第七話 浮いた体と、一瞬の夢

 美夜子の家について早速、インターホンを押すと玖美子さんが出た。

 だが、何やら慌ただしそうで、私はまた改めると伝えて、踵を返した。

 玖美子さんは少し怪訝そうに返事をしていたが、私はそれよりも、空腹に耐えきれなかった。

 私は近くのダミアンに寄り、遅めの昼食にと、ミートドリアを食べていた。

 考え事のせいで、冷めてしまったドリアを突いていると、唯と上坂先生が通りがかり、声を掛けられた。


「陽菜ちゃん、一人?」


「うーん」


「美夜子は? 一緒だったんでしょ?」


「そうだよ」


「……また喧嘩?」


「喧嘩じゃない……けど……」


 唯に、美夜子から連絡が返ってこないことを伝えると「寝てるんじゃない?」と、唯は言った。


「でも……帰りの新幹線でも寝てたし……」


「よっぽど疲れてるんじゃない?」


「やっぱり……連れ回し過ぎたかなぁ」


 私は俯いて、冷えたドリアをまた突く。


「一緒に座っていい?」


「いいよ」


 唯はずいずいと窓際まで体を詰めて座ったが、上坂先生は申し訳なさそうに座った。


「唯から聞きましたが、富山へ行っていたんですか?」


「はい。元々撮影で言ってたんですけど……色々あって旅行がてらまた行ってたんです」


「それに、立山さんも一緒に?」


 私は頷き、ドリアを口へと運ぶ。

 スプーンをゆっくり動かして、掬われたホワイトソースとバターライスを咀嚼する。


「二人って、いっつも何かあるよね」


「自覚はある。だから……私と美夜子って、相性悪いんじゃないかなって思ってきた。お互い、善かれと思って取った行動が、悪手になって……取り返しがつかなくなっていく」


「それだけ、相手を思ってるからじゃないですか?」


 上坂先生の言葉に、私は「うーん」と、唸りを上げた。


「その自信が無くなってきたというか、私が美夜子を知るのが怖くなってきたんです。私が……否定されそうで」


「否定? 美夜子が陽菜ちゃんを否定するわけないじゃん。だって、美夜子だよ? 陽菜ちゃん大好き人間が、そんな事しないよ」


「そうかな……? 美夜子って、ちゃんと物事を俯瞰で見れるから、私が間違ってたら違うって言いそうだし、そう言われるのが怖い。でも、そう言われたい自分もいて……」


「もしかして陽菜ちゃん……」


 唯は私に何を言おうとしたのか、その言葉を遮ることになったのは、さっき二人がタッチパネルで注文した料理が運ばれて来た為だ。

 私はドリンクバーにコーヒーを注ぎに行く。

 氷をグラスに入れ、サーバーのレバーを押してアイスコーヒーを注ぐ。

 テーブルに戻ると、話題はすでに変わっていた。

 私は何故か、それに安堵する。


「撮影、どうだったの?」


 唯は急に話題を変えた。

 私は、少し言葉を詰まらせてから、口を開いた。


「楽しかった。たった半年間離れてただけなのに、懐かしい感覚だった。だからこそ……またお芝居したいなって思った」


「その事、美夜子に言ったの?」


「言いはしたよ。でも、美夜子は私が決めろって言って、それ以上言及してこなかった」


「陽菜ちゃんはどうしたいの?」


 私の迷いは、あの時決めたはずなのにまだ揺らぐ心は、まるで永久機関のようにぐるぐると巡り巡っている。

 今の生活を続けたい。でも、あのキラキラした世界にも戻りたい。両立する自信はない。どちらか一つを選ばなきゃいけない。


「……美夜子は、自分を人質にしたんだ」


「それってどういう意味?」


「私が芸能界に戻るなら、美夜子は私と別れるって。関わることを辞めるとまで言ってた」


 私がそう答えると、上坂先生が「それは単純に、立山さんは戻って欲しくないって言ってるんじゃないの?」と言った。


「どうなんだろう……私にはわからない。でも、私は復帰しないことを選んだ。でも……まだ燻ってるの。言い訳にするには丁度いいし、このまま復帰をしても悪くないシナリオだって」


「昔の陽菜ちゃんなら、間違えなく復帰を選んだんだろうね。でも、今は違う。全てを投げ打って得るものもあれば、何かを守りながらも得るものはあるでしょ?」


「確かに……紗季にも、演技の表情が変わったって言われた。人間味が増したっていうか」


 からんと音を立てて、アイスコーヒーに浮かぶ氷を遊ばせる。

 視線をグラスに落とす様子をみて、上坂先生は「今もなんか、女優モードって感じね」と呟いた。


「美夜子は、私が戻りたがってるって勘付いたのかな……。だから、一緒に来たのかな」


「それは、本人に聞かないとわからないよ。陽菜ちゃんがどこまで考えても、それは陽菜ちゃんの考えなんだから」


「そんな、当たり前の事、言われなくてもわかってるよ……」


 アイスコーヒーを一口飲むと「よくブラックで飲めるね」と、唯は言った。


「……決めた」


「何をですか? 先生」


「私、有志を募って演劇をやりたい!もちろん、主役は咲洲さんで!」


「ええ!私、承諾してませんよ」


「お芝居なら確かに学校でもできるよね。演劇部は別として、映画研究会もあるし、そりゃクオリティは段違いかもしれないけど、やれる事はある」


「唯まで……」


 私は少し引きながらも、心の奥から来るワクワク感を抑えられなかった。

 私はまた、何者かになれるんだ……。

 何者かになれる? もしかしたら、私がお芝居をすることが好きなのはそれが理由か? 何かロールプレイをしたいから、お芝居をするのか?


「準備の時間はないけど、朗読劇になっても、私、絶対実現させてみます!」


「わかりました。やりますから、とにかく座ってください」


 勢いのあまり、立ち上がってしまった上坂先生にそういうと、私は窓の外を見た。


「あ……」


「どうかしたの?」


「いや、美夜子のお母さんが見えたから」


「よくわかったね」


「うん、偶然。丁度、前のところで信号待ちしてたの。さっき家行ったけど、なんか慌ただしかったから、何かあったのかな」


「そういえば、二、三時間前に救急車が近くに来てましたよ」


「もしかして、身内に不幸が?」


 私は唯の言葉を聞いて「もう一回、美夜子に連絡してみる」と言い、伝票を取って精算を済ませ店を出た。


「なんで、出ないの」


 メッセージを改めて送るも、前のものは既読になっていない。


「まさか美夜子が?」


 最悪の事を想像してしまった。

 帰り道で、事故にでもあったのか?

 疲れで倒れてしまったのか?

 考えれば考える程、気持ちは沈んでいった。


「どうしたら……」


 私はもう一度、美夜子の家へと向かった。


「あれ?」


 走り出した瞬間、私の体は宙を舞った。

 衝撃と痛みが襲う中、世界がスローモーションになった。

 衝撃があった方を見ると、運転席の玖美子さんが驚いた顔をしており、助手席に座る美夜子は眼前の光景を信じられないと言わんばかりの表情をしていた。

 私の体が、アスファルトに叩きつけられた瞬間、目の前は真っ暗になった。


「あれ?」


 気がつくと、白いシーツに覆われた私が横たわっている。

 わんわん泣く美夜子と、それを慰めるように唯が美夜子の肩を抱いている。


「私、死んだ?」


 二人に問いかけても返事はない。


「あ、もしかして私、幽体離脱してるのか」


 まるでそれは、夢のようだった。なんなら、さっき見たものも夢であれば良いのにと、こっそり願った。

 眠っている私は、目立った外傷は無く、意識を失っているだけのようだ。

 泣き止まない美夜子に「泣きたいのはこっちだよ」と言い、私は目を閉じた。


「あれ?」


 感覚が戻り、宙を舞っている瞬間に戻った。


「うおっ!」


 なんとか受け身をとり、どこも打ち付けられる事なく、植え込みのクッションに体を預けた。


「大丈夫ですか!?」


「はいなんとか……ボンネットに撥ね上げられただけですんで」


 私は見事に受け身を取っていたらしく、たまに美夜子に合気道を教えてもらっていたからか、怪我もなかった。


「てか凹んじゃいましたね」


「そんなことより……」


「あ、私、咲洲雛って言います。大事になると、色々面倒なのでここは痛み分けということで、どうでしょうか?」


「た、確かに、処罰を受けなくて済むのは助かるんですけど……本当に大丈夫ですか?」


「はい。この通り、怪我もなくピンピンしてますよ」


 運転手のお兄さんは、終始苦笑いを浮かべていた。


「車の修理、どうしますか?」


「……これくらいなら車検にも支障を来さないだろうし、このままでいいかな」


「私がぶつかった記念ですね。あんまりないですよ。咲洲陽菜がぶつかった車って」


「笑えない冗談なのに、なんでか面白いですね」


 お兄さんはお詫びとして自販機で一番高いジュースを奢ってくれて、走り去った。


「いやー、夢でよかった。私も疲れてるのかな」


 私はそのまま、美夜子の家へと向かった。

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