第12話 グッドナイト
広いお風呂は、泊まりでの撮影で温泉旅館に泊まった時以来だ。
美夜子と二人並んで洗い場で髪と体を洗って、大きな浴槽に体を沈めると、疲れがジワッと染み出していくようだった。
「あー生き返るー」
「何、陽菜まるで年寄りみたい」
「銭湯っていいね……温泉とはまた違う感じ」
蕩けるように湯船に浸かる私を見て、美夜子はクスクスと笑っている。
「べっぴんさん二人もいるから、今日はいつもと雰囲気が違うねぇ」
サウナから出てきたお婆さんがそう言うと、美夜子はやたらと照れていた。
「おや……美夜子ちゃんじゃない」
「お久しぶりです……」
美夜子が挨拶を返すと、お婆さんはニコッと笑うとそのまま掛け湯で汗を流して浴場から出ていった。
「誰?」
「お祖母ちゃんの友達のサキさん。昔からよくしてもらってるの」
「へぇ……」
のぼせる前に私達は湯船を出た。
脱衣場で私に集まる目を美夜子は気にしていたが、人から見られることに慣れている私は動じなかった。
「陽菜ちゃん、お肌綺麗ね」
「そりゃお高いケア用品使ってますからね。よかったら使ってみますか?」
「あら、いいの?」
私は隣にいたおばさんに、ボディクリームを差し出すと、少しだけと指先に十円玉くらいクリームを出した。
「えーすごい!こんなに違うのね!」
「でもこれ、めちゃくちゃ高いわけじゃないんですよ?」
話が盛り上がり、気づけば美夜子は着替えて私を待っていた。
「ごめん」
「いいよ。牛乳飲んでく?」
「私、コーヒー牛乳がいい!」
ロビーに向かうと色紙の準備ができており、私が何故かカウンター内へ入り、サイン会が始まった。
「久しぶりにたくさん書いたから、疲れたー」
私はそうぼやくと「お疲れ様」と美夜子がコーヒー牛乳の瓶を差し出した。
「ありがとー」
乾いた喉に甘いコーヒー牛乳を流し込む。染み渡るような感覚のあまり、一気に飲み干してしまった。
「あー美味しい……」
「何も一気飲みしなくてもいいのに……」
美夜子はそう言うが、体が水分を欲していたのではないだろうか。
私は瓶を回収箱に入れると、もう一本追加でコーヒー牛乳を買った。
「まだ飲むの?」
「だって喉乾いてるんだもん……美夜子も飲む?」
美夜子は首を横に振り、私は一本だけ冷蔵庫から取り出し、お金を支払った。
今度はソファーに腰掛け、テレビを見ながら、ゆっくり飲み干すと「そろそろ帰ろっか」と美夜子に言った。
「ありがとうございました」
「ありがとね。美夜子ちゃんも、また来てね」
「はい。失礼します」
下足ロッカーからクロッグサンダルを取り出して、帰路へ着く。
春の夜風は少し肌寒く、パーカーのポケットに手を突っ込んで歩く。
「そんなに寒い? コーヒー牛乳飲みすぎたんじゃない?」
「そんなことないよ?」
美夜子は私の右腕を抱きながら歩く。
「よかったら右ポケットに手入れる? ほら歌であるじゃん」
「いいよ。狭いし」
半分より少し大きいくらいの月が夜空に浮かび、街灯と明るさを競う。
春の風がもう冬ではないと告げ、青々した雑草の背を撫でる。
「もう春だねぇ」
「とっくに春でしょ? 桜ももう散ったし」
「人って不思議だよね。桜を見たら春っていうくせに、少し寒いとまだ冬とかさ。私、一番春と秋を無くしてるのは人間だと思うよ。自然は雄弁でさ、季節の植物とか虫とかがちゃんといて、季節を物語ってくれるのに」
「なんで急に真面目な話なの?」
「なんでかな? 現代人への八つ当たりかな?」
「何それ」
美夜子は笑いながら月を見ていた。
月が綺麗とはよく言ったものだが、それをアイラブユーと準えるつもりはない。
「ただいまー」
立山家に戻った頃にはすでに時計は二十時を回っていた。
「お帰りなさい」
頬を赤くした玖美子さんとお母さんが玄関まで来て出迎えてくれた。
「お母さん、飲んでるの?」
「私は飲んでないけど?」
恐らく、場で酔ってるのだろう。私はそう解釈して「そうなの?」と答えた。
私と美夜子は、美夜子の部屋にそのまま戻り、荷物を整理すると、居間へと向かった。
「お母さん……」
美夜子はこめかみを摩りながら、眉間に皺を寄せた。
「あ、美夜子?」
少しアホっぽい声で美夜子の名前を呼ぶ玖美子さんを見て、私はクスリと笑ってしまった。
「もう、明日早いんでしょ? 飲みすぎると明日に響くよ!」
「あー、美夜子の声が一番頭に響く……」
私は体格差も相まって、どちらが親かわからなくなりそうだった。
それに、健一郎さんはすでにソファーで寝てしまっている。
「陽菜、戻ろう」
「え? う、うん……」
私は美夜子の腕を引かれながらその場を後にした。
「恥ずかしいところ見せて、ごめんね」
「ううん、別に気にしてないよ」
「ならいいけど……」
美夜子は少し落ち込んだ様子で俯いた。
「それより、何かする?」
私はゲーム機を指差してみたが美夜子曰く、もう何年も電源入れていないとのことだった。
「……前もそうだったけど、お泊まり会って何するの?」
「うーん……恋バナとか?」
「美夜子、何かある?」
私がそう訊ねると「勿論、無い」と美夜子はきっぱりと答えた。
「陽菜は?」
「あると思う?」
「んー、無さそう」
「正解!」
私達は何が面白いのかわからないまま大笑いをした。
「だって私、昔から陽菜のこと好きだったし、他に目移りとかしなかった」
「私は仕事が大好きだったからねぇ……色恋沙汰なんて足枷にしか思わなかった」
そりゃ週刊誌にすっぱ抜かれたりすると、仕事に影響が出る。そういう商売と思えば、自然とそれらからは距離を取ってしまっていた。
「じゃあお互い、初恋を引き摺り続けて拗らせて……」
「厄介な二人が出会ってしまったね」
美夜子はベッドに腰掛けて私に腕を広げてみせた。それはまるで胸へ飛び込んできなさいと言わんばかりで、私は素直にそれに従った。
「こうしてると、陽菜って猫みたい」
「にゃー」
「うふふ……可愛い」
美夜子はひたすらに私の頭や背中を撫でる。
私は頬を美夜子の胸に擦り付ける。その柔らかいクッションに癒されながら、ウトウトし始めた。
「眠いの?」
「うん、なんか……」
恐らく、撫でられているからだろう。それに伴い軽く揺すられているので、赤ん坊みたいに寝かしつけられているようだった。
「美夜子?」
「上目遣い、反則すぎる……」
緩み切った美夜子の顔を見ながら私は瞼と格闘していた。
「もう寝る?」
「うん……ごめん」
「いいよ」
美夜子は私をベッドに寝かせると、掛け布団を掛けて、完全に寝かしつけの様相になった。
「美夜子?」
「何?」
「ギュッとして」
「もう、甘えん坊なんだから」
なんだかんだ言いながら、美夜子は私を抱き締め、額にキスをする。
「美夜子、あったかい……」
「陽菜もあったかいよ。私も眠くなってきた」
美夜子は部屋の照明を消すと、改めて布団に忍び込み、私を抱き枕のように抱き締めた。
私はその安心感で、完全に夢の世界へと向かっていった。
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