第二章 春のトマトとベリークイーン
第一話 春キャベツ・新上司と元上司、水面下の戦い
あいかわらず、早朝から夜遅くまで働いているうちに、いつの間にか新年度がはじまり、四月も終わりに近づいていた。
わがソレイユマート・ドリームシティ店にも、研修を終えた新入社員が何人か配属された。
青果のメンバーは昨年度から変更なしだけれど、稲城さんが正式に「副主任」に昇格した。もう少し唐島主任の下で修行したあと、他店舗の主任になるだろう、という噂だ。
春から初夏にかけての青果売り場は、めまぐるしく商品が移り変わっていく。
山菜、たけのこ、春キャベツが店頭に並んだかと思えば、トマトやゴーヤの夏野菜もぐんと動き始める。
果物はキウィや甘夏、オレンジ。そのうち、つやつやのさくらんぼや甘い香りの桃で、売り場はもっと華やかになるだろう。
仕事に追われて、今年はお花見もできなかったし、爽やかな初夏だというのに、外に遊びにも行けない。売り場はこんなにも季節感にあふれているのに、自分の肌で実感できないとは、なんとも皮肉な商売だ。
気温が上昇するにつれ、入荷する商品も変われば、売れ筋もどんどん変化する。この季節は売り方が難しいからと、最近は付きっきりで唐島主任の指導を受けていた。
「唐島主任、僕の果物発注と売り場レイアウトもチェックしてもらえますか?」
パソコンスペースで、主任に野菜の発注案を見てもらっているところに、稲城さんがやってきた。
「べつにかまわないけど……。でも、わたしが口出さなくても、稲城の発注とレイアウトは、毎回精度高いよ」
主任がそう答えると、稲城さんは真剣な顔で首を振った。
「いえ、僕もデータをあまり活用できていませんし、パートさんたちの知識に頼ってる部分が大きいですから。この店にいるうちに、唐島主任のやり方を勉強したいんです」
バイヤーに抜擢された前任の西川さんも、もちろんいい数字を出してはいた。
けれど、唐島主任になってからは、客ひとりあたりの買上げ点数と粗利益が、飛躍的に上がっていた。
つまり、特売品と同時に、
「もし、新しい店舗の主任になって、経験豊富なパートさんたちに頼れなくなったら、今の僕では売上を立てられない気がするんです」
稲城さんは、わたしとちがってストイックだ。将来を見据え、唐島主任からいろいろなことを吸収しようとしている。
「わかった。稲城のもチェックしよう。勉強になるから、瓜生も稲城のやり方を、よく見とけよ」
「はい」
わたしと入れ替わりに、稲城さんは主任の隣のいすに腰掛けた。
「じゃあ、稲城。この発注とレイアウトの意図を説明してくれ」
わたしは主任に教えてもらう一方だが、稲城さんはきちんと熟考した上で、発注品目や数量、売り場レイアウトを決めていた。
予算に対し、どうやって売上を作るか。そのためには、何をいくつ仕入れ、値入率何%で売るのが適正か。一番目立つ場所にどの商品を置くか。ついで買いをうながすために、お客さまをうまく誘導するレイアウトは――。
数字や専門用語がぽんぽん飛び交うふたりの会話に、わたしはまったくついていけなかった。
ひな祭り以降、少しは仕事ができるようになった気でいたけれど、自分はまだまだふたりの足元にも及ばないのだと、痛感させられる。
「稲城の販売計画は今のままでじゅうぶん手堅いけど、強いて言うなら、もう少し冒険してもいいかもしれないな」
「冒険……ですか?」
「うん。例えば、ランブータンとかバンレイシとか国産マンゴーとか……。珍しい果物や高級な贈答品を発注するのもいいと思う。せっかく大規模店にいるんだから、小型店や中型店ではできないことにチャレンジしてみたらいいんじゃないか?」
発注可能商品のリストを見ながら、稲城さんが言った。
「じゃあ……、この『アテモヤ』っていうの、気になっていたんですが、発注していいですか?」
「『森のアイスクリーム・アテモヤ』か。もちろん、いいよ。アテモヤは、わたしも一回扱ってみたかったし」
「でも、売れますかね?」
少し不安そうにしている稲城さんに、唐島主任が答える。
「もしうまくいかなかったら、わたしのせいにしとけばいい。稲城も近いうちに、どこかの主任になるだろうから。今のうちに上司に責任負わせて、いろいろ試したり冒険しとけばいいんだよ」
目を細め、唐島主任は続けた。
「稲城も瓜生も、最初に配属されたのがドリームシティでラッキーだよ。大型店は、扱える商品が段違いに多い。わたしはここに来るまで、中型店にしかいたことがないから、うらやましいよ。ふたりとも、ドリームシティにいるうちに、やりたいことは全部やっとけ」
唐島主任は、稲城さんと話し合いながら発注案とレイアウトにいくつか修正をいれ、「うん、これはいい売り場になると思う」と、満足そうにうなずいた。
「ん? どうした? 瓜生」
背後でうなだれているわたしに気づいた主任は、
「いやあ、主任と稲城さん、レベル高いなって……」
うつむくと、自分の胸元が目に入る。ソムリエのスカーフがない、黒一色の制服。
対して、唐島主任は緑、稲城さんは赤のスカーフを結んでいる。それだけで、ふたりとの能力の差を見せつけられたように感じた。
「でも、瓜生さん、最近すごくがんばってるよ。前は死んだような目をしてて、『この子、すぐに辞めちゃうんじゃないか』って心配してたけど」
「そうだな。最近は売価変更のミスもなくなったし。……あ、でもちょっと待てよ。おまえ、今朝のPOP、いくつか足りないのがあったぞ。ちゃんと前日のうちに確認しとけって、あれほど言ったのに」
一瞬ほめられたかと思ったら、やっぱり叱られた。
しゅんと肩を落としたわたしに向かって、売り場の方から快活な声が飛んできた。
「お、なんだ瓜生。また唐島主任にしぼられてるのか?」
ラフなシャツを着た西川さんが、爽やかな笑顔で売り場に立っていた。
「西川さん、久しぶりー」と、パートさんたちが嬉しそうに手を振る。彼女たちに手を振り返しながら、西川さんがオープンキッチンに入ってきた。
「西川バイヤー、おはようございます」
唐島主任が、すぐに立ちあがって頭を下げる。いまは十四時過ぎだけれど、朝だろうが夕方だろうが、小売業界では「おはようございます」が出勤時のあいさつなのだ。
「どうしたのよ、久しぶりじゃない」と話しかけるパートさんたちに、西川さんはまた爽やかに笑ってみせた。
「今日は、ローズモールの競合店調査に行ってたんだよ。せっかく近くまで来たから、みんなに顔を見せに寄ったんだ」
わがソレイユマート・ドリームシティ店には、強力なライバルが存在する。
国道を西に三キロ行ったところにある、うちと同規模のショッピングセンター「リビングブライト・ローズモール店」だ。
スーパーマーケット業界では、今のところ弊社がトップを走っている。が、新興勢力のリビングブライト社も、ここ近年ぐんぐん業績を伸ばしている……らしい。これも、唐島主任の受け売り。
西川さんはパソコンスペースに歩み寄り、わたしと稲城さんの売り場レイアウト案にちらりと視線を走らせた。
「唐島主任、がんばってるじゃない。ドリームシティ、関東事業部の中でもかなり成績いいよ。前年実積も、少しは超えてるみたいだし。まあ、主任の腕が問われるのは、これからの季節だけどさ」
西川さんのセリフに小さな
そうだ。西川さんは、できる女性社員に対し、きつい態度を取るひとだった。五歳も年下の唐島主任に、自分の作った実積を超されるのは、面白くないだろう。
わたしの心配をよそに、唐島主任は業務用スマイルを浮かべ、
「ありがとうございます。この間送り込みしてもらった春キャベツで、かなり売上が取れました。西川バイヤーのおかげです」
唐島主任が本気で「西川バイヤーのおかげ」と思っているのかはわからない。けれど、西川さんは主任から持ち上げられ、少し機嫌を直したみたいだった。
「よかっただろ? あの春キャベツ。けっこう苦労して買い付けたんだ」
「すごく助かりました。いい商品があったら、また送り込みお願いします」
「了解、了解。ドリームシティは俺の古巣だしな。優先していい商品回すから」
しばらく、パートさんたちと雑談をしたあと、西川さんは冷蔵庫やバックヤードの在庫をチェックしてから帰っていった。
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