第15話 ご近所さんになった先生

 もらった惣菜で夕食は賄えそうだったので、絹枝さんにメッセージでそう伝えると、どうやらお友達と食事に行くらしく、私達だけで食べてとのことだ。


「この量か……」


 私は袋の膨らみ具合を見て、苦笑いを浮かべていた。

 私は食べる方だが、こんなにも一気には食べられない。


「とりあえず持って帰るしかないし、明日のお昼まで冷蔵庫に入れておけば持つでしょ。まあ流石にお刺身とかは無理だろうから、今日優先して食べるとして……」


 美夜子はそう言いながら歩く。私もせっかく頂いたものなので、無駄にはしたくない。

 しばらく歩いたところで、大きな道へと出てきて長い信号待ちをしていた。

 私の隣で信号待ちをしている女性。どこか、見覚えがあるのだが……。

 女性はワイヤレスイヤフォンを耳に挿し、スマホに夢中になっていた。

 ただ、ボサボサの髪と黒縁メガネ、セットアップのジャージにナイロンのエコバックを手にしていた。


「上坂先生?」


 私はそう呟くも、音楽を聴いているのか全く気づく様子もない。もしかしたら、人違いだった可能性もあるが……。

 信号が青に変わり、私達は一斉にスタートを切った。

 片側4車線の大きな道路を渡り終えると、私達と上坂先生思しき女性は同じ方向に進路を取る。


「ねえ美夜子、あれって……」


「陽菜も気づいた?」


 無理に引き留めるべきか悩みながら、私達は女性の後ろを歩いていた。

 少し歩いて、また信号待ちをする。

 今度は向こうが先に立ち止まり、その隣に私達は並ぶようにして立ち止まった。


「えっ!陽菜ちゃん!?」


 上坂先生は完全プライベートモードなのか、私を名前で呼んだ。


「あ、どうもー」


 私は軽い返事をして、隣りにいる美夜子は会釈をしていた。

 驚いた様子で私達を見る上坂先生は平静を取り戻すため、ずれたメガネを直し、一つ咳払いをした。


「えっと……奇遇ですね」


「ですね……先生この辺りなんですか?」


「そうですね、えっと……実はこの辺りに引越して来て、立山さんの家の近所なんです」


「へぇ……一人暮らしなんですか?」


「いえ、実は従姉妹を預かることになりましてね。休みを利用して引越しを済ませようと思ってまして……朝からずっと作業してて、ようやく落ち着いたんです」


 珍しい話だなと私は思った。こんな時期に従姉妹を預かる。というか、従姉妹を預かるのはあまり聞かない話だ。

 だか、私達は深く詮索することはせず、余りそうな惣菜を先生に分けた。


「これ晴天商店街のですか?」


「そうです。あそこの神社にお詣りしに行った帰りに寄ったら、なんか色々もらっちゃって……」


「流石は咲洲さんですね」


「まあでも、嬉しいんですけど、申し訳ないなって思うところもあるんですけどね」


 私は少し顔を曇らせたが、信号が変わったので前を向いて歩き始めた。

 先生とは美夜子の家の前で別れた。本当に裏に出来たマンションに引っ越して来たらしい。

 先生は去り際に「これからはご近所さん同士ですね」と美夜子に言い、私達は立山宅の門を潜った。


「さて……」


 美夜子は手を洗うと早速食材の仕分けに入った。


「陽菜、お米食べる?」


「うん。あ、海鮮丼できるんじゃない?」


「確かに、それが手っ取り早いね。というかお刺身、柵でもらってるから切らなきゃ。私、柳刃使ったことないんだけど、やってみよ」


「何か手伝おうか?」


「いいよ。だって陽菜、料理できないでしょ?」


「失敬な!混ぜたりするくらいできるわ!」


 私は鼻息荒く、美夜子の近くまで歩み寄ると、その様子を見て美夜子はクスリと笑った。

 私はライスストッカーの使い方を教わり、ボタンを二回押して二合のお米を取り出した。


「うちの無洗米だから洗わなくていいけど、気になるんだったらサッと濯いでもらってもいいから」


「うーん、面倒だからいいや」


 私がそう言うと、美夜子は鼻で笑った。

 水を適量注ぎ、釜を炊飯器にセットし、炊飯スイッチを押す。私はこれだけで料理が出来た気になっていた。

 美夜子は手際よく、刺身を切り、一旦皿に盛っていた。よく見ると、魚捌きの動画を見ながら切っていた。

 マグロにサーモン、イカとブリの4種盛りだ。


「そういえば……」


 美夜子は冷蔵庫の野菜室から余っていた大葉を取り出す。


「陽菜、大葉大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


「漬けにするって手もあるけど……」


「うーん……せっかくだしそのままわさび醤油かけて食べますか」


「ご飯は? 酢飯にするってのもできるけど」


「普通の白ごはんでいいかな?」


「わかった」


 美夜子は皿にラップをかけて冷蔵庫へ入れ、味噌汁の準備をし始めた。


「この前、父さんがお土産にって名古屋の八丁味噌買って来たからこれで作る」


「八丁味噌?」


「魚介類に合うんだって。あら汁とか八丁味噌がいいってお祖母ちゃんが言ってた」


「へぇ……」


 確かに、お寿司屋さんとかで飲む味噌汁は赤くて普段のものとは味が違う。そもそも味噌が違ったのか。


「とりあえず……朝のと同じ具材になるけどいい?」


「うん、気ないしないよ」


 私はダイニングチェアに腰掛けて、料理をする美夜子を見る。

 やはり新妻が台所に立っているようで、なんか嬉しい。


「美夜子の旦那さん、幸せ太りするだろうな」


「なんでよ」


「だってこんな美人の奥さんが美味しいもの作ってくれるんだよ? もう太るじゃん」


「じゃあ手始めに、陽菜を太らせようかな」


「絶対太らないから」


 美夜子はささっと味噌汁を作り終えると、お米が炊けるまでもう少しあるからと、部屋に戻ろうと提案する。

 それを承諾し美夜子の部屋に向かう。


「美夜子?」


 私は、部屋に入り立ち止まった美夜子に声を掛ける。


「陽菜……」


 美夜子はやけに真剣な目で私を見る。


「ど、どうしたの?」


「今日は内風呂でいい? 二人で入らない?」


「もちろん構わないけど……まさか緊張してるの? 一度一緒に入ったでしょ?」


「そうだけど……なんか緊張して」


「もう……で、どうする? ご飯先にする?


「そうね」


 美夜子と二人で風呂掃除をして、お湯張りスイッチを押し、お風呂の準備も済ませた。

 ちょうど炊飯器から炊き上がりのアラームが鳴り、私達は少し早い夕食にすることにした。


「そういえば甘エビももらってたの。下処理済みだから、このまま乗っけるだけでいいと思う」


「なんかお店で食べるみたいになってるね」


 私はわさび醤油を回し掛け、一口分のまぐろと白米を箸で持ち上げ口へと運んだ。


「んー美味しい!」


「うん、美味しい」


 美夜子と私はほぼ同時にそう言うと、そこからしばらく、無言の時間が続いた。

 というのも、旨みが口を開けると逃げてしまうからだ。なので無言で食事をする。


「お味噌汁も美味しいね。お寿司屋さんで出てくるやつだ」


 私達は海鮮丼を楽しんで、食器などを片付けた後、お腹を落ち着かせる為に居間のソファーに並んで座っていた。


「しばらく何も考えたくない」


「わかる……」


 お互いにもたれ掛かり、お互いの体温が伝わり程よく暖かくなっていたので、無性に眠たかった。


「お風呂入んなきゃだね」


「うん……」


「美夜子?」


 美夜子は今にも寝そうになっていた。

 電車でも寝ていたのにと私は思ったが、寝る子は育つという言葉を思い出し、私も寝ようかなと胸元を見て思った。


「今寝ると夜寝れなくなっちゃう」


 美夜子は目を擦りながらそう言うと、私の膝下に頭を降ろした。


「そう言うのって、誘われてからするものじゃないの?」


「空いてたから」


 目を落とすと美夜子の横顔がある。私は黒い髪を撫でながら、笑みを浮かべていた。


「陽菜……撫でるの上手だよね。すぐ眠くなっちゃう」


「美夜子が猫っぽいからかな」


「猫? にゃぁー」


 私は悶えそう……いや、悶えていた。

 何なんだこの可愛い生物は!

 まるで黒猫。クールビューティーな反面、人懐っこい姿がチャーミングな魔性の持ち主。

 普段はキリッとしたしっかり者なのに、こういう時に甘えてくる……反則だ。


「……」


 私は無言のまま、美夜子の頬にキスをする。

 美夜子はそれを受けてハッとしたように起き上がると、私に謝罪を続けた。

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