4
十年後の冬、灯りを失った日本では第四次世界大戦が行われている。
戦争の原因はわからない。誰が悪いのかもわからず、光の速さで気づいたらこうなっていたと言うのが一番しっくりくる気がする。
あれだけ平和、平和と謳っていたのに、人間は皆、嘘吐きばかりだと思う。
望んでいた毎日があった。悲しいことがあっても未来に期待する。皆で協力して明日を生きようとする日々が。しかし、そんな日々に永遠なんてなく、日々はあっという間に過去になり、一日一日がオセロのように裏返って絶望の日々に変わっていった。
気づいたら鮮やかだった街並みもつまらない灰色に染まっていた。
皆が平和を求めて戦争が終わることを毎日祈っていた。でも、祈る者たちの命の灯火が無惨に消され、ある日を過ぎてからは祈る者などいなくなった。
誰もがすぐくるであろう死を覚悟していた。
今は嵐の前の静けさと言うべき時間で僕の脳内には坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』が流れている。戦う身になって思ったことだが、この曲は歌詞がなくても成立しているような気がするのだ。
暦などあまり気にならなくなったけど、クリスマス・イブが近いはずだ。
明里が死んでから何度目かの冬の上空から灰が混じった雪が降っている。
そんな濁った空を見上げながら白い吐息を僕は漏らす。
歴史の教科書で学んでいたことが映画のように毎日、勝手に映画の登場人物にされた僕の目には映っている。
ここには絶望しかない。
一ヶ月で千葉県の自衛隊は全滅。血で染まった手紙が届き、一般人である僕すら銃を握らないといけない毎日が続いている。
耳馴染みになった銃声音、いつ来るかもわからない戦闘機やミサイル。そして、赤子が泣くような頻度で大人たちの悲鳴が上がる。僕は似合わない迷彩服を着て未だ様にならないライフルを構える。サバゲーが流行っていた時代が懐かしく感じる。
一昨日、敵軍のミサイルは僕たちの母校だった四葉高校を破壊した。粉々になった僕らの学舎はそんなに恨まれていたのだろうか。卒業生たちの僕らは何か罪を犯していたのだろうか。
破壊は卒業アルバムを捲るようにゆっくりとは行われない。一瞬だ。
敵軍にとってはただの建物の一つなのかもしれない。
でも、少なくとも僕にとっては明里たちとの想い出が詰まった場所だったのだ。
かつて、花見や祭りが行われていた中央公園は住民の避難場所になっているがいつ襲撃されるかわからない。だから、皆は一年前急遽作られたシェルターに隠れている。
鬼が手加減を知らないこのかくれんぼはいつまで続くのか。
眠れない毎日がまたやってくるとは思わなかった。酒がないと眠れない日々が来るとは思わなかった。アルコールが切れて僕の銃を持つ手が震えている。
シェルターに隠れて身を守る住民たちの食糧はごく僅か。
戦士である僕は他者の犠牲を経て懸命に生かされようとしている。それでも、それには限度がある。
僕は空を見上げる。
明里、もうすぐ君に会えそうだ。身体にあまり力が入らない。肺が潰されていて呼吸が苦しい。頭もズキズキと痛い。心はとっくの昔に壊れている。
君の親友だった晴香、井上晴香は爆薬によって既に死んでしまったよ。
明里、君は怒ったのかな。僕が彼女を愛してしまったから。いや、愛せてしまったから。
謝りたいけど君はもういないし、謝る気力も僕にはもう残っていない。
虚な目で荒れた土地を眺めることしかできない。お飾りの銃に込められた弾は自分のためにあるのかもしれない。
僕は何と戦っているのか。なぜ戦わなくてはいけないのか。それすらもよくわからない。
誰を守れば良いのか、守りたいのか。もう、守るべき者もいない気がする。
君がいなくなったあの冬、やはり僕の世界は終わったのだ。そのことを馬鹿な僕は今になってようやく気づいたよ。
もう全部、終わらせて欲しい。
明里、君ならそれができるだろ。
もう一度、君に出会いたい。もう一度、最初からやり直したい。
もう二度と君以外を見ないから。もう一度だけ僕にチャンスをくれ。もう一度だけ僕と一緒に歩いてくれ。
そして、一緒に再生するこの世界を見守っていこう。
花見をしよう。宇宙で花見を。僕も歳を取ったからお酒があると嬉しいな。明里にも良いつまみを紹介するよ。意外と僕の舌は肥えているんだ。
退屈凌ぎにストラックアウトをするように再生するこの世界に隕石を落としてみよう。君が僕の家の窓に投げたようにさ。悪戯好きの君なら好きだろ?
上から見る花火はどう映るのだろうか。そう言えば、中央公園で君と見た花火は綺麗だったな。
上から見る雪は六本木のイルミネーションのように輝いて見えるかな。今度こそ、素敵なプレゼントを渡すと約束するよ。
そんな荒唐無稽なことを考える。
僕は唇を噛む。どうしてこうなったとかどうすれば良いとかもうどうだって良い。
君と会えるなら、どうだって良いんだ。
「結構、僕、頑張ったんだよ」
頑張ってもこの世界は変わらなかった。
「明里みたいに自分も誰かの灯りになれると思ってさ」
全然、明里のように上手くできなかったけど。
「明里の分まで長生きするためにみんなと永遠を目指したんだよ」
そして、永遠なんてやはりないのだと思い知らされたよ。
「……だから、もうこの戦争を終わらせてくれ」
僕は滑稽なくらいボロボロな姿で縋るように空へ願う。
終わらせてくれ。終わらせてくれ。終わらせてくれ。
この地獄を。この命を。この心臓の鼓動を止めてくれ。
ちゃんと君を轢いた運転手だってこの手で殺したから。血染めに染まった手を、熱を、今も覚えている。それもちゃんと報告するから。
君を忘れた人間はほとんど死んだから。次はちゃんと、君の偉大さを永遠に刻み込むから。
君以外に愛した女はもういないから。やっと愛がなんなのかわかったような気がするよ。
おじさんやおばさん、大輝くんを守れなかった。僕なんかじゃ無理だった。やはり僕は無力だったよ。
僕の中の蝋燭はもう、一本しか残っていない。その火の灯りだけが暗闇を照らす頼りだった。
涙が流れる。枯れた土地に涙が落ちる。立ち尽くしている僕の中に未だ、水分は残っている。そのことがとても悔しい。
まさか、君にまた頼る日が来るとは思わなかった。君はこんな日が来ることを予知していたのかな。そうだったら君はやっぱり恐ろしい。
これは罰だ。明里を失った世界と明里がいなくても大丈夫だった僕への罰だ。そんな僕たちは罪を償わないといけない。
目を閉じる。そして、口を開く。
「こんな情けない僕を助けてくれ、明里」
大好きな幼馴染に僕は助けを求めた。とても身勝手で最低な最悪の願いだ。
次の瞬間、街に帳が降りる。
昼間だったはずなのに不思議な現象が起こる。
そんな不思議な現象を見に、シェルターから人々が姿を現す。まるでこれから夏の夜空に花火が打ち上がるように彼ら、彼女らは嬉しそうだった。
悪いけど、これはそんな良いものではないと僕だけが知っている。
上空からキラリと一筋の涙のように何かがが落ちてくる。
それを見て僕は目を細める。
ああ、僕の声はちゃんと君に聞こえていたんだね。僕を許してくれたんだね。ありがとう、と僕は心の中で呟く。
高速で落下するそれを僕は満足そうに見つめる。それはまるで流れ星のようだったが既に願い事は言って叶えてもらっている。
「きれい」
僕の隣にきたフードを被った小さな女の子がそれを見て呟く。
「そうだね、綺麗だね」
僕が言うと彼女は僕の方に顔を向ける。
「ねえ、お兄ちゃん。なんで泣いてるの?」
どうやら僕は涙を流していたようだ。
「……嬉しいからかな」
女の子に聞かれて僕はそう答えた。
そっちに行ったらちゃんと与えるから、返すから、幼馴染の僕に先に正しい死をください。
生き残るのに、生かされるのにもう疲れたから。
君のいない世界なんてやはり無意味だったから。
君のいない夜を超えるのに僕はもう耐えられないから。
信用できないかもしれないけど、これだけは僕が死ぬ前に伝えたい。
愛している、愛している。僕は明里、君を愛しています。
どこでだって、焦がれるほどに、永遠に君を愛していきます。愛していけます。
もう迷わないから。地上で迷子になっている僕を助けてくれ。
漆黒な空に一つの星が笑うようにキラリと光り輝く。
僕はそれを見て力無く笑う。
ああ、やはり君は綺麗だ。とても美しい。花火にだって負けていない。
そんな君に今度こそ会いに行くよ。
「星が綺麗ですね」
満足そうに僕が呟いて、この世界は終わった。
了
星が綺麗ですね。 楠木祐 @kusunokitasuku
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