第十八話 雨宿り、一つの屋根の下で
「絹枝さん、退院おめでとうございます」
私はつまらないものと、菓子折りを渡してそう言うと「悪いねぇ」と、絹枝さんは嬉しそうに受け取っていた。
「あら、陽菜ちゃん、どうしたの?」
「この後雨降りそうなんで、雨宿りに」
玖美子さんに挨拶をし終えると、すぐに美夜子の部屋に入って、また台本を開いて少し、美夜子と合わせていた。
「……陽菜が上手すぎて、私上手くできてるかわからなくなってきた」
「物語的に私が主人公だし、ストーリーテラー役も私が担うから、あくまでもその中の登場人物としていてくれたらいいの。だから、そこまで気負わなくてもいいよ。胸を借りるつもりくらいでいい。まあ、胸は美夜子より小さいけどね」
私の渾身のジョークを無視して、美夜子は顰めっ面で台本を眺めていた。
「美夜子はどう考えてリーゼロッテを演じてる?」
「えっと……家のことと姫様のことで板挟みになって苦しんでるというか、そこの葛藤が色々あるなって思って」
「うん、そうだね。リーゼロッテはどっちかというと、私なんだと思う。美夜子達と一緒にいる時間も大切だし、芸能界での時間も大切だしってところが似てる」
「なるほど……」
美夜子は少し表情を柔らかくし、台本を読み直し始めた。
「役になりきるんじゃなくて、役にならないといけないの。だから、自分の手の先までその役になるつもりになるといいかも」
美夜子はスッと深呼吸をして、目を閉じた。
「そう。スイッチで入れ替えるように、リーゼロッテになればいいの。彼女の生い立ちと想いを最大限解釈して、自分に置き換えるの」
「なんかわかった気がする」
美夜子はセリフを幾つか読み上げると、段違いに良くなっていた。
「そうそう。そうやって、リーゼロッテをこの世に召喚するの」
「でも……なかなか抜けない」
「それは……仕方ないよ」
私は苦笑いを浮かべてそう言うと、美夜子は難しい顔をしていた。
「楽しいでしょ、お芝居って。違う自分になれるみたいで」
「そうね……、なんか新しい自分になった気分」
「そうなの。色んな役を演じていたら、少しずつその役が自分の一部になっていくの」
美夜子は、楽しそうにまた台本を読み込んでいた。
元々は読書好きな子だから、活字を読むのが好きなんだろう。
「陽菜ちょっとここ一緒にやってくれない?」
「どこ? ああ、再会のシーンか。いいよ」
私はセリフを美夜子に向かって放つと、美夜子はさっきまでの雰囲気とはまた別物のオーラを纏い、私にぶつかってきた。
私も負けじと、全力を尽くす。この感覚……私の好きな感覚だ。
「どうだった?」
「驚いた……ここまで良くなるとは思ってなかった」
「陽菜?」
私のトーンの暗さに、美夜子は心配そうに私の様子を伺っていた。
「正直、私、悔しいよ。私も、もっと良くしなきゃ。もっともっと……今のままじゃ、美夜子に飲まれちゃう」
「そんなによかったの?」
私は、美夜子に怯えていた。その上達スピードもそうだし、何より、今の段階でセリフ読みだけであれば美夜子の方が上だ。
「本当、私も負けてられないね」
「陽菜が本気出したら、敵わないよ?」
「美夜子なら大丈夫だよ。さっきので十分、セリフ読みはいけると思う。ただ、舞台の上では身振り手振りや表情もあるから、まだまだ苦労するだろうけど」
「うっ……、まだまだ覚えることがあるのね」
一旦、台本を閉じて、私は美夜子に抱きついた。
『私は、ずっと忘れていませんよ。貴女があの日、私にしてくれた約束を』
『姫、様……もちろんです。私もずっと覚えていました。ですが……姫様を裏切ることになってしまい、申し訳ありません』
『それでも私は、貴女と再会できたこと、嬉しく思いますよ』
私達は再会のシーンを実演してみた。
「抱き付きながらじゃちょっと変わるでしょ? 声のトーンとか、仕草とか」
「うん……一つずつ上手くなっていきたい」
美夜子の向上心のには恐れ入る。ずっと台本読んでるし、努力の火を絶やすことはない。
「陽菜はお芝居の時、何考えてるの?」
「んー、何も考えてない。私って憑依型だからさ、赴くまま体動かしてる感じ」
「へぇ……」
美夜子も同じに近いだろう。私はそう思いながら、ペットボトルのジャスミンティーを飲んだ。
窓の外から雨音が聞こえる。
まさにザァザァと降り頻る夕立に、足止めを喰らう老夫婦。犬の散歩中の若い女性は、濡れながら犬を雨から守っていた。
「すごい雨だねね」
「うん」
「あーあ、夏も終わりだね。もう一週間ちょっとしたら新学期だよ」
「そうね……」
「色々あったなぁ、夏休み。私が居ない間、美夜子は何していたの?」
「合気道の稽古してた。あとはメイド喫茶の打ち合わせとかあって学校行ってたよ」
そう言えばそれは撮影中に通話で聞いていたなと思い、美夜子の話に相槌を打っていた。
「メイド喫茶は殆んど準備は整ってて、後は教室の飾り付けとか、コスチュームの発注くらい。料理はレンジでチンするのとか、IHのコンロ借りて作る程度だから、それは日が迫ってから詰めてく感じかな」
「へえ。私、実行委員じゃないから知らなかった。色々あるんだね。てか、唯もクラスの実行委員やってたでしょ?」
「うん……仕事で忙しくて、現場からリモートで参加していたよ」
私は少し寂しさもあった。みんなでワイワイ作り上げていくのに、私はその輪に混ざることなく、外野からそれを見ているだけなのか、と。
「まあ、私は舞台の座長だしね。それはそれでいいかも」
私はそう言うと、台本の表紙を摩った。
「本当、お芝居って面白いよね」
「うん。私も初めてだけど,なんかわかってきた」
私は今度は咲洲陽菜として、美夜子の胸に飛び込んだ。
「私、嬉しいなぁ。こうやって本気でぶつかれるの、楽しいから」
「そんなにかな?」
「うん。特に、年上の先輩だったら遠慮しちゃうけど、同い年で、しかも美夜子なら遠慮なくぶつかっていけるからさ」
私はそれに飢えていたのかもしれない。何をしても,それなりの手応えを得られるが、ここまでの刺激にはならない。
美夜子相手にすれば本気を出せる。
「そこまで言ってくれるのは嬉しいかな?」
「それよりも、美夜子の成長具合に私は驚いてるけどね」
私は美夜子の頬に手をやると、美夜子はその手に自分の手を添えた。
「ねえ知ってる? リーゼロッテと服従を誓うキスをするシーンがあるの」
「うん、知ってる」
「今から練習しない?」
私はそういうと、美夜子の唇に自分の唇を重ねた。
体感時間で言えばものすごく長い時間、唇を重ねていたが、時間にして数十秒と言ったところか。
閉じた瞳をうっすらと開くと、美夜子の白い肌が目の前にあり、頬はほんのり薄いピンク色を帯びていた。
美夜子の息遣いを感じながら、私はまるで美夜子を摂取するかのように、感じ取れるものを体内に吸収していく。
いくらやっても満たされることはない、そのタンクに今は入れられるだけ詰め込んでいく。
「ぷはぁ……」
美夜子は私から離れると、呼吸を整えていた。
「まだ足りない」
私がそう言うと、美夜子は私の首筋を舐める。
「そっちじゃない……もっと、キスしたい」
「これ以上は私がおかしくなっちゃうから……駄目」
そのまま私は力一杯美夜子を抱き締めると、幸せに満たされていた。
抱擁を解いた時の寂しさが、癖になる。
嫌なはずなのに、それを感じる度に私は美夜子への気持ちを確認できるから、それが好きだ。
美夜子はいつも何も言わず、少し寂しげな顔をする。
「美夜子……?」
「なんとなくわかる気がする、リーゼロッテのこと。それに陽菜のことも」
「なんとなく?」
「陽菜もこういう気持ちだったんだね。分かれ道の真ん中で、どっちも正解って分かっててもどちらかを選ばなきゃいけない。それって、文字通り取捨で、片方を捨てることになる。捨てるって勇気がいることだよね」
「そうね。でも、後悔はしないつもり。悔やむくらいなら違う選択してただろうし、寧ろ、こっちを選ばなかった私に後悔させるくらいにしなきゃ」
私は美夜子の手を握ると、握り返してくる手はとても優しかった。
指を絡めると、私達はそのまま体を寄せ合った。
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