第7話 真相


 空が闇に染まり、黄金色に輝く月がその姿を現す。


「いやぁ、いい風呂でおじゃった」

「それはよろしゅうございました」


 湯浴みから戻った西大納言かわちのだいなごんを出迎えたのは、平伏している一人の侍女だった。


「そなたは?」

瀬蓮せはすでございます。姫さまより大納言さまを案内せよとおおせつかっております」


 そう言って彼女は顔を上げた。


 物静かではあるけれど、どこか聡明さのうかがえる印象の女性。

 姫君と違うのは、控え目で出過ぎない性格ゆえか。


 ぺーじをめくりながら、わたくしの中でそんな想像が浮かんできます。


「では、姫さまがお待ちしておりますのでこちらへ」


 彼女は立ち上がると、大納言と共に儀式場へとを進める。

 庭先ではすでに儀式の準備が整いた。

 煌々こうこうと燃え盛る篝火かがりびに囲まれ、氷室から取り寄せた分厚い氷の柱が雫を垂らす。

 左右の中門廊ちゅうもんろうで下郎が二人、大団扇おおうちわを懸命に仰ぐ。

 すると、冷たい白んだ空気が氷の柱から立ち昇った。



 昨今、遥か欧州えうろぺの地では固形炭酸どらいあいすなるものが持てはやされていて、かの「氷菓子あいすくりん」を作るのにも一役買っているとか。

 なんでも、ザラザラした真っ白い氷のようなものから冷たい煙が噴き出すそうですが、それに近いものを覚えます。



 氷の手前には祭壇があり、その上ではきらびやかな飾り付けした白絹の巫女装束に身を包んだ姫君が大きな鏡の前で祈りを捧げていた。

 向かって左の釣殿つりどのの屋根にも鏡が設置され、その先にはちょうど塀を挟んで大納言殿の牛車ぎっしゃが停っている。

 瀬蓮せはすは大納言殿をその釣殿に案内してからこう告げた。


「いま、姫さまが祈祷きとうをなさっておられます。こちらにお座りになってよいの名月をご堪能下さい」

「釣殿で月見とは風流でおじゃるな。のう、良安よしやす

「はっ、さようでございまするな」


 大納言の言葉に後ろで控える若侍が同意する。

 ちょうど祭壇の上では姫君が祈祷終えてお立ちになられたところである。

 池の方を見やると、先端に手鏡をくくり付けた長槍を持つ童子わらし(と言っても十代半ばだが)を乗せ、浮舟うきふねが姿を現した。

 童子は全部で三人で、残りはほむらの灯った雪洞ぼんぼりを持つ船頭と太刀持ち役が同乗していた。

 その一人、太刀持ちが鞘を雪洞の方へとかたむけ、ゆっくりと鍔元つばもとを押し上げる。


「またせたのぅ皆の衆、とくとご覧あれ!」


 姫君が高らかにそうのたまって天を指さした。


 にわかにゆがむ視界。


 舟の上で童子が太刀を抜いた刹那、槍先の鏡が

 そして——


 よいの空に車が現れた。


「なんと! これは一体どうしたことでおじゃるか?」


 大納言が驚きのあまり叫び声をあげる。


「見ての通り、空飛ぶ車でありますよ」


 懐に忍ばせていた扇を口元で開き、目を細めてお笑いあそばれる姫君。

 その姫君を除き、その場にいる全ての者の眼が闇に浮かぶ車に釘付けになった。

 予め『種』を明かされていたであろう瀬蓮すらも。


「信じられぬ、姫はよもや天の御使みつかいでおじゃるか?」

「であれば面白をかしかろうものですが、われは陰陽師おんみょうじ。由緒ある鬼火きびの一族がむすめにござります。天の御使いなど、おそれ多い」

「では、これは陰陽の術でおじゃるか?」

「はい。『蜃気楼しんきろう』と申しまして、急激な温度差によって光が屈折することで本来そこにないものを映し出す幻術にござりまする」

「しんきろう?」


 つぶやきながら若侍有良安ありのよしやすは困惑の色を浮かべる。


「さよう、天文の道理ことわりが一つよ。はその道理を利用して、まんまと都から逃げおおせたということであろうな」

「まさか、帝は女狐めぎつねかされたということでおじゃるか……」

「なれば、まだ救いはありましたでしょう……」

「と申されると?」

「噓の中にまことを秘めるが女と言ふいうもの。おきなはともかく、が天子さまを恋ふこう心は、はたして偽りだけでございましょうか? まぁ、今となっては誰も存じ得ぬことでありますがのぅ」


 そう答えてから姫君は天をあおいだ。

 後に瀬蓮せはすはこう語っている。


 「そう語る姫さまは、どこか寂しげでありました」と。

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