余話 ある華族令嬢の独り言


 遠くから、正午の鐘が小さく響く。


「つい読み耽ってしまいましたわね……」


 独りつぶやいて、わたくしは袖机の珈琲こーしーを一口。

 すっかり冷めきった琥珀の水はどこか味気なく、焙煎の香ばしさも消えて苦みだけが喉の奥を通り過ぎて行きました。


 それにしても――


「鏡が万能過ぎますわね……」


 わたくしは嘆息気味たんそくぎみに感想を漏らす。


 おそらくは事前に蒸し風呂に入れた事と外気との温度差による視界の歪ませ、さらに対角線上に設置した鏡に光を当てて反射させ、湿気交じりの空気にさながら活動写真の如くということなのでしょう。


 そう、あの釣殿つりどのの屋根に設置していた大鏡はちょうど祭壇のある塀の裏側に向いていたのですから。


 つまる話、この日誌は蜃気楼を人工的に作り出す実験の記録で、かの『物語』で起こった事件の検証記録でもあったということです。


 にしても――


 現実の科学で照らし合わせると、いささか無理があり過ぎる理屈ですね。


 もっとも、古の陰陽師には魔術めいた逸話を持った著名人もいるので、この辺の曖昧さがあっても致し方ないかも知れませんが。



 ふと、わたくしは思い出したかのように柱時計に目をやると、時刻は十二時半。


「さて、そろそろ支度をしなければ」


 独りごちて、わたくしは立ち上がる。

 二時から、学友と新橋で会う約束があるからだ。


「続きは、また帰ってから……ですわね」


 古書を閉じ、わたくしは名残惜しげに書斎をあとにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うらのつかさの姫君 さる☆たま @sarutama2003

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ