第六話 行者ニンニク・鬼上司と彼女の関係

 ふたりの間柄を聞いていいものか迷っていると、主任がため息混じりに告白した。


「彼女だよ」

「え?」

「さっきのはわたしの恋人。東海事業部のころからつきあってる」


 なんとなく「そうかな」とは予想していたけれど、鬼上司の「からし主任」と「恋人」という単語がミスマッチすぎて、わたしは思わず沈黙した。


「おまえもハラスメント防止講習で、性的マイノリティのこと習っただろ? その中のひとつ。わたし、レズビアンなんだ」

「はあ、そうですか……」


 いままでプライベートな会話など、まったくしてこなかったのに。とつぜんカミングアウトと恋バナがはじまり、ついぼんやりしてしまう。


 わたしの反応が薄い理由を、主任はちょっと誤解したみたいだった。


「心配するな。女なら誰でもいいってわけじゃない。瓜生には、恋愛的な興味も性的な興味もまったくないから」

「え? ……ああ。そんなこと、考えもしませんでした」


 恋愛対象どころか、わたしは主任にとって、職場の戦力としても物足りない存在だ。「瓜生うりゅうより南瓜かぼちゃの方が好きだ」と言われても、「ですよねー」と納得する。


「じゃあ、その微妙なリアクションはなんなの?」

「ええとですね。性的指向がどうの以前に、主任が恋愛すること自体が、めちゃくちゃ意外で……」


 主任はむっとしたように、眉を寄せた。


「瓜生は、わたしのことなんだと思ってるわけ?」

「ワーカーホリックの仕事人間……、ですかね。野菜と果物と数字以外に興味があるとは思いませんでした」


 怒られるかな、とビクつきながら、正直に打ち明けると、主任は意外にもぷっと吹きだした。


「ひどい言われようだな。ま、いいや。ごはんにしよう。仕事あがりでお腹すいてるだろ」


 主任は料理をあたため直し、わたしの前に並べてくれた。あたたかくなった料理からは、ガーリックや甘じょっぱいタレの香りが立ちのぼり、食欲が刺激される。


「どうぞ」

「では、いただきます」


 手を合わせてから、まずはポタージュを口に含んだ。


「わあ。舌とお腹にしみわたる……」


 炒めた新タマネギと新ジャガイモを、ていねいに裏ごししたのだろう。とてもなめらかな舌触り。牛乳の甘さとバターのコクが加わって、仕事の疲れがすうっと抜けていくようだ。鬼の「からし主任」の腕から、こんなに優しい味が生まれるなんて、意外すぎる。


 次は、スナップエンドウとアイスプラントのサラダ。

 色よくゆでられたスナップエンドウは、コリッとした歯ごたえが絶妙だし、ドレッシングがなくても素材の甘みだけでじゅうぶんおいしい。

 肉厚のアイスプラントには、その名のとおり氷みたいな粒がびっしりついている。ぷちぷちしゃりしゃりした食感と、自然な塩味が面白い。


 主任は「よかったら、こっちも食べてくれ」と、オカヒジキやアスパラガスもすすめてくれた。

 ベーコンと一緒にガーリックで炒めたオカヒジキは、シャキシャキ感がやみつきになる。肉巻きアスパラは、豚肉からしみ出す肉汁と、甘辛い醤油ベースのタレが染み込んで、とろけるようなおいしさだった。


 そして、行者ニンニク。ニンニクに似た風味を持つ、ニラと同じユリ科の植物だ。

 醤油とごま油に漬けた行者ニンニクを、ほかほかごはんに乗せてほおばる。


「んー! おいしい!」


 ニンニクと醤油、ごま油のマリアージュは反則だ。いくらでもごはんが進んでしまう。もりもり食べるわたしを、座卓の向かいで主任が楽しそうに眺めていた。


「ごはん、おかわりもあるけど?」

「え、どうしよう……、じゃあ、いただきます!」


 行者ニンニクの魅力にはあらがえず、けっきょくわたしは二杯もおかわりをしてしまった。


「瓜生って、けっこういい食べっぷりだよな。社員同士は休憩時間重ならないから、こんなに食べるなんて知らなかった」

「ひゃ、すみません。おいしかったのでつい……」


 はじめて来た鬼上司の家で、がつがつ遠慮なく食べてしまった。それも、本来ならば、彼女さんが食べるはずだったごはんを。


「ほめてるんだよ。若いのがたくさん食べるのは、見てて気持ちがいい。……ほんとうは、萌にもそうやって食べて欲しかったんだけどな」


 主任はちょっと自嘲じちょう気味にこぼした。


「うーん、たしかに主任の料理はすごくおいしかったけど、彼女さんが怒る気持ちもわかる気がします」

「どうして? 喜んでもらおうと思って、がんばったつもりなんだけど。やっぱり、野菜ばっかりなのがダメだったのかな」


 恋愛に興味のないわたしでも推測できる彼女さんの気持ちを、主任はどうも理解していないようだった。

 やっぱりこのひと、仕事はできるけど、恋愛には向いてないんじゃない?

 わたしは大仰にため息をついてみせた。


「それもありますけど、恋人と過ごすのに、ガーリック炒めや行者ニンニクはナシでしょう。東海のひとってことは、久しぶりに会うんですよね? ニンニクのにおいは、ムードぶち壊しっていうか……」


 甘い言葉をささやいたり、キスしたりするのに、ニンニク臭はな……、と考えたところで、自分の言葉の生々しさにはっとした。


 職場での姿からは想像できないけれど、主任が彼女さんとキスしたり、このネイビーのベッドでそういうことをしたりする――?


 急に恥ずかしくなり、わたしは慌ててマイバッグから高級イチゴ・ベリークイーンを取り出した。


「そうだ! 一番大事な用事を忘れてました。これ、パートさんたちが、主任に持ってってあげなさいって。みんな喜んでましたよ」

「わたしはいいから、みんなで分ければよかったのに」

「いやいやいや、そういうわけにはいきません。主任も食べてください」


 とつぜん焦りだしたわたしをいぶかしげに見て、唐島主任はイチゴをひとつつまみ上げた。

 主任のくちびるがイチゴに触れる。そのとたん、さっきの生々しい想像が、また頭によみがえってきた。


「あー、そうだ! わたし、デリカのお惣菜冷蔵庫に入れなくちゃ! 主任、今日はごちそうさまでした! 彼女さんと仲直りできるといいですね!」


 わたしは主任にお礼を言って、そそくさと自宅に帰った。

 明日は主任が出勤で、わたしは休み。主任と顔を合わせずに済むことに、ちょっとほっとしていた。

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