(五) 透吾の役目

 この先なつ紀が実家に戻ってくるようなことがあったら、冗談ではなくもう一歩も外に出してもらえないのではないだろうか。


 一人暮らしをはじめてから初めて迎えた去年の暮れに、なつ紀は帰省しなかった。母は非常に残念がって、暮れになるとなつ紀に電話をかけ、家のことはそっちのけで何時間も話しこんでいた。


 透吾は父と一緒に暮れ特有の特番を見ながら漏れ聞こえる会話を何とはなしに聞いていたのだが、電話口の母はほとんど休むことなく喋り続けていて、なつ紀に一方的に質問を浴びせかけている印象だった。実家を離れたがるなつ紀の気持ちがよくわかる。同時に、この母に好かれたくてたまらなかった過去の自分を恥じる気持ちも湧いた。


 透吾がなつ紀の様子を見にいく役目になったのは、三人のなかでいちばん適任だったからだ。なつ紀から遊びにくるよう何度も声をかけられてもいる。

 ちょうどよく、翌日は土曜日で学校も休みだった。


 もちろん母はなつ紀のところへ行きたがったが、母が行けばなつ紀の具合はもっと悪くなるに違いなかった。母さんの面倒は俺が見ているからなつ紀をよろしく頼むよ、と父に言われ、透吾は承諾するしかなかった。本音を言えばこの役割は少し気が重かった。

 もちろん透吾も、なつ紀をまったく心配していないわけではない。少し厄介な風邪だろうとは思いつつ、私死ぬかもしれないなどという電話をかけてくるなつ紀はやはり尋常ではなかった。あのなつ紀だからこそ、よほどのことがない限りはそんなふうに連絡してくることはないだろう。母の手前口にはしなかったものの、本当に何か重い病に罹っていないとも限らない。

 ただ、姉に逢うのが憂鬱だった。


 結局一睡もできないまま、電車はやがて目的の駅に到着した。


 リュックサックを背負った男の子とその両親も同じ駅で降りた。もう再び怖い夢を見ることはなかったのか男の子の機嫌も直っていて、母親と手を繋いで楽しそうに飛び跳ねながら歩いていた。父親はやはりどこかおろおろとしながら、一歩後ろから二人のあとについていく。

 男の子の恰好からてっきりレジャーランドへ行くのだとばかり思っていたのだが、このあたりにそれらしい場所はない。彼らはこれからどこへ行って何をしようとしているのだろう。それとも透吾が知らないだけで、このあたりには隠れた行楽スポットがあるのだろうか。


 親子は透吾と反対方向の改札を出て消えていった。透吾は何となく、彼らの姿が見えなくなるまで見送った。


 きびすを返したそのとき、また鼻先に腐臭を嗅いだ。それは強烈なにおいを放ち、どうしても自分の気のせいばかりには思われなかった。

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