第十話 夏の陽射し
少し、蝉も静かになっただろうか?
夏休みも終盤に差し掛かった八月は、そのあっという間な時の流れを感じながら、私は歯を磨いていた。
爽やかなミントの味が、口いっぱいに広がる。
リビングに向かい、お母さんに「おはよう」と挨拶をすると、私はダイニングテーブルに就いた。
朝食を食べて、暫くのんびりすると、美夜子からメッセージが来て、うちでお昼一緒に食べようとのことだった。
それまでの時間、私は久しぶりにショッピングへと出掛けた。駅前で軽くウインドウショッピングを楽しみ、二駅向こうの街へと出向いた。
何着か服を買って、折角だから美夜子へのお土産でも買おうと、アクセサリー屋に入った。
「ペアリングか……」
指輪売り場で私はそう呟くと、店員のお姉さんが「何かお探しですか?」と、声を掛けてきた。私は「ちょっと見てるだけです」と言うと、お姉さんは私に気付いたようで「いつも見てます。ごゆっくりどうぞ」とだけ言って、カウンターに戻っていった。
その後、暫く店内を見て回ると、リングの付いたネックレスを見つけた。リングにストーンが付いていたので、私の中で美夜子の勝手なイメージカラーである、濃紺のストーンが付いたものと、私用に赤のストーンが付いたものを購入した。
帰りがけにお店宛にサインを頼まれたので、サラッと書いて、店を出た。
「そろそろいい時間かな?」
美夜子に連絡して、そろそろ向かう事を告げ、電車に乗った。
「流石に暑いな……」
炎天下の中、美夜子の家へと向かう。
歩いてる途中で、タクシーにすればよかったと思ったが、道中自動販売機で買ったスポーツドリンクが染み渡る感覚を味わえたので、それはそれでいいかと思えた。
幼稚園の花壇で、向日葵が精一杯背伸びをしていたり、暑い中でも働き蟻がせっせと物を運んでいたり、夏を感じつつ私は歩いていた。
日傘の影が、せめてもの救い。少しでも陽射しを浴びると、溶けてしまうんじゃないかというくらいだ。
美夜子の家のインターホンを押すと、美夜子が直接出た。
「あれ? 玖美子さんは?」
「今、病室に行ってる。お父さんと兄も、地方へ行ってて……」
「美夜子だけって事?」
涼しい家の中に入って、私はホッとしていた。
私は居間に通され、美夜子は冷たいお茶を出してくれた。
「どこか行ってたの?」
「うん、ちょっと買い物に……そうだ、これ」
私は小包を美夜子に渡した。
美夜子は早速それを開けると、濃紺のストーンのリングが通してあるネックレスを手に取った。
「これ……」
「うん、これとお揃いで。ペアリングだとちょっと目立ちすぎるし、こういうの持ってればいいかなぁって」
「嬉しい……ありがとう」
美夜子はネックレスを付けると、私に「どうかな?」と訊いてきた。
それを見て私は「似合ってるよ」と答えると、美夜子は少し照れていた。
「で……お昼はどうするの?」
「私が作るよ」
美夜子はそう言うと、台所へ行きエプロンを着けて戻ってきた。
「何作るの?」
「オムライスだけど……」
「やった!オムライス食べたかったんだよね」
「本当? なら、腕によりをかけて作らないとね」
美夜子は張り切って腕捲くりをして、台所へ向かった。
私はオムライスを楽しみにしながら、テレビを見ていた。
「うわ……美味しそう……」
分厚いステーキの食レポをするタレント。昔ながらの喫茶店のナポリタンと、洋食店のハンバーグ。私の胃袋を苦しめるのには、十分だった。
美夜子は、鼻歌を歌いながら玉ねぎを炒めていた。
「いい匂い……」
私にとって、視覚も聴覚も、嗅覚すらすべて空腹に響く刺激だった。
私は耐えきれず、台所へ向かった。
「どうしたの?」
「お腹空いたー」
私は甘えた声を出すと「もうちょっと待っててね」と、美夜子はまるで母親のように言う。
私は、フライパンを振るう美夜子の後ろ姿を見ながら、ダイニングテーブルにうつ伏せた。
チキンライスが出来上がったようで、物凄くいい香りがし、卵を巻かずにそのまま食べたくなった。けど、そこに薄焼き卵が巻かれることで、更に美味しくなる。
卵を解す音が聞こえると、私はもうすぐ出来上がるのかとそわそわし始めた。
「できたよ」
美夜子はそう言うと「なんて書く?」と、訊いてくる。
「え、普通に掛ければいいじゃん」
「そうじゃなくて……何か言葉を書こうかって」
「うーん何がいいかなぁ。おまかせでお願いします」
「おまかせ? わかった」
美夜子はそう言うと、ケチャップで文字を書き始めた。
「……え?」
「名前が無難かなって……」
普通に、私の皿の方を『ひな』美夜子の方に『みやこ』と書いていた。
「もっと、ラブとか好きとかあるんじゃない?」
「それは書かなくてもわかるでしょ」
美夜子もテーブルに就いて、二人でオムライスを頬張る。
「んー美味しい……」
「よかった」
私は、すごい勢いでオムライスを完食した。
美夜子はまだ半分くらいで、私は食べ終わるのを待っていた。
時計の針の音と、美夜子のスプーンがお皿に当たる音。私は、柔らかい表情で、美夜子を見ていた。
「この後どうする?」
美夜子は、口の中の物を、一旦飲み込んでから口を開いた。
「何も決めてない……」
「なるほどね。私と一緒に居れたら、それでいいってことか」
「そこまでは言ってないけど、強ち間違えではない」
お昼を終えて、洗い物を済ませると、美夜子の部屋でダラダラしていた。
動画を見たり、昔のドラマの話題になったりしていたが、どう考えても二人で時間を持て余していた。
「暇だね……」
「うん」
「海でも行く?」
美夜子はそう言うと、一番早く行ける海を探した。が、海水浴場となるとかなり遠く、近くでは漁港くらいしかなかった。
「釣りに行くわけじゃないからなぁ」
私がそう言うと「お父さんの釣り竿借りる?」と、美夜子は言ったが、私は首を横に振った。
「この時間からだしなぁ……どこか行くにも近くがいいかな」
「そうね……プールとか?」
「プール? ああ、あそこの市民プールか。顔バレしそう……」
「あ、そっか……」
外はまだ夏の空気が占めており、外に出るのも少し億劫になるくらいだ。
私は美夜子のそばに座り直すと、そのまま体を美夜子に預けた。
「どうしたの?」
「ん? こうしたいだけ」
美夜子は私の頭を撫でると「陽菜、今日も可愛いね」と、美夜子は言った。私は仕返しするように「美夜子も可愛いね」と囁いた。
「そうだ、服買いに行かない?」
「服? どうして?」
「なんというか……美夜子を着せ替え人形にしたいなぁって」
そう言うと美夜子は少し嫌がったが、頷いてくれた。
早速出掛ける準備をし、駅前へ向かった。美夜子の胸元には、さっきあげたネックレスが光っていて、私はそれを見てニヤニヤしていた。
「何?」
「なんでもない」
二人の影がまだ短い時間帯。まだ厳しい暑さの中、日傘を差し二人並んで歩く。
美夜子は恐らくだが、私に歩幅を合わせてくれている。そして、こっそり小指で手を繋いでいる。
美夜子は白の少しゆったり目のサマーニットのトップスと、淡いブルーのスキニージーンスを履いている。その白と青のコントラストが夏を物語っていた。
「蝉も静かになったね」
「うん。暦ではもう夏は終わったからね」
そう考えると、自然はその暦通り動いている。季節の花は決まってその季節に咲くし、虫もそうだ。
ただ、人だけがそれを感じられなくなっている。それは、進化しすぎた文明のせいかもしれない。涼しい屋内に居れば、そりゃ外は暑いだろう。暑い中過ごしていれば、少し涼しくなれば気付けるはずだ。私は、その感覚を失いたくない。
駅前に着く頃には、汗が滝のように出て、二人でコンビニに入り、飲み物を買い、軒先で水分補給をした。
商業施設に入ると、空調が効いていて、暑さで仕上がっていた体を冷やしてくれる。この快感も、あの暑さに揉まれたおかげだ。
「美夜子、大丈夫?」
「うん。どうしたの?」
「いや、暑いからさ……暑さ大丈夫かなって」
私がそう言うと、美夜子は「私を引き篭もりとでも思ってるの?」と、笑って言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます