第六話 めぐりめぐる温泉

「暑い……」


 暑さで目を覚ます。窓を開けると、夏の朝のまだ涼しい風が入ってくる。

 その朝の空気が、部屋に入り込むと、私は深呼吸をした。

 蝉の声が鳴り響く八月の朝、都会より空気がひんやりしているが湿った浴衣を見て私は「汗だくじゃん……」と言った。

 これはまさに、昨夜言っていた快眠法の代償、とでも言うのだろうか。


「朝風呂入るか……確かもう入れる時間だったはず」


 ぐっすり眠っている美夜子を起こすか迷った。


「美夜子ー」


 返事はない。やはり、まだぐっすりのようだ。


「まあ、一人で行くか。一応、書き置きだけしておこっと」


 私は『お風呂に行ってきます』とだけ、メモに書いてテーブルに置いた。


「あ、陽菜ちゃん」


「紗季? そっか、同じ宿だもんね」


「うん。てか、陽菜ちゃん目腫れてるよ」


「嘘……ほんとだ」


 鏡でチェックしていると「昨日何かあったの?」と紗季が後ろから訊ねてくる。


「まあ色々ね」


「美夜子ちゃんと喧嘩?」


「そんなんじゃないよ」


 私はそう言うと、浴衣を脱いだ。


「陽菜ちゃん、綺麗だね」


「ちょっと紗季?」


 べったりくっ付いてくる紗季を、私は離すと「暑いからやめて」と言った。


「別に、肌を重ねあった仲でしょ?」


「何言ってんのよ」


 私は呆れながら、浴場へ入った。


「撮影、来週までかかりそうなの?」


「うん。陽菜ちゃんのところ優先してたから、割とここからタイトになるって」


「なんか……ごめんね」


「ううん。皆んな、陽菜ちゃんが無理して出てくれたって知ってるから……」


「そんなつもりじゃないんだけどね」


 湯船に浸かりながらそう言うと「陽菜ちゃん、雰囲気全然違うかったもん」と紗季は言った。


「それで言えば健斗君でしょ。暫く見ないうちにイケメンになってた」


「最近、ヒーロー物に出てたからね」


「主人公顔になってきたのか」


 私はそう呟くと、ガラッと引き戸が開くのに気づいた。


「なんで起こしてくれないのよ」


 美夜子は急いできたのか、息を切らしていた。


「美夜子、おはよう」


「美夜子ちゃん、おはよう」


「平岡さん? なんで陽菜と一緒……もしかして!」


「違う違う!別に、美夜子ちゃんに内緒で会ってたわけじゃないから!たまたま一緒になっただけ!」


 険しい顔をする美夜子に、説明をする紗季。


「そう……」


 美夜子は瞬く内に洗い場で体を洗うと、私の隣に座った。


「美夜子ちゃん、綺麗すぎ!めっちゃお肌白いやん!」


「紗季、関西弁出てるよ」


「平岡さんは関西出身なの?」


 紗季は恥ずかしそうに「実はそうで……興奮したりすると反射的に関西弁出るねん」と言った。


「可愛いでしょ? 紗季の関西弁」


「うん。ずっと聴いてたい」


「そんな綺麗なもんでもないから!」


 紗季の声は可愛らしくてどこか『妹』を感じさせる。

 実際、私と美夜子は四月生まれだが、紗季は早生まれの三月だ。


「ほんま、同いやのに大人っぽいわ……二人とも」


「私も? 美夜子だけでしょ」


「ううん、陽菜ちゃんもめっちゃ大人。所作とか佇まいとか。そら、美夜子ちゃんはもあるから、そもそもが大人っぽいけど」


「たっぱ?」


「身長って意味やで」


「なんかどんどん関西弁がわざとらしくなってきてるんじゃない?」


「そうかなぁ。でも、ちょっと抜けてきてるから、多少わざとらしくなってるかも」


 紗季は親元を離れており、事務所が用意した寮で暮らしているので、関西弁が抜けかかっているらしい。


「にしても美夜子ちゃん……」


 紗季はターゲットを美夜子に絞っているらしい。


「胸、大きいなぁ」


 そう言って紗季は美夜子の胸を触る。


「ちょっと……やめてよ」


 美夜子は紗季の手を振り解くと、私は「美夜子は私のだよ」と低い声で紗季に言った。


「陽菜ちゃん怖いわ……」


 紗季は少し怯んで、手を引っ込めた。


「……うち邪魔した悪いし、先上がるな」


「うん」


 紗季がいなくなり、大浴場に私と美夜子だけになった。


「そういえば、宇奈月温泉も行くんだよね?」


「そうだよ。あ、朝からお風呂入ってるから?」


「まあ、そうだね」


 美夜子は淵に腰掛け、脚だけをお湯に浸けた。

 太腿から滴り落ちる水滴に、私は見惚れていた。


「どうしたの?」


「う、ううん、何でもない!」


 私は口元まで湯船に浸かった。

 私なんかより、遥かに美夜子の方が大人っぽい。


「そろそろ上がろう。朝食の時間もあるし」


「うん……」


 私は美夜子に連れられて、大浴場を後にした。

 朝から豪勢な食事を終えると、私達は支度を済ませて街へと繰り出した。

 電車を乗り継いで、山間の温泉地である宇奈月温泉に着いた頃には、お昼前になっていた。


「ご飯どうする?」


「まだお腹空いてないから、先に温泉がいい」


「了解」


 私は事前に調べていた湖が見える温泉へとタクシーで向かった。

 開放感のある露天風呂に入ると、見渡す限りの絶景だった。

 青々とした山々と、湖のコントラストに私は感動していた。


「いいね……ここ」


「うん。秋に来てもいいかも。紅葉の時期とか」


「そうだね」


 うっとりしながら、温泉に浸かっていた。

 夏の風が心地よく感じる。

 私達は逆上せる前に出て、その施設にあるお食事処で昼食を摂った。


「……なんか全部陽菜に出してもらうの悪いよ」


「いいの。一緒にいるだけで美夜子からはいっぱいもらってるからね」


「それじゃ……なんか納得できない」


「じゃあ、帰ったらマッサージして?」


 美夜子は納得行ってなさそうだったが、私は会計に向かった。


「気にしなくていいから。言ったでしょ? 昔の出演料とかいっぱいあるからさ」


「うん」


 帰りの電車、美夜子は口数が少なかった。

 かという私も、途中から眠ってしまっていた。


「陽菜、起きて」


「ううん?」


 降りる駅に到着する前に、美夜子が起こしてくれた。

 荷物を持って、私達は下車し、タクシーに乗り込んで旅館まで向かった。


「明日で帰るのか……ちょっと寂しいなぁ」


「ご飯食べて温泉入ってってしかしてないけど……」


「明日何しよっか。チェックアウトまで時間あるし……」


 部屋に戻って、落ち着いてからそう話すと美夜子は少し黙って「帰りたい」と呟いた。


「帰るのは別にいいけど、折角だし、もっと何かして行かない?」


 私の提案は素気無く断られた。


「……わかった」


 私はそう言うと、荷物を整理し始めた。

 もしかしたら、ホームシックだろうか? そう私は思っていた。

 夕飯を終えてから、今日三度目の入浴を済ませた。

 色々動き回ったせいで、私達は布団に入るや否や直ぐに眠ってしまった。

 朝になると、また朝風呂を楽しんだ後朝食を済ませて、チェックアウトの手続きをした。

 美夜子は一貫して、少し素っ気ない態度を取っていた。しきりにスマホを気にしたり、どこか焦ったような……。

 帰りの新幹線で、美夜子は直ぐに眠ってしまったが、私はずっと起きており、スマホを触ったり、景色を見たりと暇を潰していた。


「色々連れ回して、疲れちゃったのかな?」


 そう、美夜子を思い遣って私は自己満足していた。


「美夜子、もうすぐ着くよ」


 ぐっすりだった美夜子を起こすと、荷物をまとめた。

 そこから乗り継いで、ようやく地元に帰ってきた頃には、お昼はとうに回っており、美夜子に昼食について訊ねると「帰りたい」と言い、一旦、解散することになった。


「……どうしたのかなぁ」


 帰り道、ひとり歩きながら私はそう呟いた。

 お代を殆ど出したことを気にしていたから、もしかしてそれを気にしているのか?

 それともやはり、私の都合ばかりに付き合わせて、疲れてしまったのだろうか……。

 何か家の都合でもできたのか? だとしたら、何か言ってくれればいいのに……。

 家に着いて荷物を置くと、美夜子に電話をした。が、美夜子は電話に出なかった。

 メッセージも反応なし。もしかして、疲れて眠ってしまったのか? 新幹線で眠っていたのに?


「んー、なんか……面倒臭いなぁ」


 私は、ため息を吐いて家を出た。


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