第十九話 彼方に響く雷鳴、怯えた瞳

 私の体に伝わるものは、鼓動や息遣い、そして温もりだ。

 美夜子にそれは伝わっているのだろうか?

 私は不安になればなるほど、きつく抱き締めてしまう。

 愛を伝えることは大変だ。だけど、私はそれをするのが好きだ。

 月が綺麗とか気の利いた言葉を言えればいいが、生憎初秋の夕立に見舞われた天気でそのセリフは言えなかった。

 あゝ……このまま、離れたくはない。ずっと一緒にいたい。こんなにも愛してると言うのに、私はこの後自分の家に帰らなければいけない。なんて、残酷なんだろう。

 美夜子の胸が柔らかく私の胸へと当たる。それを押しつぶすように体を寄せてみても、ただ私が苦しいだけだった。

 言葉なんていらない。こうして抱き合っていれば、まるでテレパシーのように気持ちを伝え合える。

 次の瞬間、稲光が部屋に差し込む。

 遠くの空で光ったそれは、ややあってからゴロゴロと音を響かせていた。

 一度鳴り始めたら、頻度を上げ、徐々に音が聞こえるラグも短くなってきたのを耳にして、徐々に近付いて来ていると確信した。

 ただ、美夜子は音が鳴るたびに私の体をギュッと抱き締める。意外と、雷が怖いのだろうか?


「美夜子、怖いの? 雷」


「う、うん……」


 なんだこの可愛い生物は?

 私は、この愛おしい生物を永遠に愛でていたい。

 徐々に近付く稲光。その閃光に、慄く美夜子。これは有難いのか? それとも、また別か?

 いよいよ付近に落ちるのではないかと思った瞬間、部屋の照明が消えた。


「て……停電?」


 美夜子は不安そうに、そして慌てたようにそう言うと、私の体をへし折るのかと言うくらいの力で抱き締めた。


「み……美夜子……折れる……」


「あ、ごめん」


 解放された瞬間の侘しさが堪らない。

 しかし、まだ日が出ている時間とはいえ、ここまで暗雲立ち込める空模様では、屋内は十分暗い。


「とりあえず今に行くか」


 私は立ち上がるとそう言って、部屋を出ようとした。


「ま、待ってよ……」


 美夜子は私の着ているシャツの裾を掴みながら、後ろを歩いていた。

 廊下で玖美子さんと鉢合わせると「美夜子、大丈夫?」と、心配していた。


「昔から苦手だったから……」


「あー、なるほどね」


 停電は小一時間ほど続いた。

 その間、空調も止まっており、なんとか残留していた冷気を逃さぬようにしていた。


「陽菜ちゃん、そろそろ帰らないとでしょ?」


「そうですね。向こうは停電してないみたいですし……」


「私、行ってもいい?」


「美夜子って、そんなに暗いの苦手だっけ?」


「美夜子は昔から、豆球消して寝れないタイプなのよ」


「お母さん!余計なこと言わないでよ」


 私は一つ、疑問に思うことがあった。


「私と一緒の時は消してたよね?」


「あれは……一緒に居てくれたから」


「何それ。可愛いね」


 私は美夜子の頭を撫でると「恥ずかしいから、やめてよ」と、美夜子は嫌がった。

 そうしていると電気がついて、日常へと戻っていったが、まだ外は雨が降っていた。


「もうすぐ止みそうだって。帰りのバスは……げ、結構待たないといけないか。蒸し暑そうだなぁ」


「車出してあげようか?」


「え、いいんですか?」


「別に車だと近いし、ついでにスーパーで買い物するから気にしないで」


 そう言うと、玖美子さんは車のキーを持ってガレージへと向かった。

 私は後部座席に乗り込むと、隣に美夜子が乗り込んできた。


「荷物持ち、必要かなって思って」


 たった、そんな理由でドヤ顔されてもな……と、私は思った。


「折角、陽菜ちゃんと二人でお喋りしようと思ったのに……」


 玖美子さんは残念そうに言うと、車を走らせ始めた。

 雨は小降りになり、車がマンションに差し掛かる頃にはあがっていた。


「ありがとうございました」


 私は玖美子さんに礼を言って車から出た。


「……美夜子さん?」


「何?」


「なんで降りてるの?」


「見送り?」


 私は「じゃあね」と言って、エントランスへ入っていった。

 エレベーターが唸り声を上げながら私の体を運んでくれ、玄関の鍵を開けると、少し水が染み込んでしまったスニーカーを脱いだ。


「ただいま」


「お帰りなさい。美夜子ちゃんの家ら辺に雷落ちたみたいよ」


「やっぱり? 雨宿りに美夜子の家に居たんだけど、音も光も凄ったんだよね」


 私はお天気アプリで、落雷情報を見ると、美夜子の家付近に対地落雷があったというピンが付いていた。


「美夜子、めちゃくちゃ怖がってたよ。元々、雷苦手みたいで、可愛かった」


「可愛かったって……ちゃんと心配してあげなさいね」


 お母さんはそう言いながら、夕飯の準備を続けた。

 私は部屋に戻り、部屋着に着替えてリビングに向かった。

 夕飯の時間まで、テレビを見たり、動画を見たりしてダラダラしていると、お母さんが「休日のお父さんみたい」と揶揄してきた。

 お母さんの口から『お父さん』と言う言葉が出たのに、私は驚いていた。

 夕方のニュースも見飽きてきた頃、美夜子からの着信があった。


「どうしたの?」


 私はそう言って電話に出ると「声が聞きたくて」と、美夜子は甘えたような声で言ってきた。


「さっきまで一緒だったでしょ」


 私はリビングから自室へ移動しながらそう言った。

 ベッドに腰掛けると「どうかしかの?」と、美夜子に問い掛けた。


「ううん、声が聞きたかっただけ」


「何それ」


「寧ろ、ずっと一緒だったからかな」


「もしかしたらそうかもね。その方が落差があるし、寂しさを感じるかもしれないかな」


 いつになく美夜子は甘えた声を出す。いつになくというか、初めてくらいだ。


「……明日も会いたい」


「明日? そうね……お昼食べに行く?」


「うん」


「二人で行こっか」


「うん」


 本当に人が変わってしまったように、美夜子は弱々しい声で話す。雷でメンタルが擦り減ってしまったのだろうか?


「どこがいいとかある?」


「いつものダミアンでいいよ」


「わかった」


 文字通り後ろ髪を引かれるように「じゃあね」と言い、美夜子は電話を切った。

 私は抱き枕を美夜子に見立てて、ギュッと抱き締めた。


「私だって寂しいよ……」


 お母さんから夕飯ができたとの声掛けがあったので、私は部屋を出た。

 夕飯を終えてお風呂に入り終わった後、私はまた台本に目を通していた。

 美夜子に負けていられないと、私は気合を入れて練習もした。


「ふぅ……」


 今の所の妥協点までは、何とか到達しただろうか?

 一息つきながら私は、そう思っていた。

 時計を見てそろそろ寝ようかと思い、一つ伸びをすると、スマホの通知が鳴った。


「また美夜子か」


『まだ起きてる?』とのメッセージに『起きてるよ』と、私は返した。


『まだ寂しいの?』と送ると、しばらく返事がなく、既読という文字と睨めっこを強いられた。

 そしてようやく返信があったと思うと、美夜子の胸元の写真だった。


『体が陽菜を求めてるの』


 そのメッセージを読んで、私は美夜子が心配になり電話を掛けた。


「ちょっと美夜子、大丈夫?」


「うん……なんかずっとこうなの」


「体調悪いとか?」


「そんなことはないけど……」


 私はその原因を突き止める為、あれこれ考えてみたが、思い当たる節すらなかった。


「やっぱり昼間の反動かなぁ」


「うん、そうかも。私、陽菜無しでは生きていけないかも」


 美夜子は、やたらと大袈裟な表現をしてきた。


「まあ、嬉しいけど、それじゃあ困るでしょ?」


「うん……言い過ぎかもしれない」


「寝るまで話す?」


「ううん、大丈夫」


 しばらく言葉を交わしてから電話を切ると、私はすでに眠気に襲われており、すぐに寝てしまった。

 起きてから顔を洗い、歯を磨いて寝癖を直してからスマホを開くと、美夜子から『おはよう』というメッセージが来ていることに気付いた。

 同じように『おはよう』とメッセージを返すと、すぐに既読が付いた。

 お互いやけに早起きだなと思いながら、私は午前5時の空気を吸いに散歩へと出掛けた。

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