第五十三話 あの日の、夢のつづき

 文化祭から数日が経ち、学校は普段の装いを取り戻し、今度は期末試験もチラついてきて、冬休みまで楽しみがない時期になった。

 私は変わらず学校に通っているが、唯は仕事が忙しいらしく、よく休むようになった。


「今日も二人きりか」


「嫌なの?」


「んなわけない」


 私は美夜子に肘をぶつけると、そこからお互いにやり合った。

 いつものようにバスを降りて門を潜り、上履きに履き替えると、美夜子は躓いて転けていた。


「大丈夫?」


「うん、平気」


 私は手を差し伸べると、美夜子の体を持ち上げた。

 階段を上り、教室に入るとおはよう、とクラスメイトが声を掛けてくれ、私はそれに応える。

 こんな日常を、もしかしたら私は求めていたのかもしれない。逆に言えば、唯は中学時代の私のようだ。そういう意味でも、なんとか唯のことをケアしなければと自覚した。


「あれ陽菜、何かついてるよ」


「何? 羽根……かな? もしかしたら、布団の羽毛が出てきちゃったのかも」


 美夜子は私の髪に絡んだ羽根をひょいと取ると、私に渡してきた。


「いらないよ。別に」


「そう?」


 美夜子はそれを右のポケットにしまう。なぜそれが欲しいのか、よく分からなかったが美夜子はそれを大事そうにしていた。


「美夜子は冬好き?」


「正直寒いのは苦手。かと言って、特別暑いのが得意なわけじゃないから、今くらいが丁度いい」


「わかる。ちょっと肌寒いかなくらいの朝と、動いたら汗かくくらいの昼間と、寝心地の良い夜が一番だよね」


「それは……理想で押し固めすぎじゃない?」


 美夜子は微笑を浮かべそう言う。窓の外を見るとカラスが二羽、羽根を羽ばたかせ飛び去った。西の空には鉛色の雲が見え、天気の移り変わりを感知させた。


「もしかしたら、雨が降るかもね」


「天気予報では通り雨があるかもって言ってた」


「そっか。まあ、今だけとかならいいけど、帰りに降られたくはないな」


 私はため息を吐くと、美夜子は「幸せ逃げるよ?」と言い、私の吐いた息の行方を目で追っていた。


「見えるわけないでしょ」


「まあそうだけどさ」


 授業が始まると、空から水滴が零れ落ち、地面を濡らす匂いがした。

 しっかり目の通り雨が過ぎ去ると、太陽が顔を出した。

 それでも、私は黒板の内容をノートに書き写して、先生の話を聞き、出された問いの解を求めている。

 走らせてシャーペンが、純白のノートを穢していく。何も知らなかったそのページに文字を刷り込ませ、私はその問いを解いた。

 午前の授業が終わった頃にまた降り出した雨のせいで、私と美夜子は教室でお弁当を食べることになった。


「珍しい。二人が教室で食べてるの」


 そう言われて私は「まあ雨だし」と簡単に答えた。

 美夜子は好物の鶏の照り焼きを食べようとしていた時、稲光が窓から差し込んで、遅れて音が届いた。

 雷が苦手な美夜子は、固まってしまい、私は急いで隣に座り直し、美夜子を窓際から離した。


「え、立山さんって雷苦手なんだ」


「う、うん……実は」


「てか、咄嗟に場所変わってあげる咲洲さんカッコ良すぎる」


 私はそんな声は気にせずにお弁当を食べていた。

 美夜子は手が止まっており、好物の鶏の照り焼きすら食べていなかった。


「大丈夫?」


「うん……」


 再び稲光がすると、美夜子は体をビクンとさせて反応して私の体を抱き締めた。


「大丈夫だよ。ほら、遠くに落ちたし」


 遅く鳴った音を聞いて私は美夜子にそう言うと、美夜子はまるでいたいけな少女のように「うん……」と力の弱い声で返事をした。

 私はそのまま動じずにお弁当を食べ終えると、美夜子のお弁当箱に手を伸ばした。


「ほら、早く食べないと、休憩時間終わっちゃうよ?」


「わかってる……自分で食べれるから」


 美夜子はそう言いつつ、私が差し出したおかずを食べた。


「気にしなければ、どうってことないから」


「みんなごめん、ちょっとだけカーテン閉めていい?」


 私は承諾を得ると、私と美夜子の座ってるところまで、カーテンを閉めた。そうすると美夜子は、少しほっとした様子を見せた


「雷って、冬のドアノブでなる静電気と性質は同じなんだよね」


「そうなんだ……」


「うん。だから、金属とかに落ちるんだよ。避雷針もそのためだし」


「そうか……」


 美夜子は何とかお弁当を食べ終え、お弁当箱をしまった。

 午後の授業が始まる頃には雷は止んで、雨も小雨くらいまでになっていた。

 そして放課後、雨がまた降り出しお天気アプリの予報では少ししたら止むらしいので、図書室で時間を潰すことにした。


「あら、お久しぶりね」


「涼川先生。夏休み以来ですね」


「そうね。あ、今更だけど文化祭の劇、よかったわよ」


「ありがとうございます」


 私達は一番奥の席に座ると、美夜子は読書を、私は勉強をし始めた。


「陽菜って、成績もいいよね」


「まあ、中学の時から勉強するの嫌いじゃなかったし、元々そういう性格なんだよ。新しく知ることが好きだったり、もっと理解を深める作業が好きだったりがさ」


「へえ」


 美夜子は読んでいた本を片付けると、頬杖をついて私を観察し始めた。


「もしかして陽菜って……」


 美夜子は何かを言いたそうにしてやめた。

 が、私はその続きで「天才?」と付け加えてみたが、不正解だったらしく、机の下で脚を蹴られた。


「美夜子は勉強好き?」


「そこまで好きじゃないけど、陽菜の感覚と似てるかな。理解をするって作業は嫌いじゃない」


「そうだよね。知的好奇心って大事だよね。私の場合は他のことに使ったりするけど」


「他のことって、もしかしてお芝居とか?」


「そう。自分に知らない誰かを入れてそれになりきる。お芝居ってずっと知的好奇心をくすぐられるんだよね」


 美夜子は少し考え込んだ後「なんとなく、わかるかも」と、答えを言った。


「私も文化祭でお芝居をした時にちょっと感じた。自分じゃない自分になるのっていいなって」


「そういう意味ではコスプレも同じだよね。格好は完全に今の自分とは違うものになるし、中には男の人が女の人のコスプレをしたりするし、その逆もある。そうやって自分という人格を一回引き剥がしてみるのも、面白いよね」


「うん。陽菜がいうことがすごくわかる。そっか、だから陽菜はお芝居が好きなんだね」


「まあ、それも理由の一つくらいだよ」


 私はそう言うと、ノートを閉じた。


「さ、雨も止んだし帰ろ」


「うん」


 私は立ち上がり椅子を戻して図書室を出た。

 昇降口でローファーに履き替え、外に出ると水溜まりに足を突っ込んだ美夜子から悲鳴が上がった。


「浸みてきた」


「あー残念」


「もうやだ。歩きたくない」


「じゃあ、おんぶしようか?」


 そう言ってしゃがむと、美夜子は本当に背中に乗ってきた。


「うわっと!」


「お願い」


 私は何とか踏ん張って、立ち上がると、それからは意外とおんぶできていた。


「背中にクッション当たってる。ワイヤーが痛いな」


「うるさい」


 美夜子はそう言うとギューッと体を押し当ててくる。

 やめろ、と私は言いながら、体を揺さぶる。

 門の外まで歩くと、美夜子は背中から降りた。

 バス停前のベンチが濡れていたので、立ってバスを待っていた。

 西の空には色づき始めた夕陽が姿を見せ、夜へと移り変わる予兆のように、空をその色に染めていた。


「なんかさ、こういう時間いいよね」


「どういうこと?」


「んーっとね、なんか時間を噛み締めてるような感じかな。何かに夢中になるのも好きだけど、こうやって一秒一秒をゆっくり過ごすのもいいよなって」


 私はそう言うと、美夜子は不思議そうな顔をしていた。


「私がもし芸能活動再会させてたら、こうして無いだろうし、なんなら学校辞めてたかもしれない。こうして引き留めてくれてるのは、美夜子なんだよね」


「前も似たこと言ってた」


「そうだね……」


 やって来たバスに乗り込むと、私は窓際の席で美夜子にもたれ掛かりながら目を閉じた。

 こんな時間が、夢じゃないことを祈りながら。

 これが、あの日見た夢の続きじゃないことを祈りながら、私は目を開いた。

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