第二話 傷んだトマト・仕組まれたトラブル

 翌日は、唐島主任と戸塚さんが早番で、わたしが遅番の十三時出勤。稲城さんは、彼女の丸山さんと休みを合わせて、ディズニーランドに行っている。


 恋人同士が同じ小売業界だと、空いている平日に遊びに行ける。この業界の、数少ないメリットだ。いまごろ稲城さんと丸山さん、ディズニーを満喫してるんだろうな。

 わたしは恋人なんていないから、休日は一日ダラダラして終わるんだけど。


 職場ではパートさんたちに「お七」なんて呼ばれているけれど、わたしは本物の「八百屋お七」とちがって、恋なんてしたことがない。恋愛経験がないことを、変だとも恥ずかしいとも思ったことはなかった。


 友達や同期で集まると、すぐに恋バナに花が咲くけれど、はっきりいって他人の色恋にもあまり興味がない。

「恋しいひとにもう一度会いたい」と、江戸の町に放火した八百屋お七。きっと、わたしとは正反対の、情熱的な女の子だったのだろう。


 そろそろ、午後の便がくる時間だ。

 わたしは唐島主任と冷蔵庫にこもり、荷物をスムーズに入れられるよう、在庫整理をしていた。

 誰にでもわかりやすいように冷蔵庫をきれいにしておくのも、社員の大切な仕事だ。なにしろ、青果で扱う商品は足がはやい。一日放置しただけで、売り物にならなくなる。


「朝の便で八割方入荷してるから、午後便はせいぜい一パレットくらいだろう。てきとうにスペース空けとけば大丈夫だ」


 重いリンゴの箱を軽々と持ち上げながら、主任が言う。

 その姿を横目で見ながら、ふと思った。


 そういえば、唐島主任って恋人いるのかな。


 もう三か月ほど一緒に仕事をしているけれど、主任のプライベートについて、わたしはなにも知らない。

 唐島主任は仕事に関係のない雑談などめったにしないし、わたしのほうも、とくに彼女の私生活について、知りたいとは思わなかったから。


 でも、たぶん唐島主任には恋人はいないだろう。

 だって主任、月に数回は休むけれど、休日出勤している日の方が多いし、当たり前のように朝から晩まで売り場にいる。絵に描いたようなワーカーホリックなのだ。「働き方改革」で残業のしすぎに目を光らせている総務課からも、主任はしょっちゅう注意されている。


 もし主任に恋人がいるなら、こんなに仕事ばかりしているはずがない。たとえ恋愛が成就しても、あっという間に破局するだろう。

 そもそも、「からし主任」が、ディズニーデートしたり、他人に「好き」だの「愛してる」だの言っているところなんて、一ミリも想像できない。


 うん。たぶん主任は、恋愛には興味がないんだろう。きっと。わたしと同じ。

 ひとり勝手に納得していると、主任のポケットに入った業務用の携帯電話が鳴った。


「はい。青果、唐島です」


 電話をしながら、主任がわたしに目配せした。午後の便が到着したようだ。


「荷物、何パレットありますか?」


 主任は入荷した商品の量をたずねた。物量によって、荷受け場に持っていく台車の数が変わるからだ。


「……え、三パレ?」


 予想よりはるかに多いパレット数を聞き、唐島主任とわたしは、思わず顔を見合わせた。

 そんなはずはない。朝の便で、発注した商品のほとんどが届いている。午後の便で、そんなに大量の荷物が来るのはおかしい。


 急いで戸塚さんを呼び、三人で荷受け場に向かう。

 荷受け場には、発注した記憶のない小箱入りのトマトが積み上がっていた。ざっと見て、百五十ケースはありそうだ。


「こりゃまた、大量のトマトがきたねえ。それも午後の便で」


 荷物の山を見て、戸塚さんがため息をつく。


「唐島主任。これは、瓜生さんの発注じゃなくて、西川くんからの『送り込み』だね?」

「どうやら、そうみたいですね」


 戸塚さんのぼやきに、唐島主任が淡々と答えた。

「バイヤー送り込み」――店からの発注とは別に、バイヤーの判断で店に投入される商品のことだ。


 安く買い付けた送り込み商品は、売価も低めに設定できるため、たいていは飛ぶように売れる。店にとって、ありがたい商品であることが多い。

 だけど……。

 昨日の、主任に対する西川さんの態度が脳裏をよぎった。

 すごく、嫌な予感がする。


 青果のバックヤードまでロング台車を引いていき、検品してもらうために、パートさんをふたり呼んだ。

 結束バンドを切り、ダンボールの蓋を外す。とたんに、パートさんたちは苛立った声をあげた。


「ちょっと、お七ちゃん。こんなトマト出せると思う? 熟しすぎてるじゃない」

「どうするのよ、こんな量。明日にはぜんぶ傷んで、売り物にならないわよ」


 パートさんたちが、口々に文句を言う。

 わたしも一箱を手に取った。正方形の小箱の中に、2Lサイズのトマトが四つおさまっている。

 一見、真っ赤でおいしそうに見えるけれど、皮にまったく張りがない。触るとぶよぶよして、ちょっと力を入れるだけで潰れてしまいそうだ。正規の売り物にするには、品質的にかなり厳しい。


 戸塚さんが、眉を寄せて主任にたずねた。


「この送り込み、西川くんから事前に連絡はあったのかい?」

「いえ。昨日、西川バイヤーが店に来ていたんですが、今日トマトの送り込みをするとは、言っていませんでしたね」


 西川さんは昨日、レイアウト図も発注案も見ているし、冷蔵庫の在庫もチェックして帰っていった。

 つまり、売り場にも冷蔵庫にも置き場がないことをわかっていて、わざと廃棄寸前の商品を、大量に送り込んできたのだ。


「最低……」


 思わず、ぽつりと呟いていた。

 西川さんのすがすがしい笑顔が、とたんに胡散うさんくさく感じる。

 前々から、有能な女子社員に厳しいことは知っていたけれど、仮にも同じ会社の後輩に対して、こんな嫌がらせする?

 昨日、唐島主任と考えたレイアウトも販売計画も、予告なく送りつけられたこのトマトのせいで、すべておじゃんだ。


「ねえ、主任。西川さんに言って、返品処理してもらったほうがいいんじゃないの?」

「あたしもそう思う。赤伝切ってもらうべきよ。そうしましょ、主任」

「いえ。店で売り切ります」


 パートさんたちからの訴えに、唐島主任は首を振った。


「夕方のピークタイムには、まだ間に合います。急いで売り場のレイアウトを変えましょう」


 主任はエプロンのポケットから、今日のレイアウト図を取り出した。赤ペンで、変更の指示を書き込みながら、その場の全員に計画を説明してくれる。


「まずは、平台ひらだい茄子なすをこっちの棚に移して、空いたところにこのトマトを箱積みする。ボリュームが出るから、お客さまの目は引けると思います」

「でも、だいぶしなが悪いわよ。こんなトマト出して大丈夫なの?」


 パートさんのひとりが、疑問を口にした。


「利益はほとんど出ないけど、258ニーゴッパで売りましょう。『訳あり商品』として出せば、納得して買っていただけると思います」

「いえ、主任。358サンゴッパでいきましょう!」


 訳のわからない衝動に突き動かされ、わたしは主任に提案していた。

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