第四話 高級イチゴ・元上司が出世した裏事情

 翌日、わたしは託された一万円で高級イチゴ・ベリークイーンを買い、「おつかれさまです。主任のおごりです」売り場のみんなに配って回った。


「きのう休みだったのに、僕までもらっちゃっていいのかな?」


 ちょっと申し訳なさそうに、稲城さんがベリークイーンを手に取った。

 なにしろ、ひとパック300円ではなく、ひと粒が300円なのだ。稲城さんや昨日の修羅場にいなかったひとたちが、遠慮する気持ちもわかる。


「全員に配ってくれって、主任が言ってましたから。そのかわり、昨日いなかったひとたちは、食べた感想をレポートしろって」


 それを聞いて、キッチンにいるみんなが、どっと笑った。


「唐島主任らしいわねえ。なんでも接客に活かそうとするんだもの」

「でもさ、冷たいひとだと思ってたけど、ちょっと見直したわ。昨日はあんな送り込みされても、ぜんぜん動じてなかったし。こんな高級イチゴおごってくれるなんて、意外と優しいじゃない」

「そうよね。主任って堂々としてるし、けっこういい子かもね」


 パートさんたちが、イチゴをちびちびと味わいながら話している。ひと粒300円の高級イチゴなど、スーパーで働く庶民が、簡単に買えるものではない。


 わたしもひと粒を手に取った。

 表面はつやつやとして張りがあり、へたのちかくまでしっかり赤く色づいている。

 先端をかじると、ほとばしる果汁とともに、濃厚な甘さが口に広がった。一般的なイチゴとちがい、先端だけでなく全体的に味が濃い。

 バランスのいい酸味が甘さを引き立て、食べ終わったあとには深い感動が残った。

 これが、ひと粒300円の味なのだ。


「唐島主任がおごってくれたけど、本来ならこれ、西川さんにおごらせるべきよねえ。そう思わない?」


 昨日、トマト売り場を作ってくれたパートさんのひとりが、口をとがらせた。


「まったくだわ。あんなトマトを午後便で大量に送ってきてさ。それも事前連絡なしよ? あのひと、主任のときはまあまあだったけど、バイヤーとしてはいまいちなんじゃないの?」


 パートさんたちの間で、唐島主任の株は急上昇したが、逆に西川さんの評価はがた落ちしたようだ。


「そりゃ、そうよ。西川さんって、たまたま運良くバイヤーに滑り込んだだけなんだもの」


 果物担当のパートさんが、声をひそめた。


「なんでも、関西事業部のバイヤーが、出張費で個人的な旅行をしてたらしいの。で、クビになったそのひとの穴埋めに、関東事業部のバイヤーがひとり異動になって、そのあとに西川さんが入ったって話よ。よっぽど人材がいなかったのね」


 社員のわたしですら、西川さんがバイヤーになった経緯なんて知らないのに。パートさんたちの情報網の広さと緻密さには驚く。


「なんでそんな裏事情知ってるんですか?」

「お七ちゃん。あたしたちが何年この会社にいると思ってるのよ。歴代の主任や課長は、もう事業本部で偉くなってるんだから。そのひとたちが、こっそり教えてくれるのよ」


 へえ……。パートさんたち、昔の上司たちとも、まだ連絡をとりあっているんだ。人間関係薄めなわたしには、元上司と連絡を取り続けるなんて、ちょっと考えられない。

 売り場で社員の悪口ばかり言っていると思っていたけれど、彼女たちは辛辣しんらつな一方で、人間関係がこまやかなのかもしれない。


「ああ、そうだ。お七ちゃん。ベリークイーン、主任にも持ってってあげなさいよ。わたしたちばっかりおごってもらうんじゃ、悪いから。あんた、主任と一緒の借り上げマンションに住んでるんでしょ?」


 パートさんたちは、ふた粒のベリークイーンをていねいに緩衝材かんしょうざいでくるんでパックに入れ、わたしに手渡してくれた。

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