第十七話 咲洲陽菜は妥協しない

 次の日、唯のマンションで早速、美夜子の特訓が始まった。


「違う。それじゃあただの音読だよ」


 私が厳しく言うと、唯が後からフォローをする。

 そう言うやりとりが続き、40分くらいして一旦休憩にすることになった。


「陽菜ちゃん、厳しすぎない?」


「そうかなぁ……」


 それでも美夜子は、ずっと台本を読み込んでいる。

 私はその姿を見ながら、少しため息を吐いた。

 休憩が終わり、再開すると、さっきより少し優しく教えることにした。


「そうそう。良くなってきたよ」


「本当?」


 お世辞ではなく、本当に良くなってきたことを伝えると、美夜子は嬉しそうにした。

 私は何度か台本を読んで、美夜子が詰まりそうなポイントをチェックする。


「読んでて思ったんですけど……これって、私と美夜子を見て書きましたか?」


 私は在宅中の陽子ちゃんに訊いてみた。


「えっと……実はそうです。二人が映えるように人物設定もしています」


 陽子ちゃんこと、上坂先生がそう言うと私は「やっぱりか」と、改めて台本を読み込んでみた。

 そして、美夜子の特訓を再開させると、陽子ちゃんは興味津々にその様子を見ていた。

 セリフに話し方、感情の込め方を伝えると、美夜子はすんなりできるようになる。

 私はそれに驚きがなら「伸び代がやばいな……」と、呟いた。


「美夜子は憑依型かな?」


「憑依?」


「うん。役を降ろすというか、着ぐるみを着るみたいに演じる人もいれば、完全になりきって、内側から役になりきる人がいるの。美夜子は後者だなって」


 私がそういうと、美夜子は理解できていないのか、まるで頭上にクエスチョンマークを浮かべているような顔をした。

 朝から続けていた美夜子の特訓だったが、そろそろお昼時になってきた。


「お昼、どうする?」


「あ、私が作りますよ」


「え、先生が?」


 私が陽子ちゃんを見遣ると、自信満々に笑っていた。


「まあ、唯のお弁当を見てれば安心かな?」


「一人暮らしで自炊もしていたんですよ?」


 すると、美夜子は「手伝います」と言い立ち上がるが「いいですよ」と、陽子ちゃんは美夜子は制した。


「んー、じゃあもう少しやっておくかな」


 私は再び台本を開くと、美夜子は嫌そうな顔をした。

 美夜子の方を見て私は「じゃあ、終わったらキスしてあげる」と言うと、何故か唯が悲鳴を上げた。


「そういうの、初めて見た!」


「いや……たまには言ってみようかなって思って」


「頑張るから、早くやろ」


 美夜子はいつになくやる気になっていた。

 私は幾つか、台本を読みながらアドバイスをする。

 何を意識するか、どう言う気持ちでセリフを言うのか、そういった事を美夜子は台本にメモしていく。


「じゃあ、ちょっと合わせてみようか」


「う、うん……」


 私きっかけで始まるところを合わせてやってみると、美夜子は少し気圧されたのかさっきまでの演技とは別物だった。


「まあ、そういうところはもう慣れしかないよ」


「そうよね……どうしても、陽菜とすると緊張しちゃう……なまじ、知っちゃってるからかもしれないけど」


「知ってるって、何が?」


 唯が美夜子に訊くと「映画の現場で、陽菜って向こう側の人なんだって実感したというか……」と、美夜子は言った。


「向こう側って言われても……今は、こっち側なんだけどな」


「それでいえば、陽菜ちゃんだけじゃなくて、私もそうだけど」


 唯がそう言うと、何故か気まずい空気が流れた。


「ちょっと、なんか言ってよ」


「そりゃ、唯も頑張ってるしね。美夜子も、それはわかってるでしょ?」


「もちろん。でも、唯の現場とか見たことないし」


「来たじゃん!四月にバスケ部の取材に!」


 美夜子は目を合わせず「あー、そんなこともあったね」と、絶対忘れていたであろう反応をした。


「失礼しちゃうわね」


「というか、私って、そんなにすごいの?」


 私の間抜けな質問は、料理をしていた陽子ちゃんすらずっこけるくらいのものだったらしく、全員から「すごいよ!」と集中砲火を受けた。


「へ、へぇ……」


 私は気圧されながら、そう言ってお茶を飲んだ。


「陽菜ちゃんは、自分が思ってるより数倍すごいよ。みんな、陽菜ちゃんに憧れて芸能界目指したりしてるんだよ?」


「そうなんだ……」


「ですよ!私だって何度励まされたことか……」


 陽子ちゃんは、出来上がったパスタをテーブルに置きながら言った。


「わぁ、美味しそう」


「しらすとキャベツのペペロンチーノです。にんにくは控えめにしてありますから安心してください。あと、もし足りなければ、残ったソースをバケットに付けるとガーリックトーストみたいで美味しいですよ」


 私は空いていた胃袋に、パスタを流し込むように食べると、陽子ちゃんは苦笑いしていた。


「美味しすぎる……先生、うちにお嫁に来てくれませんか?」


「あら……嬉しいけど、咲洲さんには立山さんがいるでしょ?」


 美夜子を見ると、物凄い鋭い目線をこちらに向けていた。


「私だってこのくらい作れるし」


「知ってるよ。美夜子、料理上手だもんね」


「まさか、すでに陽菜ちゃんの胃袋を掴んでると?」


「当たり前でしょ」


 唯にドヤ顔をする美夜子が、可愛すぎる。


「陽菜ちゃんは料理できないの?」


「なんで、できない前提なんだ……。まあ、できないけど、やればできそうかな。小さい頃から、怪我したらダメって台所に立ったことないから」


「ああ、そうだよね……」


「そう言う唯はできるの?」


 唯は自信満々に「できません!」と答えると、私達は笑いに包まれた。


「そういえば沙友理、大丈夫かなぁ。今日、事務所の人と面談なんだよね」


「うん。色々話してみるとは言ってたけど、聞いたところによると、沙友理って籍はあるけど殆んど仕事なかったらしいし、どうなるか本当にわからないって」


「不安だよね。私だって事務所潰れたら、何処かが誘ってくれる保証なんてないし」


 私は余ったソースをバケットに付けて食べた。


「そうだよね……。陽菜ちゃんはまだしも、私も危ういよ」


「白川さん、演劇部にも殆んど顔出してるし、やる気はすごいんですけどね。演技も、上手ですし」


「今いる事務所が、割とモデル特化のところなんだよね。だから、お芝居系の仕事はあんまり取ってこないって」


 沙友理はスタイルもいいし、ちょっと妹系な感じもあるから、需要はありそうだが、どうなるんだろうかと、私は考えていた。

 お昼を終えて、美夜子の特訓を再開すると、私のスマホの着信が鳴った。


「ちょっとごめん」


 席を外して電話に出ると、声の主は佐竹さんだった。


「もしもし、陽菜ちゃん? 今大丈夫かしら」


「はい、どうされました?」


「キュープロって知ってる?」


 その名前に聞き覚えは、もちろんあった。さっき話題にしていた沙友理が所属している事務所だ。


「キュープロが潰れちゃうんだけど、うちで何人かタレント受け入れてくれないかって話なんだけど」


「もしかして、白川沙友理って子がいるんですか?」


「そうなの。向こうからの打診でね。お芝居をしたがってるって話でね。それで履歴書を送ってもらったんだけど、陽菜ちゃんと同じ学校だなって思って、どんな子か知ってる?」


 私は沙友理とは児童劇団の時の一緒だった事、学校でもプライベートでもそれなりに一緒に遊ぶ仲であることを伝えた。


「そう。劇団出身なのね」


「もしかして、採るか渋ってる感じですか?」


「ううん、そうじゃないの。まあ、今度社長面談してそれで最終決定なんだけどね。基本的に、キュープロからのは受け入れようって方針なんだけど、畑違いだしさ。モデル活動から、役者に転向する形になるし」


「そうなんですね。沙友理自身、お芝居したいからって演劇部に入ったりしてますから、やる気はあると思いますよ」


「なるほどね。わかった、ありがとうね」


 佐竹さんは、そう言うと電話を切った。

 戻ると、美夜子が見違えるほど上達していた私は驚いたが、私に気付くと少しトーンダウンしていた。


「美夜子……私のこと苦手なの?」


「違う!なんと言うか、さっきも言ったけど、緊張するっていうか」


「うーん……今度、外でやってみようよ。そしたら、もう少し開放感あっていいかも。実際舞台って広いし」


 美夜子は頷くと「なんの電話だったの?」と訊いてきた。


「えっとね……特に口止めされてないから言うけど、どうもさゆちゃんがうちの事務所に来るらしい」


「えーっ!本当?」


「うん。佐竹さんがキュープロの受け入れメンバーに沙友理がいて、私にどんな子か聞いてきた」


 唯は大喜びで、陽子ちゃんは安堵の表情を浮かべていた。


「よかったね。沙友理」


「うん。さゆちゃん、本気だったからなぁ」


 多分、自分から志願したんだろう。無茶振りだったのかもしれないけれど、それは叶ったわけだし、私も安堵のため息を吐いた。


「だけど、これからが勝負じゃないかな」


「そうだね。私もうかうかしてられないよ」


 事務所の規模も違うので、もしかしたら沙友理も忙しくなるかもしれないと、私は思っていた。

 その後少し、特訓をしてから十五時には解散となった。


「美夜子、この後どうする?」


「特に予定はないかな。陽菜は?」


「私も暇なんだよね」


 私と美夜子は、そこから言葉を交わすことなく歩いていた。

 まだ終わらない暑さと、蝉がいなくなった静けさが、季節感をバグらせる。

 秋の虫の声が聞こえるわけじゃないし、極端に涼しくなるわけでもない。ただ、吹き抜けた風は一週間前より、冷たく感じたのは気のせいだろうか?


「夕立が来そう」


 私は空を見てそう言うと、美夜子は「本当だ……」と、向こうのほうの雲を指差して言う。


「うち、寄ってく? 雨止むまで」


 美夜子はスマホのお天気情報アプリを見ながらそういう。


「一応、この後結構降るみたい」


「そうなんだ……じゃあ、お邪魔しようかな。そういえば、絹枝さん、退院してるんだっけ?」


「うん。検査諸々終わって結果待ちで」


「じゃあ挨拶がてら行こうかな」


 私達は、コンビニに寄ってから美夜子の家へと向かった。

 私は飲み物と、絹枝さんへのて見上げを引っ提げて向かった。

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