第八話 夏の陽射しと、陽炎のダンス

「誰もいない?」


 インターホンを押しても誰も出てこず、私は再び踵を返した。


「電話も出ないし、メッセージも見ない。何かあったに違いないけど、私にはどうすることもできない。美夜子に何かあったのかもしれないし、他の誰かかもしれない」


 救急車の話も聞いたし、もしかしたら絹枝さんが体調を崩したとか?

 道場で熱中症患者が出たとか?

 私は色々考えながら歩いていると、大通りに面した中核病院の前に差し掛かろうとしていた。


「まさか、ここなわけないよね」


 私が階段から落ちた時、運び込まれた病院だ。

 喉が渇いたので、お兄さんが奢ってくれたジュースを飲み干して、空き缶を捨てるのに近くのコンビニへと向かった。


「このあたり、自販機ないからなぁ」


 二百メートルほど歩いてコンビニに着くと、中から美夜子が出てきた。


「陽菜? なんでこんなところに……」


「美夜子こそ、なんで?」


 思わぬ再会に、私はこれまでウジウジ考えてたことを忘れていた。


「何度も電話したのに……」


「え、そうなの? あ、電池切れてる……」


「マジか……」


 私の取り越し苦労を返して欲しい。


「てっきり、怒ってるのかと思った……」


 私は気づくと、涙を流していた。

 それを見た美夜子は、私を抱擁する。


「そんなわけない!私も、陽菜にちゃんと話してなかったのが悪い……」


 美夜子は私の手を引いて病院へと向かった。


「実はね、お祖母ちゃんが倒れたってお母さんからメッセージが来てね。丁度、今日の朝なんだけど……」


「だから、帰りたいって言い出したのか……。なんで、ちゃんと言わないのよ」


「だって……陽菜を不安にさせたくなかったから」


 私は「それならもう十分、不安になってました」と、美夜子にチョップを喰らわせた。


「それで、絹枝さんの具合は?」


「まあ熱中症だろうということだけど、歳も歳だし、念のために検査入院しましょうって」


「じゃあ元気なんだ」


「うん」


 手を繋ぎながら院内を歩いていると、以前お世話になった看護師の島崎さんが「あれ、陽菜ちゃん?」と声を掛けて来た。


「お久しぶりです、島崎さん。あれ、ちょっと痩せたんじゃないですか?」


「逆。太ったわよ。それよりどうしたの?」


「うちの祖母が入院してるんです」


 美夜子がそう言うと「ああ、立山さんの」と島崎さんは言い「病室は406だよ」と教えてくれた。

 面会の受付を済ませて、病室へ向かう。

 病室に近付くと大きな笑い声が聞こえた。


「失礼しまーす」


 恐る恐る扉を開くと、元気そうな絹枝さんの姿があった。


「あら、陽菜ちゃん。さっきはごめんね』


「さっき?」


 玖美子さんの言っていることが一瞬、わからなかった。

 私はあの時の夢と混同してしまっていた。恐らく、インターホン越しでの時の話だろう。


「いえいえ、絹枝さんが倒れたって知らなかったんで……」


「え、美夜子から聞いてなかったの?」


「はい。美夜子意地悪なんで」


「はぁ?」


 美夜子は笑顔を浮かべながら、私を睨む。


「おかげで、五箇山に行こうと思ってたのに……」


「そんなの言ってなかったでしょ」


「みゃーちゃん、痴話喧嘩なら外でしてね」


 絹枝さんが笑顔で私達に言うと、私と美夜子は見合ってからクスリと笑った。


「どう? 旅行、楽しめた?」


「楽しんだと言うより……色々考えることになった旅行でしたね」


「それは陽菜だけでしょ」


「まあそうだけどさ、将来の事とか、考えたら不安になって美夜子に相談したら、なんかそんなの自分で決めろ見たいに言われた」


「そんな言い方はしてない!悩んでるんなら、自分の好きな方選べばいいって言っただけ!」


 絹枝さんは驚きながら、私と美夜子を見ていた。


「でも、温泉は気持ちよかったなぁ。湖の所とか、景色も良かったし」


「そうだね」


 よかった。美夜子はちゃんと旅行、楽しんでくれてたんだ。

 私はそう思うと、涙目になっていた。


「どうしたの? 陽菜ちゃん」


「いや……ちゃんと美夜子も楽しんでくれてたんだって思うと……色々、連れ回しちゃったから」


 いよいよ本格的に泣き始めてしまった。


「私、色んな都合を美夜子に押し付けちゃったから……」


「いいのよ。そんなの気にしなくても」


 美夜子の抱擁が、いつもより優しく感じた。

 背中に腕を回すと、美夜子はギュッと私を抱き締めた。


「まあ、お熱いわねぇ」


「茶化さないでよ」


 美夜子は玖美子さんにそう言うと、私はクスリと笑った。


「ねえ、美夜子。文化祭でなにかしない? さっきさ、ダミアンで先生と唯と一緒になって、やっぱり先生が演劇やりたいって言ってて」


「そうなの? 私はでも……」


「私、美夜子としたい」


 私は真っ直ぐな目で美夜子を見ると、美夜子は照れくさそうに「陽菜がそこまで言うなら……」と、承諾してくれた。


「まあ、劇になるか、なにか映像作品になるかはわからないけど、日程が無いから、二学期始まったらバタバタになるかも」


「そう……放課後とか使ってやるんでしょ? だったら、大丈夫」


「……演者になる方は?」


「大丈夫だと思う……」


 美夜子は不安そうに言う。私は美夜子の背中を叩いて「私がちゃんと指導してあげる」と言った。


「陽菜が? なんか厳しそう」


「絶対、社長とかにも来てもらおう。それで、美夜子の銀幕デビューを……」


「しないわよ!」


 美夜子は私の頭を軽く叩いた。


「いったいなぁ!叩くことないでしょ!」


 私は仕返しに、美夜子の肩を叩いた。

 その時ふと思った。私達、なんか関係が前進してる気がする。

 今までは、お互い好きだとか、好かれようとしてた気がするが、今はそんなのどうでもよく、こうやってちょっと叩いてみたりする仲になった。

 旅行に行ったおかげだろうか? それとも、お互いの許せるラインがはっきりわかってきたからだろうか?

 目を細めている絹枝さんと玖美子さんを見て、私はそれが自覚へと変わった。


「美夜子、お昼食べてきたら? 休憩所、飲食可だったはずだから」


「そうする」


 玖美子さんに言われて、美夜子はコンビニの袋を持った。


「陽菜も来る?」


「もちろん」


 私は美夜子の隣を歩く。


「どうしたの?」


 美夜子の様子を伺う。美夜子は少し黙って、休憩所に誰もいないことを確認すると、私を壁際まで追い込んだ。


「ごめん……また私、陽菜に辛い思いさせた」


「いいよ、別に。理由わけは聞いたし」


「だけど……」


「気が済まないって? 前も、そうだったよね」


「うん……」


 所謂、壁ドンをされている状態で、何故か私が美夜子を問い詰めていた。


「誰も……見てないかな?」


「え?」


 美夜子は辺りを見渡して「誰もいない。カメラもない」と言う。


「だったら……」


 私は背伸びをして、美夜子の唇を奪うと、美夜子は覆い被さるようになり、私の唇を貪り求めた。

 不思議なことに、私達は旅行中あれだけチャンスが有ったのに、あまりキスはしなかった。今思えば、寝る前とかにもっとしておけばよかった。


「ねえ、陽菜?」


「うん?」


「私、新幹線で変な夢を見たの。陽菜が事故に遭って、目覚めないっていう夢」


「あ、それ私も見た。見たというのが正しいかわからないけど、ここに来る最中に正しく事故というか、車に撥ねられたんだけど……」


「車に!?大丈夫なの?」


 美夜子は遮ってそう言うと、私の体を舐め回すように観察した。


「大丈夫だって。なんか綺麗に受け身をとって、かすり傷程度ですんだから」


「すごい……」


「でね、なんか一瞬世界がスローになって、その瞬間だけ、もしかしたら別の世界線の私になってたんだと思う。美夜子がさっき言ってたみたいに、私、意識が戻らない状態で入院してて、幽体離脱してるみたいに、私は自分を俯瞰で見てるの」


 偶然かもしれない。もしかしたら、存在したかもしれない未来かもしれない。でも、今はそうじゃない。

 美夜子は、おにぎりのシュリンクフィルムを開けて、パリッと海苔のいい音を立てて食べ始めた。


「ツナマヨか」


「うん。昔から好きなんだ」


「そういえば、お小遣いもらってお菓子買いに行った時、何故かツナマヨおにぎり買ってたね」


「よく覚えてるね」


「うん……なんでかな」


 自分でも不思議だった。何故か鮮明に覚えている。あの子の好きなものはツナマヨだ、と。


「初恋相手の好物くらい、覚えてるよ」


「本当に?」


 美夜子は、濃いめの緑茶で口をリセットして、和風ツナマヨおにぎりを今度は開けたた。


「ごめんね、私ばかり食べてて」


「ううん、いいよ。私、ダミアンでミートドリア食べてきたし」


「いいなぁ……」


「ツナマヨドリア、今度作ってみようか?」


「陽菜が? 危ないから私が作るよ」


 そういえば、喧嘩別れをしてゴールデンウイークに美夜子のカレーを食べ損ねていたなと、思い出した。


「またお泊りしに行こうかな」


「明日来る?」


「明日かぁ……そういえば、お疲れ様会いつやるの?」


「えっと……明後日かな? 元々、陽菜のスケジュールがここまで抑えられてるって佐竹さんが言ってたから」


 そんな事、把握してたんだと私は驚いた。というか、スケジュールを外部に漏らしていいのか、佐竹さん。


「場所はうちでいいの?」


「うん。予定はそのままで行こうって、唯が」


「ふーん。私には内緒なんだ」


「サプライズの予定だったから……。疲れて帰ってきた陽菜を労おうって」


「疲れて帰ってくるんだから、どちらかといえば、そっとしておいて欲しい派なんだけどな……」


「そうなの?」


 美夜子は最後の一口を食べ終わると、ゴミを片付けた。

 病室に戻ると、玖美子さんはソファーに横になり、仮眠をとっていたので、私達は帰ることにした。


「お祖母ちゃん、また来るね」


「絹枝さん、お大事に……って言えばいいのかな? 検査入院なんだから、病気なければいいですね?」


「陽菜ちゃん、そんなに気を使わなくていいよ。人間、いつか死ぬんだからさ」


 絹枝さんはそう言うと、笑顔で手を振って見送ってくれた。


「また来ます」


 そう言って私は、病室の扉を閉めた。

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