第一話 懐かしい景色

 夏休み直前、私のスマホにあった着信により、私の夏休みのスケジュールは大幅な変更を余儀なくされた。

 かつて、お世話になった映画監督の阿良川敏彦あらかわとしひこ監督が、最後の作品をこの夏に急遽撮ることになったのだった。


「それって断れないの?」


 美夜子にそう言われたが、私は出演したい気持ちでいっぱいだ。

 それに、配役のオファー自体は休業前にもらっていたものだし、お世話になったのもあるしと、私は断る理由を探し出せなかった。


「本当、ごめん」


「ううん……でも、これを足がけに復帰するつもりはないんでしょ?」


「まあ確かに、休みを利用すれば活動はできるんだけどね。落ち着いて、腰を据えて学生生活を送りたいから……」


 私がそう言うと、美夜子はため息を吐いた。


「そう。なら仕方ないわね」


 夏休み、二人でどこかへ出掛けようと色々計画を立てていたが、それが全て白紙になってしまった。


「とはいえ、八月頭から三週間弱だし……」


「役作りとかはしなくていいの?」


「それについては、監督が無理を言ってるからって何とかしてくれるって」


「へぇ」


 今回、改めて事務所にオファーがあったらしい。その際に、私を指名でのオファーだったらしく、私が活動休止しているのを百も承知の上でのオファーだったようだ。

 なので、私の都合に合わせると言うことで夏休み期間に撮影となった。


「どこで撮るの?」


「富山。富山って何があるっけ?」


 美夜子の苗字である立山があったりするくらいしか知識がない。


「撮影は黒部ダムでやるって聞いたけど……」


「有名よね。昔の映画でもあるくらいだし」


 終業式当日に私は台本を渡された。

 やはり役に関しては、大まかに指定があるものの、わざわざ髪を切ったりしなくても大丈夫そうだった。


「えっ!陽菜ちゃん映画撮影あるの?」


 唯が驚いてそう言った。


「うん。阿良川監督のだから出たいし、監督最後だって言ってるらしいし」


「それなら仕方ないよね」


 最近は何故か、唯の家で溜まることが多くなった。


「前作と殆ど同じスタッフさんと俳優さんだから、心配はないんだろうけど……」


「ふーん。ちょっと台本読ませてー」


 唯はサラッと台本に目を通すと「えっ!?」と、驚いた声を上げた。


「ちょっと陽菜ちゃん、これ濡場じゃない?」


「濡場? ああ、女の子同士でってところか」


 美夜子は私を見て、ものすごく渋い顔をしていた。


「大丈夫だから。あくまでお芝居だし、本当にするわけじゃないから」


「わかってる……」


 むすっとした美夜子がとても可愛い。

 だが、いつまでも、そうさせておく訳にはいかない。

 今回は特例に特例を重ねたスケジュールで、すぐに顔合わせに衣装合わせが入り、八月には撮影をできる準備を製作陣が進めてくれた。


「富山って、暑いですね」


「そりゃ、盆地だもんね。海があるとはいえ、この時期に北風が吹くわけでもないから、フェーン現象で熱気が入ってくるんだよ」


 私の父親役を務める、片桐響也さんがそう話すと「陽菜ちゃん、久しぶり。元気そうでよかった」と、榎木裕翔さんが声をかけてきた。


「榎木さん!お久しぶりです」


「いやーびっくりしたよ。急に休むって聞いてさ」


「まあちょっと、思うところがありましてね……」


 続々と、馴染みの面子が集まってくる。

 その度に『元気にしてたか?』と訊かれて少し疲れた。

 衣装に着替えてメイクを済ませると、早速撮影が始まった。

 私の役は、主演で今人気の鯖江健斗さんの妹役。実際、鯖江さんとは歳も四つほどしか離れていない。


「陽菜ちゃんで安心したよ。休んでるって聞いたから、出れるのか心配だった」


「夏休みですから、割と自由が効くので」


 納得したように「そうか」と言うと、鯖江さんは「学校、楽しい?」と続けて質問してきた。


「はい……中学の時は全然通えなかったんで、最初はしんどかったですけど」


「はは、そうか」


 一日に及ぶ撮影を終えて、宿舎に戻る。

 大きなベッドに仰向けに寝転がると、エアコンから涼しい風が吹く。


「あー、涼しい」


 とりあえずシャワーを浴びて、夕食を済ませると、私はスマホをようやく鞄から取り出した。


「あ、美夜子から鬼のようにメッセージ来てる」


 数十件のメッセージの通知を見ながら、私は苦笑いを浮かべていた。


「逐一、送らなくてもいいのに」


 そこには今日、唯と沙友理とでプールに行ったという写真があった。

 唯には美夜子の面倒を見てくれと頼んでおいたし、沙友理とは意外と仲良くやってるようだ。

 私も、街から見える立山連峰の写真を送って「美夜子くらい大きい」と、メッセージを添えた。

 すると美夜子から「どこのこと言ってるの!」と返ってきて一人で笑っていた。

 最初の一週間は、昼間の撮影が殆どだった。

 二週目になると、夜の撮影が多く、美夜子とのやりとりも夜は撮影から帰るとへとへとで、すぐ眠ってしまい、滞ってしまった。


「ごめん、撮影終わってすぐ寝ちゃってた」


 毎朝そう返しては「ううん、頑張ってね」と美夜子に励まされる。

 そしてついに問題の濡場のシーンの撮影。

 相手役は平岡紗季。同い年の女優だ。


「よ、よろしくお願いします」


「なんで改まって挨拶なの?」


「いやだって……裸でベッドに入るってなんか……」


「お芝居じゃん。別に私、紗季ちゃんをめちゃくちゃにしたりしないよ?」


「でも、恥ずかしいし……」


 そう言っているうちに撮影は始まった。

 そして何のこともなく、撮影が終わると、紗季は満面の笑みで「お疲れ様!」と言った。


「どうしたの?」


「いや、最初に何だかんだ変な想像してしまってたから、こんなもんなんだって思って」


「だから言ったじゃん」


 私も少し、美夜子とは違う子と肌を重ねることに抵抗はあったが、紗季の体型が背を小さくした美夜子のようで違和感がなかった。

 いや、少し紗季の方が体温が高いか?


「でも、今回の撮影で一番このシーンが緊張してたからなぁ」


「そうなんだ」


 私達はお弁当を食べながら、さっきのシーンについて話していた。


「陽菜ちゃんすごいね。休んでたのに、ブランク感じないもん」


「そんなことないよ。NG出してたし」


「でも殆ど私のNGだし……」


 謙遜する私に「前より人間味が増したね」と言ってくれたのは阿良川監督だった。


「そうですかね……?」


「うん。前はできてたけど、なんかマシーンがやってると言うか、悪くないんだけど、折角人間がやってるんだからもうちょっと人間味が欲しいなって思ってたからさ」


 私は少し嬉しかった。

 正直怖かった。休んだことで自分の力が落ちてしまうんじゃないかって。謙遜というよりは、本当にブランクがあると思っていたし、出来も不安だった。


「そう言っていただけると……その、嬉しいです」


 その日の撮影を終えて、意外とスムーズにスケジュールをこなせたので、私のシーンは残り数カ所。何なら明日にでも撮り終わるくらいと言われた。


「陽菜ちゃん、友達とかと遊んだりしたいでしょ? だから優先的に撮ったんだよ」


 阿良川監督の粋な計らいで、本来三週間と言われていたが二週間弱で撮り終えたとのことだ。


「ありがとうございます!」


 私は心の底から感謝を述べた。


「いいよいいよ。まあ僕も、辛かった時のこと知ってるからさ。折角、そっちを優先できるようになったんだから、こっちは残ったメンバーで何とかするし」


「でも……監督、最後なんですよね?」


「一応、ね。元気だったらまた撮りたいと思ってるし、その時は陽菜ちゃんが主演でやりたいな」


「だったら高校卒業まで待ってくださいね。それまで元気でいて下さい」


 笑いながら会話を終えて、次の日。

 ホテルで阿良川監督は倒れて緊急入院をし、撮影は助監督の息子である阿良川健あらかわたけるさんが仕切った。


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