第3話 親のいない家、起こるべきこと
とりあえず、避難をするために美夜子の家へと向かった。
道場と自宅が併設されている、結構な敷地の和モダンな邸宅だった。
元々、曽祖父の代からここに道場を構えていたらしい。
「兄さんも、父と一緒に出稽古に行ってるし、それに合わせてお母さんは旧友と熱海旅行に行ったから、私一人なの」
「え、それいいの? 年頃の娘を一人きりにするだなんて」
「お祖母ちゃんがいるし大丈夫。でも今日お祖母ちゃんはフラダンス教室の発表会に行ってるから、帰り遅くなるって」
私は自宅の中を案内されながら、話を聞いていた。
美夜子は自室の扉を開くと、少したじろいだ後、こちらに振り向いた。
「引かないでね……」
私はその言葉に「え?」としか反応できなかったが、美夜子の後ろに着いて歩いて行った。
「うっ……ええぇ……」
私が呻き声にも似た声を出したのは、壁一面に私のポスターが貼られていたからだ。
私自身、何時の物か忘れているようなポスターも美夜子は丁寧に説明してくれた。
「私、デビューした時からファンなの」
「は、はぁ……嬉しいけど」
「これ、渋谷であったサイン会の」
「へ、へぇ……やっぱり来てたんだ」
私は流石に少し引いてしまった。よくもまあ、この本性を隠してひと月の間、隣の席にいたもんだなと思っていた。
「ねえ……本当に覚えてないの?」
「え?」
美夜子はその綺麗で強い瞳で私の瞳の奥を覗く。
「私、本気。陽菜の事が好き。それはこの部屋を見て貰えばわかると思う。芸能人としてでなく、一人の人間として好きなの」
前屈みになった美夜子は、少し緩いロング丈のワンピースの胸元が少し緩く、真っ直ぐな一つの立体的な線がそこにくっきりとできていた。
それを見た私は、思わず唾を飲み込んだ。
身長差が産んだものではあるが、私はそれより胸のサイズさに打ちひしがれていた。
「現場ではないどこかで、美夜子と会ってたら、流石に覚えてると思うけど……」
「……どこ見て言ってるのよ、変態」
「し、仕方ないでしょ!存在感すごいんだから」
しかし本当に、心当たりがない。冗談を抜いても、こんなに印象的な事何か知り合っていたら、覚えていない訳がない。
「ヒントその一、さっきの公園」
「さっきの……?」
先ほど私達がいた公園は、確かにお互いの家からで言えば中間地点に当たる。
が、私からすれば校区外ということもあり、小学生の頃はお母さんと一緒じゃないと、あの公園に行くことはできなかった。
「確かに、何度か小さい頃も行ったけど……美夜子みたいな子と遊んだ記憶は……」
「だから、どこ見て言ってるのよ。そんな時からこれがあったらおかしいでしょ」
私は「だよね……」と呟くと、その片手で事足りるくらいしか遊んだことがない、あの公園での出来事をなんとか思い出そうとした。
あの公園の特徴を言えば、大きな滑り台がある。周りの子達は、見たまんまで【ジャンボ滑り台】と呼んでいた。
私もその滑り台で遊んだことはあるが、足を滑らせて登ってる途中に転がり落ちた記憶がある。めちゃくちゃ痛かったので、それだけは鮮明に覚えている。
「……でもそれくらいしか、ないな」
私がそう呟くと、美夜子は私をデスクチェアに座らせた。
「例えば、誰とそこで遊んだとか、覚えてない?」
「誰と? はて……誰とだったかな」
小学生の頃のことを流石に具に覚えておらず、私は首を傾げていた。
「正直、二年生の頃にはもう事務所入って芸能活動始めてたし、あんまり遊ぶ機会なかったなぁ。それに、そんな怪我しそうなところにお母さんが連れて行ってくれなかった」
つまり、それ以前のことだったと言うわけで……だからと言って、そんなのすぐに思い出せるはずはない。
「というか……美夜子と遊んだことあるってこと?」
「……」
「だって私、今日久しぶりに行ったんだよ? あの公園。他に行ったとしても数回、小さい頃以外では本当に二回あればいい方だよ」
黙ったままベッドに座っている美夜子に私は問いかける。が、美夜子はダンマリを決めたままだ。
「多分、最近行った時は今日みたいに散歩がてら寄った程度だから、特にトピックスはないでしょ……だとするとやっぱり小さい頃か……」
私はなんとか思い出そうとした。
特にあの転がり落ちた日。とても痛かったし、お母さんはママ友との談笑に夢中で気付いてくれないし……そういえば、その時介抱してくれた男の子がいたな……もしかして?
「ねえ美夜子、昔の写真とかある?」
「あるよ」
美夜子はクローゼットの中から古いアルバムを取り出す。
「はい」
私はそれを手渡されて適当にページを開く。
「あ、やっぱり。美夜子、この頃男の子っぽかったよね」
「あの頃は……私、昔から他の子達より成長早くて、兄さんのお下がりばかり着てたから……」
「だからボーイッシュなんだ。髪も短いし」
正直、男の子と言われてもわからない容姿。確かにあの時一緒に遊んでいたのはこの子だ。
でも、私はどうして名前を覚えていなかったんだろう。
「この頃に、私を知ったんだよね? 今振り返ってみると、お互い名乗ってなかったよね」
「うん。多分、この年頃特有なんだと思う。それに親同士はママ友だったし、子供同士ももちろん名前は知ってるだろうって思ってたんじゃない」
美夜子の母とお母さんが知り合いというのも、私は初耳だ。
近いようで遠い存在……そうか、私はこの時を境に美夜子から遠ざかってしまったんだな。
「あ、そういえばうちのお母さん、ここの道場に通ってたって言ってた。護身術を身につけるとか言って」
「うん、来てたよ恭子さん。私、組み手したもん」
「お母さん……さっき聞いた時特に何も言ってなかったのに」
「恭子さん、ふわふわしてて可愛らしい人だもんね」
「抜けてるんだよ。たまにすごいのやらかすんだから」
私はスッキリして、一つ伸びをした。
「というか、これに正解というか、そういうのしたら、何かもらえるの?」
「私をプレゼント」
「え、じゃあ、脱いで胸揉ませてよ」
「冗談。陽菜って実はおじさんなんじゃない?」
「失礼な!私は花の女子高校生です!」
わざと芝居っぽく言うと、美夜子はクスクスと笑っていた。
「なんか、昔と変わってないね」
「そう? 美夜子は……女性っぽくなった」
「練習したからね……」
美夜子は少し顔を曇らせた。
私は何か地雷を踏んでしまったのかと不安になっていた。
「やっぱりさ、小学校の頃とか女のくせに男っぽいとか言われたり、私別にそういうのじゃないからショックでさ……道場では大半が男の人で、言動とか所作が気づかないうちに感染ってたんだと思う」
「そ、そうなんだ……」
私は小学校の頃の思い出は、クラスで浮き溢れていた思い出しかない。
「三年生くらいから、髪伸ばし始めて……それくらいから胸も膨らみ出して、気づけばクラスで一人だけ年上みたいな感じになってね」
「私と同じ。私も、クラスで浮いてたよ」
それを聞いた美夜子は「陽菜が?」と、目を丸くして驚いていた。
「最初は芸能人だとか、テレビ出てたねとか言ってもらえたけど、忙しくなったりして出席率下がっていくと、だんだんそれも無くなって、クラスの流行りとかもついていけないし、なんかもう面倒になっていってね。結局、ずっと浮いた状態。というか、浮き溢れていった」
私はそれに「それが中学までずっと」と、付け加えた。
「高校からは!って思ってたんだけどね。なかなか難しいね……」
私がそう言うと、美夜子は立ち上がり私に近づく。
「……陽菜っ!」
私の名前を呼ぶと同時に、ギュッと抱き締められた。
「み、美夜子さん……痛いんだけど……」
「こんな可愛い子を……悲しませるなんて」
「え?」
私は気づかなかったが、話しているうちに涙を流していたようだった。
締め付けられる体に、柔らかいクッション私の首筋に当たっている……。
「これからは私がいる。何があっても、あなたのそばにいるから」
「……美夜子?」
「だから、あなたもそばにいてくれる? 陽菜」
「うん。そばにいるよ」
私は思い出していた。あの時の感情を。あの時の男の子に私は幼いながらも恋心を抱いていた事を。
美夜子は恐らく知らないだろう。私だけの秘密として、胸の奥底の箱に仕舞っておこう。この箱の中身はあの時の私の気持ちだ。今は純粋に、優しくしてくれる美夜子を好きになっているのかもしれない。
ロマンチックに言えば運命とでも言えばいいのだろう。まるで、そう言う感情が、私の中で蠢いている。
「陽菜……」
私は美夜子にされるがまま、キスをしていた。
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