第五十四話 風邪引きレイダウン
閉じていた目を開くと、バスのエンジン音と吊り革が揺れる音がしていた。
怖くなって私は横を見ると、美夜子が不思議そうに見ていた。
先に美夜子がバスを降りると、私は一人、その揺籠に揺られて自宅へと帰った。
翌日、重たい体を起こすのに一苦労だったが、家を出てバスに乗り学校へと向かった。
「陽菜、なんか疲れてる?」
「えっ、どうかな」
「確かに、なんか今日しんどそうだよ。陽菜ちゃん」
唯にもそう言われて、私は額に手をやり体温を測ったみた。しかし、熱があるわけでもないし、よくわからなかった。
「ちょっと失礼」
「えっ!ちょっと、陽菜?」
「どう? 私、体温高いかな」
美夜子に抱きついて体温を測ってみる。照れる美夜子の体温でそれは正確性を失い、私も美夜子も首を傾げていた。
「陽菜ちゃん、前も高熱出してて気付かなかったし、結構そういうの鈍いのかな」
「多分それはある。変にこなしちゃう癖があるのかも」
「とりあえず、着いたら保健室行ってみたら?」
「そうだねー」
学校に着くと、私は一人で保健室へ向かった。
扉をノックして開け、消毒液の匂いが染みついた部屋に入る。
「朝からどうしたの?」
「いや、なんか友達に熱あるんじゃないって言われて……」
「そう。じゃあ、これね」
体温計を受け取り、ベッドに腰掛けて検温をする。朝の校舎の賑わいがまるで嘘みたいに静かな保健室。空気清浄機と換気扇の唸り声が、眠気を誘う。
体温計が音を立てると、私はそこに出ている数字を見て驚いた。
「え、三十九度?」
「あちゃ、これはもう帰った方がいいね」
「でも、しんどくはないんですけど……」
「変に拗らせて肺炎になると一大事よ? ましてやあなたは咲洲陽菜でしょ?」
「先生、知ってたんですか?」
「当たり前でしょ。自分の知名度、ちゃんと認識しなさい」
私は門脇先生の言う通り、帰ることにしたが、一度教室に向かった。確かに若干体が重い。階段を上る足取りがそれを物語っていた。
「ごめん、今日休む」
「大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫じゃないから帰るんだけど」
「先生に言っておこうか?」
「ああ、それなら保健の門脇先生が連絡してくれたから大丈夫だよ」
私は重い足取りで、さっき来たばかりの通学路を戻る。お母さんに連絡を済ませ、バスに揺られていた。
少しすると、咳も出てきて、本格的に症状がで始めた。
家に辿り着くとすぐに、寝巻きに着替えてからベッドに入った。目を閉じると意外とすんなり眠れてしまい。起きるとお昼過ぎ辺りになっていた。
「お粥、食べれるかしら?」
「うん。なんなら食欲はあるから固形物でも平気」
私はお粥を食べ終えると、葛根湯を飲み、また部屋に戻った。
ベッドの上で流石に眠気は来ず、ただ時が過ぎるのを待つというのは、退屈の二文字がよく似合う。
スマホを開くと美夜子から大丈夫か、とメッセージが何件も届いていた。
私はそれに今起きた、と返信すると美夜子から電話が掛かってきた。
「どうしたの?」
「声が聞きたくて」
「朝話したじゃん。でも、私も美夜子の声聞けて嬉しいよ」
「えっ……ああ、うん」
照れている美夜子に、私は首を傾げたが、自分の発言を振り返り少し恥ずかしくなった。
「お見舞い、行こうか?」
「そう言うのは言わずに来るのが、嬉しいんだと思うけどな」
「いや、都合とかあるだろうから」
「まあでも、午前中寝て結構ましになって来てるし……」
私はそう言うと少し咳をした。
「ごめん、辛いのに電話しちゃって」
「ううん丁度、退屈してたし。ああ、もうお昼休み終わりか」
「うん。じゃあね」
「うん……」
電話を切った後、私は寂しさに打ちひしがれていた。誰かの声が聞きたい。自分に向けられてなくても構わない。
動画を流してみても、どうもそれは満たされず、音楽を聴くと落ち着いた。
目を閉じて、音に向き合う。歌詞のひと言を零さず体の芯に染み込ませると、不思議と体調もよくなった。
窓の外を見ると、秋晴れの空がまるで切ない。雲はそこに居ることを許されず、私もそんな気がした。
リビングからインターホンが鳴るのが聞こえると、私は時計を見た。もう放課後と呼べる時間だったので、きっと美夜子が来たのだろう。
「陽菜、入るよ?」
美夜子はそう言って部屋に入ってくると、私を見て驚いていた。
「もう大丈夫なの?」
「うん。さっき熱測ったら平熱になってた」
「ならよかった。前みたいにならなくて」
美夜子はデスクチェアに座り、私はベッドに腰掛けた。
コンビニの袋からプリンを取り出すと「前、買ってきてくれたから」と、スプーンと一緒に渡してきた。
「ちょうど甘いの食べたかったんだよね」
美夜子も同じのを手にしてるのを見ると、私は笑いながら「私がお見舞い行った時、自分の分は買ってなかったと思うけど」と言った。
美夜子と二人、同じプリンを食べていると、私はこの時間がとても愛おしくなった。
「ねえ、美夜子」
机の上に空の容器とスプーンが二つ並んでいた。それを見て私はそう言葉を発した。
「どうしたの、陽菜」
「なんかね、無性に寂しくてさ、それでずっと美夜子のこと考えてたから会えて嬉しいなって」
私はそう言うと美夜子に抱きついた。美夜子はそっと受け止め、真綿に包むようにそれはやけに丁寧で、その胸の中はベッドよりも居心地がよかった。
「ねえ、好きって言って」
「な、何を急に……」
恥ずかしがる美夜子に、私は上目遣いを用いてせがむと、美夜子は目を逸らした後もう一度こちらを向き直した。
「す、好き……」
「私も」
「なんの儀式よ」
美夜子は抱擁を時、私は寂しさの波に飲まれた。縋る様に美夜子にくっ付いて、私は離れようとしなかった。
「どうしたの。なんか様子が変よ」
「熱のせいかも」
「平熱になってたって言ってたじゃない」
美夜子は私の額に手をやると、首を傾げ確かにちょっと熱いかも、と言った。
「でも、なんとなくわかる。私も熱出した時寂しかったし……」
「でしょ?」
私はそう言ってベッドに座り直す。美夜子は立ったまま私を見下ろすと、一つ笑みを浮かべた。
「じゃあ、特別ね」
「え?」
私は何をされるのかわからず、目を見開いていた。
美夜子はブラウスのボタンを外すと、胸の谷間を露わにし、私に寄せて来た。
「み、美夜子さん?」
「直接肌で触れると寂しさって紛らわすことができるって本で読んだ」
「どんな本だよ!」
美夜子の柔らかい肌に頬を当てて、私はさっきの言葉が本当なんだなと感じた。
美夜子は私をまるで赤子をあやす様に扱い、私はそれで何か心にあった風穴を塞いだ。
しばらくそうしていると、私はもっと何か欲しくなり、美夜子の胸をさらに弄る。
「ちょっと、陽菜。あんまり変なところ触らないでよ」
美夜子の大きな乳房を弄んでいると、流石に怒られてしまい、私は自重し美夜子から離れた。
「駄目?」
「だ、駄目……」
ブラウスのボタンを閉め、美夜子は乱れた服を整えた。
「そろそろ帰るね」
「もう帰っちゃうの?」
「もう、日も暮れたし……明日は学校行けそうよね?」
「うん。大丈夫」
美夜子が帰った後の喪失感と欠落感。
その残り香を大切にしまうように、私は頭まで掛け布団を被り、体を丸めて目を閉じた。
こんなにも美夜子を愛おしく感じられるのは逆に嬉しいな、と呟くとスマホの画像フォルダーで美夜子の写真を見続けた。
翌朝、完全復活した私は気分良く歩いていた。バス停に着くと、いつものようにバスに乗り込み、いつもの席に座る。唯は遅れてくるとのことで、美夜子が一人でバスに乗り込む。
「おはよう、美夜子」
「おはよう」
私は隣に座る美夜子の太腿に手を置く。その手を覆うように美夜子は手を置いた。
「熱出して変態になった?」
「失礼な。愛を込めたスキンシップだよ。直接肌を触れると寂しさが紛れるんでしょ?」
「そうだけど……」
美夜子のニーソックスとスカートの裾の間にある素肌を、私は撫でていた。
擽ったくなってきたのか、美夜子は私の手を掴んで持ち上げた。
「スキンシップなら手を握るだけでもできるでしょ」
「太腿とはわけが違うでしょ」
美夜子は少し怒ったように、私の太腿を触ると、何かに気づいたようだった。
気付けば、学校前の停留所にバスは停まっていたので私達は慌ててバスを降りた。
教室に入ると、欠席したことを心配したクラスメイトが声を掛けてくれたり、飴をもらったりした。
「昨日のノート、後で写す?」
「そうだね。放課後、図書室でやろうか」
私はそう言って一限目の授業の準備をしていた。
上坂先生が教室に入ってくるとホームルームが始まり、確認事項の通達などをされると、授業に入った。唯は三限目が始まる直前に登校してきた。
「超ダッシュで撮影終わらせて来た」
肩で息をする素振りをしながら私と美夜子にそう言うと、二人で「お疲れ」と声を掛けた。
ただ、内心羨ましいなと思うところもあった。想像する、現役高校生の芸能人の生活だなと思ったからだ。
仕事で早退きしたり、遅れて来たり、それが私の理想だった。
「中学の時も、そうだったらよかったのにな」
私は思わず本音が溢した。それを聞いた唯は、陽菜ちゃんは倍以上忙しかったから無理でしょ、と少し呆れたように言った。
「まあ確かにね」
「少しは謙遜してよ」
「謙遜も過ぎると傲慢だからね。認めるところはちゃんと認めないと、自分が可哀想だし」
「そんなもん?」
唯は美夜子に同意を求めたが、美夜子は首を傾げただけだった。
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