第四話 富山旅行初日

 現場に行くと「あれ? 陽菜ちゃん、どうして?」と紗季に言われた。


「もう一回、監督のお見舞いに行こうって思って……。で、ついでに観光しようかなぁって」


「いいなぁ。私も観光したいよー。富山って五箇山とかダムとかあるんだよね? 私、オフの日に宇奈月まで行ってきたくらいだよ」


「ノープランで来ちゃったからなぁ……美夜子、どこ行く?」


「あっ、初めまして、アクターズカンパニー所属の平岡紗季です!」


 紗季は頭を下げたが「紗季……内緒だけど美夜子はただの友達というか……芸能人じゃないから」と言ってあげた。


「え、そうなの? なんかオーラがそれっぽかったけど」


「まあうちの自慢の美夜子だからね」


「何言ってんのよ……」


 私は美夜子と共演者達に挨拶にまわり、撮影の見学をした。


「すごいね。雰囲気から何までガラッと変わって……さっきまで楽しく話してたのに、敵役になったり……」


「でしょ? 私もたまに思うんだ」


「……陽菜も、あの中に居るんだよね」


 美夜子は不安そうに言う。

 私は美夜子の手を握り「だけど、今はここに居るよ?」と囁いた。


「だけど……」


「不安?」


「……うん。私が陽菜のそばに居ていいのか、わからなくなる」


「そんなの……私が決めることじゃん。美夜子はそばに居てほしい」


「うん」


 ギュッと握り返された手をそのままにして、私達は撮影を見ていた。


「美夜子ちゃん、肌綺麗……化粧品何使ってるの?」


「私は特に……何もしてません」


「嘘でしょ?」


 共演者の坂野薫さんが、美夜子の手を取って驚いている。

 美夜子は恥ずかしそうに「テレビで見たことある人だ……」と目を逸らしていた。


「うふふ、それで言うなら、陽菜ちゃんだってそうじゃない。ねぇ?」


「私はもう耐性ついたのかな?」


「そりゃ、最初に……」


「最初に? え、何したの?」


「あー、えっと……」


 私が言い辛そうにしていると、美夜子が「キスしたんです」と答えた。


「初対面で?」


「元々、クラスの席が隣で……って」


「あ、そういうこと」


 薫さんは何かを察したのか、一つ笑みを浮かべた。

 私は薫さんに事情を説明すると「別にそんな嘘付かなくてもいいのにね」と言った。


「制作さんの方がうるさそうだからって、監督が……」


「でも、こっち側の人って言われても違和感ないわね。陽菜ちゃんと一緒でも、負けないというか……」


「うちの社長も、佐竹さんも言うんですよ。社長なんて、前にスカウトしたりしたんですよ?」


「だったら……美夜子ちゃんはこっちに来るべきよ」


「そう……なんですか?」


 自信無さげな美夜子を見て「まあ、その気がないなら、仕方ないけどね。私はいいと思うわよ。そういう選択もアリと思う」と薫さんは言った。

 お昼過ぎまで撮影は続き、一旦お昼休憩となった。


「健さん、私達はそろそろお暇しますね」


 健さんにそう伝えると「あ、もういいの? 最後までいればいいのに」と言われた。


「宿のチェックインとかがあるんで……」


「そうか……じゃあ仕方ないな」


 私達は佐竹さんの車で旅館へ向かい、チェックインを済ませると部屋に入った。


「ふう」


 私が一息つくと「お昼どうする?」と、美夜子が訊ねてきた。


「そうだねぇ。ラーメンとかどう? ほら、ブラックラーメンって有名じゃん」


 元は戦後復興の労働者向けに考案された、味の濃いラーメン。

 そもそもがご飯のお供にすることが前提らしいが、今は改良されて、普通にラーメン単体で楽しめるらしい。

 いくつかレポをチェックして、近場のところに行くことにした。


「美夜子はラーメン好き?」


「あんまり食べないかな……インスタントかカップ麺くらいしか」


「まあ私もそうなんだけどね」


 真っ黒なスープにネギが浮いている。

 脳が『味が濃そう』と考えているが、食べてみると意外とあっさりしていた。

 あっという間に平らげて、私達は店を出た。


「美味しかったね」


「うん、意外と濃くなかった」


 満足した私達は宿に戻り、この後のことを思案した。


「帰るのは明後日でしょ? 明日一日空いてるんだよね」


「陽菜、宿題はした?」


「もちろん。撮影の合間に終わらせたよ」


「そう……」


「もしかして美夜子、やってないの?」


 私が訊くと、美夜子は首を縦に振った。


「でも、後少しだから大丈夫」


「そう……」


 色々調べた結果、紗季の言っていた温泉に行こうという話になったが、今からだと、帰ってくるのが遅くなるので、とりあえず今日はこの旅館のお風呂に入ることにした。


「なんだかんだ、ここも温泉らしいよ」


「そもそも温泉宿って書いてるし、陽菜、ちゃんと見てなかった?」


「あ、そういうこと言う?」


 私は美夜子の脇腹を擽る。


「や、やめて……!」


「やだ」


「ごめん!私が、悪かったから……!」


 私が擽るのをやめると、美夜子はこちらを睨んできた。


「あ、まだそんな目するんだ」


 私はそう言いながら、指をクネクネと動かした。


「……陽菜の馬鹿」


「もしかして……して欲しいの?」


「ち、違う!」


 私は座椅子にもたれて伸びをした。


「なんかいいね。いつもと違うところに、美夜子と二人でいるって」


「確かに……」


 昼下がり。食後の二人はうとうととして、そのまま座布団を枕に眠ってしまった。


「むぐぅ……」


 息苦しさに目が覚めた。


「んむふふっ!」


 塞がれた口で何とか美夜子の名前を呼ぶ。


「……ん。あれ、寝てた?」


「膝枕しながら寝ちゃうなんて……」


 私は美夜子の膝の上で眠っていたが、寝てしまった美夜子が前屈みになり、その胸で口を塞がれていたのだった。


「わざとじゃないから」


「知ってる。ありがとね」


 私はお礼を言って起き上がると、また伸びをした。


「やっぱりちゃんと、布団で寝なきゃだよね。あ、そろそろお風呂行く?」


「そうね、食事の前に汗流したいかな」


 私達は浴衣とバスタオルを手に大浴場へと向かった。

 まだ早いからか、人は少なく、私達しかいない。


「これがさっき乗っかってたのか」


 私は美夜子の胸を突いた。

 すると、美夜子は「仕返し」と言って、私の胸を突いた。


「ちょっと、萎んだらどうんのよ!」


「知らないわよ」


 そんなやりとりをして、中に入った。

 体を洗って湯船に浸かると、疲れが一気に抜けていく感覚になった。


「はぁ……極楽極楽」


「なんか年寄りみたい」


「こんなに若い年寄りがいたら驚くよ」


 美夜子は落ち着いて肩まで浸かっている。それはまるで、女神がゆあみをしているようで、湯気も相まって神秘的だった。


「美夜子は芸能界、興味ないの?」


「何、いきなり」


「さっきもさ、薫さんに言われてたじゃん。私に負けないくらいのって」


「あれは……お世辞じゃないの?」


「どうだろう。実際、社長も佐竹さんも気にかけるくらいだし、もしかしたら、私以上になれるのかもしれないよ」


 私はm壁にもたれて天井を見上げながら言った。

 天井にはまるで、天へと昇る魂を天使達が導いてくれている絵が描かれており、私は目を細めてそれを眺めた。


「私が……陽菜より有名になることはないと思う。もしなったとしても……」


「その時は私、もっと努力する。美夜子なんかすぐ追い抜いて、追いつけないくらい突き放してやる」


「なんか陽菜らしい。負けず嫌いというか」


「でしょ?」


 私は美夜子の左肩に右肩をくっつける。


「でも私もさ、こうしてるのが一番良いなぁって思うよ。美夜子が同業者になるのは、それはそれで嬉しいけど、どこかライバルとして見なきゃいけない気がするし、ギスギスしそうで怖い」


「私でも、譲る気はない、と?」


「うん。絶対に譲らない。それは唯にだってそうだし、沙友理や紗季にもそう。同世代だから、譲り合うだなんてことはしたくない」


 私がそう言うと、美夜子は私の体を抱き寄せた。


「だったら、陽菜は戻るべきじゃない? 今立ち止まってたら、唯に追い抜かれちゃうよ?」


「立ち止まってる……のかな? 私にとって、この数ヶ月、人間として成長している気がするけど」


「それは……あるかもね」


 美夜子は立ち上がると、湯船を出て、露天風呂の方へと向かった。私はそれに、黙ってついて行った。


「私が一番嫌なこと、言っていい?」


「美夜子が一番嫌なこと? 何なの?」


「私のせいで、陽菜に迷惑がかかること」


「この前の写真の話? あれはもう……」


「それもあるけど、例えば復帰したいときに、私のことを考えてしまって踏みとどまってしまうこと。これが一番怖い」


 美夜子はそう言うと、片足を湯船に浸けた。

 美夜子が肩まで浸かるまで、私はそばで待っていた。


「入らないの?」


「うん……」


 私はゆっくり隣に座る。

 水が滴る美夜子の後れ毛を見つめる。それを掻き上げる仕草に、私はグッと来ていた。

 ああ、好きだなぁ私。美夜子が。

 うっとり見惚れていると「どうしたの?」と、美夜子は訊ねてくる。

 私は「ううん」とだけ返事をして、美夜子の肩に頭を乗せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る