後編

 教師の去った教室に喧騒が戻ってきた。動揺や困惑、失笑でできたざわめきは、嫌な雰囲気を作り出した。佐々木はまだそこで泣いていた。佐々木に、少女が駆け寄った。


「元気だして、美保ちゃん」


 佐々木の友人だった。泣いている佐々木の手を握る。


「大城、最悪だよね。大変だったね」


 友人の言葉に、佐々木はぽろぽろと涙をこぼした。受け取ったハンカチで鼻をかんだ。


「何でお前なんかにノートあげなきゃいけないのって話だよね。私だってあげないし」

「……え」

「わかるよ。あんなのに、ノートたった一枚でもあげたくないよね」


 ね、元気だして。そう言って手を握ってくれる友人に悪意はないようだった。まっすぐ気遣わしげに佐々木を見ている。

 ちがう、と言いたかった。でも、言葉にする前に、友人が佐々木に尋ねる。


「でさ、そのノート、そんなに大切なものだったの?」


 そう尋ねる友人の顔は、眉を下げ心配している風だった。しかし好奇心からか、目の奥が少しきらきらしていた。いかに自分の友達の大切なものを自分の憎い相手が壊したか知り、思う存分義憤に燃えて大城を攻撃してやるという、そんな意気込みが見えた。


「ぇ、……」

「ほら、何か記念でもらったとか。だっておかしいじゃん! いくら大城が嫌いでも、そんな誰もノート一枚破られたくらいで泣いたりしないもん」


 友人は、自分の言葉に、佐々木の顔がこわばったことに気づかなかった。佐々木は、少し呆然としながらも、首を横に振った。


「ん?」

「ちがう、思い出があるわけじゃないよ」

「そうなの? ……美保ちゃんって大城のこと、ホントに嫌いなんだね」


 佐々木の否定に、友人は少し目を見開いた。それから、気まずそうに言葉を探し、あいまいに笑った。思い入れがないなら、あんなに泣くのは友人には理解できない行動だった。なら、大城の事がよほど嫌いなのだと考えるしかない。すると今度は、佐々木が予想以上に過激だったことに少し引いてしまった。それが何となく後ろめたくて、気持ちを押し隠そうとした結果の言動だった。佐々木は、友人の心の機微を敏感に感じとり、胸の中をミキサーでかき混ぜられたような混乱と悔しさに襲われた。咄嗟に否定する。


「ちがう、嫌いじゃないよ、ただ――」

「いやいや、隠さなくていいから。私だって嫌いだし」

「ちがうの、私はほんとに――」

「だから、いいって!」


 友人は、誤解を解こうと尚も言い募ろうとした佐々木に、語気を強めて制止した。自分だけいい子ぶられた気がしたのだ。嫌いなことは悪いことじゃないのに、そんな目をしていた。その対応に、佐々木は大城によって開けられた心の穴にドライアイスを押し付けられたような心地がした。


(信じてもらえない)


 自分だけの世界にひとつのノートを作ろうと思った。

 これからこのノートは、私だけのノートになる、そう思うと、なんの変哲もないノートがこれ以上ない特別になった。

 この文字はこの色を使おう、ここは写真のコピーをはって、自分で一つ一つ作り上げていくノートは佐々木にとってひとつの世界だった。その世界がこわされたのだ。


(おかしいことなの……?)


 大城のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、大城だからあれだけ叫べたのかもしれない。佐々木は否定されてしまえば、友人にさえ自分の世界のことを言えなかった。

 教室では、大城と佐々木のことをひそひそと話す声がひしめいていた。大城の真似をして笑う生徒。そして、

「でも、ノート一枚で、怖いよね……」

「ちょっと変」

「いや、大城が嫌いなんでしょ」


 佐々木のことを話す生徒たちの声。

 大城が嫌いだから、やったわけじゃない。わかってもらえない。しかし、それをわかってもらったところで、佐々木の本当の気持ちこそ、わかってもらえない、「変」なものなのだ。佐々木の心を外から圧迫した。佐々木は行きどころのない膿んだ痛みを耐えたくて、胸の真ん中を強くつねった。

 放課後、大城と話し合いをさせられた。その時にはもうなにも反論する気も起きなかった。ただ叩いてごめんなさいと謝る佐々木に、教師はほっとした顔を見せた。大城は赤い目で佐々木をにらみながら私も、と返した。

 けれど、佐々木はもうどうでもよかった。破れてしまった世界は戻らない。誰もそれを弔わない。佐々木は仲直りの握手をした。皮一枚はどうせ何も伝えないから。

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やっちゃった。 小槻みしろ/白崎ぼたん @tsuki_towa

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