第三話 完熟トマト・反撃開始

 戸塚さんもパートさんたちも、驚いた顔でわたしを見ている。

 そりゃそうだろう。入社してからずっと、わたしはやる気のないお荷物社員で、積極的にアイデアを出したことなど、一度もなかったのだから。


 けれど、唐島主任だけは、面白そうににやりと笑った。


「この商品に358サンゴッパは大きく出たな。なにか、策でもあるのか?」

「はい。……うまくいくかはわかりません。でも、やってみてもいいですか?」


 唐島主任は、力強くうなずいた。


「わかった。やってみろ。ただし、十七時がリミットだ。それ以降は、ぜんぶ見切り処分して、今日中に売り切る」

「はい。ありがとうございます」


 売り場づくりは主任やパートさんたち任せ、キッチン横のパソコンスペースに駆け込む。

 ひな祭り発注で、主任の日々の努力を目の当たりにしてから、わたしも電子書籍のサブスクに入り、雑誌のレシピ記事に目を通すようになっていた。


 休みの日には、朝やお昼の情報番組も観ている。

 先日の情報番組では、トマトの栄養素についての特集をしていた。それを思い出したのだ。うまくやれば、358サンゴッパでも、トマトをさばけるかもしれない。

 売り場で目立つように、B5大サイズのPOPを大急ぎで二枚作る。

 一枚には「甘熟! 訳あり特価!」とコピーをつけ、商品名と358サンゴッパの売価を入れた。

 そして、もう一枚には、このトマトだからこそできることを――。


 急いで印刷し、足早に売り場へ出る。わたしがPOPを持って駆けつけたころには、トマト売り場はおおかたできあがっていた。


「主任、これを……」


 手渡したPOPを見て、主任が感心したように目を見開いた。


「なるほど。加熱用トマトとして売るのか」

「はい」


 昼の情報番組でやっていたのだ。リコピンが豊富なトマトは、加熱すると細胞壁が壊れ、より栄養素を吸収しやすくなる。


 二枚目のPOPには、加熱したトマトの栄養効果と、簡単なレシピを書いた。

 トマトと卵の炒めもの、トマトカレー、トマトの味噌仕立てスープ――。

 熟しすぎているデメリットを逆手に取り、「潰しやすい」「崩れやすい」ことをアピールする作戦だ。これなら、健康志向のお客さまに購入してもらえるかもしれない。


 腕時計を見た。現在、十四時四十分。主任が提示したリミットまで、あと二時間二十分ある。ひと箱でも多く売り、利益を確保したい。

 わたしはトマト売り場の横に立ち、声を張り上げた。


「いらっしゃいませー! ただいま、お買い得商品が入荷いたしました。ひと箱四個入り、2Lサイズのトマト。どうぞ、お立ち寄りくださいませ!」


 急ごしらえのトマト売り場は、来店したお客さまが最初に目にする一等地にある。わたしの呼びかけを聞いて、何人かが足を止めてくれた。


「お昼の情報番組でも話題のトマトです。加熱すると、リコピンなどの栄養価もアップ。しかも、甘熟なので、楽に潰せます!」

「早いもの勝ち! 数量限定! 売り切り特価です。どうぞ、ご利用くださいませ!」


 わたしの隣で、唐島主任も呼び込みをはじめた。

「数量限定」「売り切り特価」は、購買意欲を刺激する魔法の言葉だ。集まってきたお客さまが、次々とトマトの小箱に手を伸ばす。お客さまが買い物カゴにトマトを入れるたびに、心の中でガッツポーズをした。


 冷蔵庫と売り場を何度も往復して、ボリューム感を維持するように商品を補充する。「熟しすぎじゃない」と難色を示すお客さまには、加熱したトマトの効能と調理のしやすさをアピールした。

 体感では、足を止めてくれたひとのうち、五人に一人は買ってくれているように見える。


 いま、何箱売れているだろう。

 腕時計を確認してから、平台に残った個数をざっと見積もる。あと二十分でタイムリミットの十七時。残り個数は約八十箱。夕方のピークタイムは十八時ごろまで続く。

 在庫の半分ちかくはさばけたけれど、このペースで廃棄を出さずに済むのか。希望と不安が交互に胸を去来する。


 十七時になり、定時になったパートさんたちが、後ろ髪引かれるように退勤していく。入れ替わりに、学生バイトさんたちが出勤してきた。


「よし、時間だ。残りはぜんぶ見切りにしよう」


 平台には、少なくとも七十箱が残っている。主任の指示で、バイトさんたちが、「五十円引き」のシールを貼り付けていった。

 慣れた手つきで値引きシールを貼っていく彼らの姿をキッチンから眺め、わたしは肩を落としていた。


 ああ。十七時までに、売り切れなかった。わたしの作戦は失敗だったんだ……。

 唐島主任が、せっかくわたしを信じて任せてくれたのに。期待に応えられなかった。


 値段が下がったとたん、少し停滞していた売れ行きがまた復活した。

 トマトの小箱は瞬く間に売れていき、ピークタイムが終わる十八時過ぎには、送り込みのトマトは完売した。


「おつかれ、瓜生。今日はがんばったな」


 ぽんと唐島主任が肩を叩き、ねぎらってくれたが、わたしの気分は晴れなかった。主任がくれたチャンスを活かしきれなかった。自分は、やっぱり仕事ができないダメ社員のままなのだ。


「主任、すみませんでした」


 無力感に打ちひしがれ、わたしは主任に頭をさげた。


「十七時までに完売しないといけなかったのに、けっきょく七十箱ちかく見切りになってしまいました。ほんとうに申し訳ありませんでした」


 きょとんとわたしを見つめていた主任は、とつぜん盛大に吹きだした。


「おまえ、なに言ってるの? 閉店までに売り切ればいいんだよ。誰も『十七時までに完売させろ』なんて言ってない」

「……え、そうでしたっけ?」

「そうだよ。わたしは『十七時になったら見切りに入る』としか言ってない。だいたい、百五十箱のトマトが、たった二時間で売り切れるわけないだろう」


 主任はおかしそうに笑いながら続けた。


「それに、気づいてないのか、瓜生? 見切りには『五十円引き』のシールを貼ったんだ。つまり、最終的な売価は308円。わたしが、最初につけようとした値段は覚えてる?」


「えっと、258ニーゴッパでしたっけ……?」

「そう。値引き後でも、わたしが考えた値段より、五十円も高く売れたってわけ。わたしよりおまえの方が、正しい値付けをしたってことだよ」


 わたしが、唐島主任より正しい判断をした? ダメ社員のわたしが、ソムリエプロの主任よりも?


 まだ、いまいちよくわかってないけれど、とりあえず唐島主任にほめられていることだけは、なんとなく理解できた。


 唐島主任にほめられた? このわたしが、からし主任にほめられた? 理解が進むにつれ、じんわりと嬉しさが胸に広がっていった。


「瓜生が高い値段で売ってくれたおかげで、利益もしっかり確保できた。西川バイヤーも、廃棄寸前の商品で、ここまで利益が出せるとは思ってなかっただろうな」


 唐島主任は、愉快そうに声を立てて笑った。

 送り込み商品を淡々と受け入れていた彼女だけれど、西川さんに嫌がらせをされていることには、ちゃんと気づいていたのだ。

 ひとしきり笑った主任は、自分の財布から一万円札を抜き出した。


「瓜生、わたし明日は休みだから、これでみんなと『ベリークイーン』でも食べてくれ。ひとりひとり、『おつかれさまです』って言って渡すんだぞ」


 みんなへのねぎらいに、ひと粒300円の高級イチゴ・ベリークイーンをおごってくれるというのだ。わたしはぽかんと口を開けて、主任から一万円札を受け取った。

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