久しぶり。ドリームシティ、がんばってるじゃない」


 また、競合店調査に行っていたのか、ポロシャツを着た西川さんが、さっそうと売り場に現れた。


 いつもなら、愛想よく迎えるパートさんたちだけれど、今日は冷たい目をしただけで、作業の手を止めようとしない。パソコンの前に座っているわたしも、小さく会釈えしゃくするにとどめ、今日の発注案の作成を続けた。


「え、なに? どうした? みんな機嫌悪いの?」


 ふだんのように歓迎してもらえず、西川さんは不思議そうに首をかしげた。

 キュウリを袋詰めしていた古参のパートさんが、仕事を中断して西川さんの前に仁王立ちする。


「そりゃ、冷たくしたくもなるわよ。あのトマトの送り込みはなんなのよ。あんな商品、大量に送り込んできてさ。大変だったんだからね!」

「でも、ぜんぶ売れただろ?」

「『売れた』んじゃなくて『売った』のよ! 少しは売り場の苦労も考えてよね」

「でもさ、唐島主任なら売ってくれるって信じてたんだよ。じっさい、ちゃんと完売したし、利益もけっこう出たみたいだしさ。な、俺の目に狂いはないんだよ」


 ふたりの会話を小耳にはさみながら、わたしはこっそりため息をついた。

 西川さん、唐島主任をほめているようでいて、最終的にはいつも「俺のおかげ」なんだもんな。

 他人の業績をしれっと奪っていく厚かましさがなければ、この業界では出世できないのかもしれない。


「なに自分の手柄にしてるのよ。言っとくけど、あのときの一番の功労者は、お七ちゃんなんだからね」


 パートさんがそう告げると、西川さんは「まさか」というように、鼻で笑った。


「は? 瓜生が?」

「そうよ。お七ちゃんが、『加熱用トマト』ってアイデア出してくれたから、あんな熟しすぎたトマトでも、いいお値段で売れたんだからね」


 口を閉じた西川さんが、パソコンの前にいるわたしに視線を向けるのがわかった。


「ふうん。瓜生がね……」


 そう呟いた彼の声は、ぞくりとするほど冷たかった。

 西川さんが知っている「瓜生菜々子」は、やる気もなければ能力も低いお荷物社員だ。ううん、いまでも商品知識の薄さを唐島主任に叱られるくらい、ダメな社員のまま。


 けれど、西川さんの部下だったころには出せなかった成果を、「てきとうにバット振ったら当たっちゃった」レベルではあっても、唐島主任の下で出してしまった。


 見くびっていた「元部下の女の子」が、成果を出したこと。自分の後釜あとがまの女性社員が、無能な部下の能力を引き出したこと。自分が仕掛けた罠を、唐島主任があっさりかわして、利益を出してしまったこと――。

 トマト送り込みの件は、西川さんとって、何重もの意味で腹立たしい結果になっただろう。


 バックヤードのほうから、食品フロアの会議に出ていた唐島主任が戻ってきた。


「ああ、いらしてたんですね、西川バイヤー。先日は、トマトの送り込み、ありがとうございました。おかげさまで、いい売上になりました」


 唐島主任は、西川さんの前に立ち、にこりとほほえんだ。でも、目がぜんぜん笑っていない。

 彼のほうも主任を見下ろし、余裕のある笑みを返した。一見おおらかに見えるだけで、威圧感満載である。


「ぜったい、唐島主任なら売り切ってくれると思ってたよ。それに、瓜生もいいかんじに育ってるみたいだし。さすが、元東海事業部のエースはちがうね。俺の後任に引き抜かれるだけのことはある」

「いいえ、とんでもない。わたしも瓜生もまだまだ勉強中の身です。西川バイヤー、これからもご指導、よろしくお願いします」


 表面上はおだやかに見えるふたりのやりとり。けれど、水面下ではバチバチ火花を散らし合っているのが伝わってくる。


 おお、こわ……。出世レースも大変だな。


 上司たちの静かないさかいに気づかないふりをして、わたしは明日のレイアウト案の作成をはじめた。

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